第9話 勇者の両親
ニベヤの両親に会って、タクミも思うことがあった。前世に残してきた自分の両親のことだ。
この世界に転生したことに、迷いも後悔もない。ラノベやアニメのような魔法もチートスキルも存在しない、物理法則に支配された当たり前の世界だったが、タクミには言葉では説明できない強い使命感が芽生えていた。
しかし、突然息子を失った両親はどうなっただろう。
仕事人間で、仕事のためなら家族との約束も簡単に破った父。そんな父に、何の不平も言わずに従った母。つまらない人間だと思っていた。
だが、子供こそいないものの、妻と家庭を持った今ならわかる。父も母も、家族を守るために必死だったのだと。
そして思ったのが、勇者の両親はどうしているのか、ということだった。
旅の支度をしながらタクミは尋ねた。
「ニベヤさん。村を出る前に、ボクも親に会えるでしょうか?」
ニベヤは鞄に衣類を詰め込む手を止め、驚きの眼差しを上げた。
「ええ、お会いできますが……ご両親のこと、どれほど覚えていらっしゃいますか?」
「実は全然……」
「……そうですか。明日は出発ですし、準備を急いで終わらせますので、それから一緒に出かけましょう」
ニベヤは笑顔で応えたが、その表情はどこか曖昧なものだった。
家を出る時、ニベヤは庭に咲いている花を切って花束にした。
それを持って、集落とは違う方向に丘を下って行く。
平らな道に出ると林があり、しばらく薄暗い道が続く。それを抜けると突然視界が開けた。
「うわぁ、海だ……」
思わず感嘆の声がタクミから洩れる。水平線まで遮る物の無い絶景だった。
切り立った崖の上で、下を覗くと白波が立っていた。前世のサスペンス番組で殺人事件が起きるような崖だな、とタクミは思った。
「勇者様、こちらです」
ニベヤに言われて右手を見ると、そこにはテニスコート二面ほどの場所に、シカやトナカイのツノのような物が無数に突き立ててある。
二人がそこに立つと、急に風が強くなり、ツノが風を切るヒョウヒョウという音がいたる所で鳴った。
「ご先祖様が私たちを歓迎してくれています」
「じゃあここは」
「ええ、お墓です」
墓場の中央に近い所に、ひときわ大きなツノがあった。
ニベヤはそのツノに近付くと、花束を枝分かれした部分に乗せる。
「こちらが勇者様のお父上、先代の勇者様のお墓です」
タクミは、胸の前で両手の平を合わせて眼を閉じた。ニベヤも意味は分からないがタクミの真似をする。
先代の勇者が既に死んでいるであろうことは、タクミも予想していた。しかし、原因については……。
「父上は、何で亡くなったのですか?」
「ケガ……と言えるでしょうか。オークとの戦いで、小さな傷を負ったそうです。それから何日も経ってから、顔の痙攣が始まりました。やがて痙攣は全身に広がり、呼吸すらできなくなったそうです……」
――破傷風だ。
タクミはピンときた。ヒデヨと一緒に破傷風をテーマにした古い映画のDVDを観たことがあったからだ。
ヘタなホラー映画よりずっと恐いらしいとヒデヨは言っていたが、そんなレベルの恐ろしさではなかった。どこか笑えたり、矛盾を指摘したくなるホラー映画とは違い、これほど恐ろしい病が現実にあるのだという恐怖。二人は心底震えたものだ。
タクミはもう一度手を合わせた。破傷風が原因で死んだのであれば、この世界の医療レベルでは、人格が破壊される程の苦しみの中で死んで行ったに違いない。これがヒトを守るために戦い続けた挙げ句の末路だとしたら、神はあまりにも無慈悲だ。
タクミが顔を上げるとニベヤが声をかけた。
「では、母上様の所へ行きましょう」
「はい」
崖沿いに歩いて行くと、浜に向かって下っていく階段状の段差があった。タクミはニベヤを助けながらそこを降りていく。
浜にたどり着くと、ニベヤは海の民の集落とは逆の方向に歩き始めた。
「母上様は、この浜で昆布拾いをされて生計を立てていらっしゃいます」
そして、タクミの顔色を伺うようにチラッと見て続けた。
「今の旦那様と一緒に」
「コンブって、海藻のコンブ?」
タクミの反応がいつも通りなので、ニベヤはホッとしながら返事した。
「ええ、あの食べる昆布です」
しばらく歩き続けていると、遠くに小さな一軒家があった。
「見えてきました。アレが母上様のお宅です」
タクミは周囲を見回して驚いた。
