第8話 ニベヤの両親

 次の日、村長と戦士の隊長が勇者の家を訪ねて来た。

 村長は青い顔をしていた。

「勇者様、何とか考え直して頂けませんか。勇者様がいらっしゃらないと、村の安全が損なわれます」

 隊長は赤い顔をしていた。

「ケンギョとショクジョの変態野郎のために村を捨てるのですか! 掟を守り、これからも我々戦士をお導きください」

 タクミは少しウンザリしながら答えた。

「第一に、当分オーブの大襲撃はありません。前回の襲撃が間引きになったからです。第二に、そんな状況なのでボクがいなくても村は戦士の方で守れます。ボクが倒れていたこの一ヶ月が証明です。第三に、ボクにとって一番大切なのは妻を守ることです。それを否定する村の掟には従いません。そして、ケンギョとショクジョは大切な同士です。村が二人を守らないのなら、ボクが守ります。他に何か?」

 村長と隊長は、勇者の決意の強さを思い知るだけだった。

 その後、ニベヤの従姉妹のハーシュが訪ねてきた。

 ニベヤの清楚な美しさとは別の、大きな胸とスラリとした足が人目を引き寄せる肉感的な美女だ。前世でこのタイプの女子にからかわれた経験のあるタクミ的には苦手な部類なのだが、どうしても胸元に視線が行ってしまう。それが許せないニベヤは、今度はタクミのホッペを思い切りツネった。

「イテテ。勘弁してくださいよ、ニベヤさん」

「勇者様のハーシュ姉さまを見る眼がイヤラシイからです」

「誤解ですって。そんなことありませんから」

 ハーシュは、そんな勇者とニベヤのやり取りを信じられない思いで見ていた。この女房の尻に敷かれて情けない声を上げている男が、魔王と恐れられる勇者だろうか?

「あの、勇者様。随分印象が変わられたような……」

「そうですかぁ? まあボクも村を追放されたら勇者じゃないし。それどころか罪人ですから」

 事も無げに言う勇者を見て、やはりこのヒトはただ者ではないと思う。

「姉さま、心配をかけてごめんなさい。村のことを考えたら、私が身を引くべきだとわかってるの。だけど私、勇者様の妻でなくなったら生きている意味なんてないから」

 ニベヤの言葉にハーシュは笑顔を見せた。

「昔から自己主張しないでガマンばかりしていたアナタが、こんなにハッキリ自分の気持ちに素直になるなんてね。二年前のアナタに教えてあげたいわ。幸せになれるわよ、って」

「姉さま、それは言わない約束!」

 珍しく焦るニベヤを見てタクミは関心を持った。

「二年前に何があったんですか?」

 ハーシュが笑う。

「クスクス、勇者様との結婚ですよ。勇者様から奥さんにって指名された時、ニベヤったら一日中泣き続けたんですよ。それはもう怖がって、私とおばさんはずっと慰め続けました」

 ニベヤは益々焦る。

「姉さま、お願いやめて」

 野蛮な勇者と聡明なニベヤがなぜ結婚したか、タクミも疑問に思っていたところだった。

「かわいそうに」

 タクミがつぶやくとハーシュが吹き出す。

「ブッ! イヤですよ、勇者様。御自分のことですから」

 そして、ハーシュが真顔になった。

「それでね、おじさんとおばさんだけど、アナタと会いたがってるわ」

 ニベヤも困った顔から真顔に戻る。

「私も会いに行こうと思っていたところなの。村にいる間に」

「今晩でも良いかしら?」

「今からでも大丈夫よ」

 ハーシュはかぶりを振った。

「昼間は止めといた方が良いわ。勇者様が村を出る噂が徐々に広がっているし、誰もそれを良く思っていない。アナタとアナタの両親に責任を転換するヒトもいるし」

「そんな……」

 タクミにとっては想定内の話だ。人は自分の望まないことが起きると、誰かにその責任を押し付けようとする。そういった例を前世で沢山見てきたし、自分が標的になったこともあった。この世界にインターネットが無く、匿名による無責任な情報拡散が無いだけマシだと思った。

「ニベヤさんのご両親か……もっと配慮すべきだったな」

 しかし、ハーシュは楽観視しているようだ。

「時間が解決してくれると思います。ニベヤのお父さんは腕の良い鍛冶職人だし、仕事を頼まないことには村が回らなくなりますから。まあ、陰口を叩くヒトはいるでしょうけど」