「マジでポツンと一軒家だ。何で集落から離れたあんな場所に?」
「それは……先代の勇者様が床に伏せられていた時、勇者様はキャラバンを護送中で、戻られた時には既に埋葬を終えた後でした。その時に、勇者様と母上様が何を話されたのかは知る由もありませんが……」
ニベヤの言葉が途切れたので、タクミは促した。
「大丈夫ですよ、ボクのことなら」
ニベヤはうなずく。
「……勇者様は激怒なさり、母上様をヒドく叩いたそうです。戦士の隊長さんが止めに入らなければ、恐らく死んでいただろうと……」
「なんだって? ボクはなんて鬼畜な男なんだ!」
その言い方がトボケていて、ニベヤは思わず笑ってしまった。
――今の勇者様なら、母上様のことを聞いても怒ったりしないだろう。
「母上様はそのまま家を出て、今の旦那様と再婚なさいました。それからは一度も会っていません。私たちの結婚式にも、お姿はありませんでした」
「そうか、わかったぞ。母上には昔から好きな人がいたんだな。それが、父上に見初められて、ムリヤリ結婚させられた。村の掟で拒否できないからね。ニベヤさんの時とおんなじだ」
ニベヤの顔が瞬間で赤くなる。
「そんな、私は……」
「いいって、いいって。しかし、酷な掟だよね。好きでもない相手と結婚させられるなんて」
ニベヤは立ち止まり、凄い勢いでタクミの方を向く。
「私は勇者様を!」
そして、うつむきながら小声で言った。
「……心からお慕いしております……」
タクミはニベヤの恥じらう姿が愛しくて肩を抱いた。それから、ゆっくりと歩き始める。
「ボクも愛してますよ。ニベヤさん」
恥ずかしげも無くこんなことが言えるようになるなんて、自分も大人になったものだとタクミは思う。
「だけど、以前の勇者はそれが許せなかったんですね。父上が死んだばかりだというのに、他の男と再婚したいと言う母上が」
「その気持ちもわかります」
「うん。でも、今のボクは思います。ヒトは苦しむために生まれてきたんじゃない。楽しむために生まれてきたんだ。人生をやり直すなら、一日でも早い方がいい」
それから強い口調で言った。
「まずは、悪い掟は正さないと。ヒトの感情を無視した結婚なんて、やっちゃいけないんだ。もちろん、離婚もです」
ニベヤは力説するタクミの横顔を、ウットリとした眼で見ている。
「それで、このポツンと一軒家なんですね。勇者の怒りを買った母上と旦那さんは集落で暮らすことができなくなり、ここに移り住んだって訳だ」
「旦那様は漁師でしたが、乗せてくれる船すらなくなったそうです。だけど、他人事のように仰ってますが、勇者様が招いた結果ですよ」
「そうとも言えますけどね、死ぬ前のことは、今のボクにとっちゃノーカンなんです」
「ノーカン?」
「ノーカウント。自分の失敗や落ち度にはならないってことです」
「クスクス、納得です」
浜が玉石で覆い尽くされた場所で、辺り一面に昆布を広げて干している男女の姿があった。
「勇者様、母上様と旦那様ですよ」
「うん」
貧しい身なりであることは遠目でもわかった。昆布拾いがこの世界でどれほどの収入になるかは知らないが、それほど稼ぎの良い仕事ではないらしい。しかし、二人とも楽しそうにテキパキと働いている。
タクミは、あまり近くで声をかけて驚かせるよりはと、その場から手を振った。
「おーい! 母上ぇー!」
振り返った女の顔が恐怖でひきつる。
男は女の横に立ち、女の肩をしっかりと抱いた。覚悟を決めた顔だった。
――野生のクマが出てきても、ここまで恐ろしそうな顔はしないぞ。まあ仕方ないか。死ぬほど殴られた訳だし。
近付くにつれ、二人の姿がはっきり見えてきた。共に三五歳くらい。
前世の感覚では、母親というより、街で見かけるキレイなお姉さんという感じだ。なるほど、先代の勇者が見初めただけあって、美しい顔だちをしている。
男の方は真っ黒に陽に焼け、無精髭をはやしていた。優しそうな男だ。
ニベヤが少し緊張している。姑だし、無理もないだろう。
「お義母様、旦那様、ご無沙汰しておりました。お元気そうで何よりです」
タクミは何を話すか考えていた訳ではなかったが、自然と言葉が口に出た。
「母上。ご存じかもしれませんが、ニベヤと予定の無い旅に出ることになりましたので、ご挨拶に伺いました」
母親が返事をしないので、代わりに男が口を開く。