 タクミとニベヤは夜になったらニベヤの実家を訪問することにし、ハーシュはそれをニベヤの両親に知らせることになった。



 陽が沈むと、タクミとニベヤは家を出た。

 月の明るい夜だった。月はあるのだが、模様が前世で見慣れたモチをつくウサギではない。花が三輪咲いているように見える。

 前世を起点にすると、この世界はどういう位置関係のどういう時間軸にあるのか、タクミは疑問に思った。

 通りに人影は無い。人工的な光も一切無い。

 タクミは冷たくなったニベヤの左手を握ると、自分の上着のポケットに一緒に入れて歩いた。

 匠の民の集落に着いて、奥まった所にニベヤの実家があった。

 戸を軽く叩くとすぐに開き、ニベヤによく似た女性が顔を出す。

「ただいま」

 ニベヤが女性に小声で話しかける。

「ああ、ニベヤ、心配したのよ……勇者様も、よくお越しくださいました」

「すみません、おじゃまします」

 タクミは緊張して堅くなっている。

 家の中に入る時、タクミはニベヤに耳打ちした。

「お姉さん?」

「いえ、母ですよ」

「え? お若く見えるのね」

「子の私には、普通の親に見えます。逆に親からは、幾つになっても私が子供に見えるようですけど」

 ニベヤが嬉しそうに微笑む。この世界では一人前の大人と見なされる年齢でも、やはり十七歳の娘であることに違いはないのだなとタクミは思う。

 部屋の奥から立派なアゴ髭の男性が出てきた。

「おお、勇者様!」

 ――あ、お義父さんだな。

 大きな声で歩いて来たので、ハグを予想して待ちかまえていると、義父は右膝を着き深々と頭を下げた。

「勇者様。この度は当家の出来損ないがとんでも無いことをしでかしまして、誠に申し訳ございません。ワシが腹を掻き切って許されるのなら、この場で掻き切る覚悟です」

「え? あの……」

 タクミが戸惑っていると、ニベヤの母親も両膝を着き頭を下げる。

「やめて、お父さん、お母さん。今の勇者様は、そんなことされても喜ばないから」

「何言うか! お前が勇者様の妻の座にしがみつき、そのせいで勇者様まで村を出ることになったと、ちゃんとワシの耳に届いておる」

 タクミはニベヤの父親をなだめる。

「まあまあ、お義父さん。噂とはとかく枝葉が付いたり曲がったりして広がるものです。今からご説明しますから」

「なんと勇者様! この状況でもワシのことをお義父さんと呼んでくださるのか……」

 涙を流し始めたが、取り敢えずハラ切りだけは見ずに済んだなとタクミは思った。



「これは何の肉ですか?」

「ガハハ! 勇者様も冗談がお好きだ。もちろんオークの肉ですよ。薫製です」

 タクミの脳裏に一瞬、先日殺したオークの姿が過ぎるが、食欲と好奇心が勝って肉を口にする。

 ――美味しい! なるほど、豚肉とほとんど同じ味なんだ。

 目覚めてからベジタリアン的な食事ばかりだったので、久しぶりの肉を夢中で食べる。それを見たニベヤの父親は言った。

「いや、良い食べっぷりです。それにしてもニベヤ、勇者様にはいつも何を食べさせているのだ?」

 タクミは口に肉を頬張ったまま説明する。

「ボクも生き返ったばかりで、今まであまり食欲が無かったんですよ」

「では、あの一度死んだという噂は……」

「本当です。ボクが今、こうしてオークの肉が食べれるのもニベヤさんのお陰です」

 父親は嬉しそうに眼を細める。

 タクミとニベヤの説明で、両親の誤解はすぐに解けた。両親も、子供を授からなくてもニベヤと夫婦でいたいという勇者の気持ちが素直に嬉しかった。

 確かに村を離れるのは心配だが、何しろ大陸最強と言われる勇者が一緒なのだ。勇者が去った後の村の方がよほど危険だろう。

「いやぁ、本当に良かった。それとアレだ、生き返ってヒトが変わったという噂も本当でしたな」

 タクミはドキッとする。

「ヒトが変わった……」

「ええ、以前は魔王のようなおヒトでしたぞ。ずばり魔王様と呼んでいる者もおりました。機嫌が悪いと誰彼無しに蹴り飛ばす。だが、敵が来れば、命がけて我々を守ってくれた。尊敬できるお方です……本人を前に照れますけど」