「勇者様、大変な大ケガから回復されたとのことで、お喜び申し上げます。何もない粗末な家ですが、よろしければ中へお入りください」
「ありがとうございます。じゃあ遠慮なく」
母親は、満面の笑みを浮かべるタクミを信じられないものを見る眼で見ていたが、男に促されて家へと向かった。
家の中は倉庫を兼ねており、乾燥済みの昆布が大量に積まれている。タクミはその量に声を上げた。
「うわぁー、すごい量の昆布だ。これをどうやって集落に運ぶんですか?」
「背負ってです。市のある日は何往復もします。売れ残って持ち帰るときが一番辛いですね。……というか、勇者様、随分お人柄が……」
「変わったでしょ。生き返ってから、会う人会う人に同じことを言われます」
「ということは、一度死んだという噂は……」
「ホントです。それと、死ぬ前のことは何にも覚えていません」
男は母親と顔を見合わせて不思議そうな顔をする。
「まあ、勇者様、ニベヤ様、どうぞお掛けください。昼食は?」
「まだですが……」
「では、久しぶりにお母さんの手料理はいかがですか」
「ハイっ、いただきます! いやあ、楽しみだなあ」
無邪気な勇者の反応に、母親の眼が潤むのをニベヤは見逃さなかった。
「このような生活ですので、粗末なものになりますが」
「大丈夫です。最近は草食主義なんで」
母親が台所へ向かったので、ニベヤが声をかける。
「あ、お義母様。お手伝いします」
すると、母親はようやく口を利いた。
「大丈夫ですよ。ニベヤさんはみんなと待っていてね」
三人で食事の支度が終わるのを待っていたが、話題には困らなかった。何せタクミは、この世界の昆布のこと、漁のこと、海のこと、聞きたいことが沢山ある。
話が盛り上がっている頃、料理が運ばれてきた。昆布のスープとパン、そしてオムレツに似た卵料理だ。
「お、メグラーダか。今日は昼から豪勢だな」
男の言葉で、この世界では卵が高級食材であることがわかる。
料理を運び終わり、席に着いた母親は息子をずっと横目で見ていた。
タクミはスープをひとくち口にする。その瞬間、意志とは無関係に大粒の涙がボトボトとこぼれ落ちた。
「お母さんの……お母さんの味だ」
次にパンを一切れ口に入れる。涙が止まらなくなる。
「やっぱりお母さんの味だ」
この味が記憶としてある訳では無い。しかし、身体はこの味付けをしっかりと覚えていた。
その席にいた誰もが驚いたが、やはり一番驚いていたのは母親だった。しかし、タクミには自らが流した涙の理由がわかった。
勇者は、誰もが思っている以上に母親が好きだったのだ。それはもう、依存と言っていいほどだったのだろう。
勇者という制度がこの世界でどのようなものなのか、タクミはまだ全貌を掴みきれていない。しかし、それが一子相伝に近いものであることは、この数日の間でわかっている。幼い頃から、厳しい修行が強いられたのは間違いないだろう。
そんな子供が、心の拠り所を母親に求めるのは当然のことだ。母親もまた、そんな息子を精神面や栄養面など各方面から支えたのだろう。
勇者が母親に暴力を振るったのも、先代の勇者の喪に服すこともなく再婚を口にしたことへの怒りでは無く、他の男に取られることへの嫉妬だったに違いない。
つまり、勇者は極度のマザコンだったのである。
恐らく、勇者はニベヤにも母性を求めた筈だ。しかし、年下のニベヤでは、そのコンプレックスを充足させるには不十分だったことが、ニベヤに対する勇者の冷酷な態度になって表れたのだろう。
夢中になって食べている勇者を、母親は涙を浮かべて見つめていた。
帰り際、タクミは男に乾燥昆布の束を渡された。
「こんな物しかありませんが、どうぞお持ちください。保存が効きますので、旅では重宝すると思います」
タクミは男の手を強く握った。
「ありがとうございます、お義父さん。母上を、どうかよろしくお願いします」
お義父さんと呼ばれ、男は困惑した笑顔を浮かべていたが、握手は力強いものだった。信頼できる人物だとタクミは思った。
それから、母親を抱き締めた。
「ちょっと行ってきます。お土産を楽しみにしてくださいね」
母親は嗚咽を懸命にガマンしながら言った。
「ええ、次はもっと美味しいものを準備していますから」
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