 そして、父親はタクミに杯を渡し、ツボから赤い液体を注いだ。

「今年できた酒です。勇者様もお好きでしょう?」

「お父さん! 勇者様にまだお酒は……」

 ニベヤが慌てて止めようとするので、タクミは笑って言った。

「大丈夫ですよ、ニベヤさん。せっかくのお義父さんからのお酒です。少しだけですから」

 この世界では、飲酒は十六歳から許されている。十八歳の勇者はかなりの大酒飲みだったらしい。タクミに飲酒の経験は無かったが、勇者の身体が酒の味を覚えているようで強く欲していた。

 飲む前に杯を合わせるのは、次元を越えた習慣のようだ。タクミと父親はコツンと音をたてて合わせると、お互い一口口に含む。深みは無いが、新鮮な葡萄の風味が口中に広がる。

「美味しい……これがヌーヴォーか」

 タクミは一人で納得している。

「ヌーヴォー?」

「その年にできたばかりの葡萄酒のことです」

「なるほど。勇者様は色んな言葉をご存じですな」

 杯が進むにつれ、ニベヤの父親は饒舌になった。ニベヤに子供ができなかったことを繰り返し詫びるようになったかと思うと、突然静かになった。

 イスに座ったまま、小さなイビキをかいて眠っていた。

 それを見て、ニベヤの母親は笑った。

「あらあら、このヒトったら。いつもはこんなに飲まないんですよ。勇者様がお越しになられたのが、よほど嬉しかったのね。結婚式の前に一度来られたきりでしたから。しかも、お義父さん、なんて言われたものだから」

 ニベヤが父親を立たせようとする。

「お父さん、寝室で少し横になりましょう。立てる?」

「いや、だめだ……その前にションベン……」

 父親はニベヤに誘導されてフラフラと部屋を出て行った。

 二人を見送ると、ニベヤの母親はタクミに言った。

「ところで、あなた様は本当の神様ではないですか? 少なくとも記憶を失っただけの勇者様ではないでしょう? 他の人格と記憶をお持ちの筈です」

 いつものタクミであれば女の感の鋭さにタジロいだところだが、今のタクミは酔って気が大きくなっていた。

「ボク自身が神かと問われれば、そうではありません。しかし、ボクを遣わしたのが誰かと問われれば、それは神としかお答えしようがありません」

 その答えは、母親を納得させるのに十分だったようで、黙ってうなずいていた。

「もちろん、ボクの中に勇者は生きています。戦うことも、お酒を飲むことも、本来のボクにはできないことです。神の意向を実現させるために、ボクは勇者と一体となったのでしょう」

 母親はタクミに向かって手を合わせた。

「おお……こんな奇跡に立ち会えるなんて……神様……」

「いや、だから神様じゃありませんから」

 タクミはかなり酔っぱらっていた。

「神様の御意向とは何なのでしょう?」

「この世界に新しい秩序をもたらすことだと思っています」

「新しい秩序……」

「そうです。この世界には、萌えが少な過ぎる!」

「萌え? 草木が、ですか?」

「違います。胸がキュンとしたり、ときめいたり、そんな感情のことです」

「はぁ……」

「……自分の気持ちに素直になって、自由に表現できる世界、とも言えるでしょう」

「ああ、ケンギョさんとショクジョさんみたいな。私も男性同士で愛し合っていると聞いて驚きましたが、誰かが迷惑する訳でもないし、ヒトを好きになるって尊いことですよね」

「そうです! その尊いと思う感情が、萌えなのです」

「よくわかりました。勇者様は、慈悲と博愛の精神を説くために、天から遣わされた方……」

 その時、ニベヤが戻ってきた。

「お父さん、眠ってしまったわ。勇者様、私達もそろそろ帰りましょう」

「そうだね。お義母さん、ごちそうさまでした」

「勇者様、娘を……ニベヤをどうかよろしくお願いします」

「任せてください。この命にかえて守りますから。それに、いずれ村に戻るつもりです。道が開けたら」

「新しい秩序の……」

「はい」


 帰り道、人気の全くない暗い夜道で、ニベヤは突然泣き出した。

「お母さん……お父さん……」

 タクミはニベヤの肩を抱くしかなかった。

「大丈夫だよ。必ずまた会える。ボクが約束するから」

 タクミは思った。男は守るべき者ができて初めて本当の意味で強くなるのだ、と。

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