第6話 異世界恋愛事情

 次の日の朝、タクミが前日の使用済みの水を庭の野菜に撒いていると、ヒトが訪ねて来た。

「おはようございます。勇者様」

 それが、鼻の下だけを残して後をキレイに髭を剃った村長だと気付くには、少し時間が掛かった。

「……あ、おはようございます。村長さん」

「おや、何だかスッキリされた顔されて。体調がよろしいようですな」

 タクミの頬が赤く染まる。

「ええ、まあ、お陰様で。それより、ご用件は?」

「はい、勇者様よニベヤ様のご婚姻の件で」

「え? こんなに早く結論が出たのですか?」

 村長が少し困った顔になる。

「それが、説明をすると長くなるのですが……」

「では、どうぞ家の中へ。お話をお伺いしましょう」

 タクミは村長を家の中へ招き入れた。

 この世界でお茶というと、ハーブを煮出したハーブティーを意味する。ニベヤはハーブティーを三人分淹れると、テーブルに並べた。

「うーん、いい香りだ。奥様、いただきます」

 村長は美味そうにお茶をすする。

「今日は村長さんお一人なんですね」

 ニベヤは村長に話しかけるが、眼が泳いでいる。以前、恥ずかしい姿を見られてからというもの、村長の顔を見て話すことができないのだ。

「副村長の二人は、勇者様に蹴飛ばされるのが嫌だからと、同行を拒否されました。今の勇者様に神が降りているということが、まだ信じられないようでして」

「神? ボクに?」

 一番驚いたのはタクミだ。

「そうです。昨日のご活躍、聞きましたぞ。近寄っただけで、オークがバラバラになって弾け飛んだとか。神の御技だともっぱらの噂です」

「……噂とは、とかく枝葉が付くものですね」

「しかも、しとめたオークは、被害者の家族や命がけで勇者様に助けを求めに来た村人に施しをされたとか。そうそうできることではありません。それでいて、ご自分は豆と野菜のスープを食された」

「自分が殺したオークでなければ、食べてみたかったのですがね。それで、本題をお伺いしましょうか」

 ニベヤの表情が硬い。良い知らせであれば、副村長の二人も来た筈だ。

「ええ、わかりました。えっと、昨日の午後ですが、長老会と会合をもちまして。そこで、勇者様のご希望を伝えたのですが……結果から申しますと、長老会としては、やはり婚姻の継続を認める訳にはいかないと」

「そんな……」

「理由は二つ言われました。一つは、神を宿されるようなお方の血であれば、なおさら何としてでも残さねばならないということ。もう一つは、勇者様が仰られることが以前と真逆なので、我々が伝書鳩の役をしたところでにわかには信じられないとのことなのです」

 ニベヤが声を殺して泣いていた。タクミは手を伸ばしてニベヤの手を握る。

「では、ボクから直接長老会の方にお願いにあがれば、まだ可能性は有るということでしょうか?」

 村長は腕を組んだ。

「……可能性が有るとか無いとかは、私の口からは言えません。が、手段としてはもうそれしか残っていません」

「長老方にはいつ会えますか?」

「勇者様さえ都合が良ければ、今日の午後にでも。別件で会合が開かれますので、その時に話をされてはどうでしょう。いやはや、最近は色恋の問題が多くて」

「どういうことです?」

 村長は両手を開いて上に向けた。

「まあ、いずれ知ることでしょうから。山側の丘で牧畜をやっているケンギョはご存じですか?」

 ニベヤがうなずいた。

「ええ、肌が浅黒くて逞しい方ですよね。ケンギョさんに憧れる女の子は沢山いましたから」

 勇者が露骨に悲しい顔をするので、村長は笑ってしまう。

「ハハハ……いや、失礼。ケンギョも、もう二十歳。勇者様やニベヤ様より年上だというのに、嫁も取らずに仕事ばかりしているので、皆心配していました」

 この世界の平均寿命を推定五〇歳、前世を八〇歳だとすると、この世界の二〇歳は前世の三〇歳以上に相当する。子作りが何よりも優先されるこの世界で、その年齢まで独身を続けるプレッシャーは、前世の比ではないだろうとタクミは思った。

「ところが、ケンギョが独身を続けるには理由があったのです。ケンギョには恋人がいました。道ならぬ恋人が……」

「道ならぬ恋人? 人妻とか?」

「いえ、独身ではあるのですが……実は織物職人で十五歳のショクジョなんです」

 村長の言葉に、ニベヤは驚きで両手を口に当て、息を飲んだまま言葉を発しない。

 しかし、タクミにはニベヤの驚愕の意味がわからなかった。

「え? 何か問題なんですか? 十五歳って、ここでは普通に結婚できる年齢ですよね」

 ニベヤが勇者に嫁いだのも、十五歳だったと聞いている。

 ところが、村長は深刻そうにタメ息をついた。

 ニベヤもようやく息を吐いた。そして、タクミに驚いた理由を説明する。

「勇者様。ショクジョさんは、男の子なんです」

 今度はタクミが驚いた。

「マジすか?」


 実は、タクミは少し……いや、かなり腐っている。いわゆる腐男子というヤツだ。

 ちなみに、タクミが嫌いなマンガやラノベのジャンルは、パッとしない男の子が訳もなく何人もの美少女からモテまくる類のラブコメだった。どこが面白いのか、全く理解できない。

 リアルにモテるヤツは、わざわざこんなジャンルを好き好んで読むことはないだろう。モテない連中が一時的な現実逃避に読むのだろうが、読んだ後に虚しくならないのだろうか。少なくとも、タクミは虚しくなった。

 しかし、ボーイズラブは違う。タクミに同性愛の傾向が一切無かったからこそ、純粋に作品を楽しめた。妬みや嫉妬の感情を持つことなく、主人公達の恋愛を応援できた。

 とはいえ、ジャンルとは細分化されるもので、同じBLでも出会った瞬間からヤリ始め、最後までヤリまくるだけのエロBLは好きではなかった。正直、気分が悪くなる。

 タクミが最も好むのは、同性を好きになったことを戸惑い悩みながらも、苦難を乗り越えて結ばれるカップルを描いた様な作品だ。二次創作は作品にもよるが、あまり好んでは読むことはなかった。

 そんなタクミだったが、この世界に来て、BL的な要素はすっかり諦めていた。ところが、思わぬタイミングでの燃料投下である。

 村長が帰り、昼食の後、ハーブティを飲みながらタクミはニベアに尋ねた。

「その……ケンギョさんて、そういった噂は今までなかった?」

「そういったと言いますと?」

「何というか、女の人より男が好き、みたいな」

「全くありませんでした。この村全体でも、今まで同性で愛し合ったという話は聞いたことがありません」

「そうなんだ……」

 確かに前世とは文化も思想も全く違うが、過去に同性愛者が一人も存在しなかったとも考え難い。この世界において、同性愛とは何が何でも隠し通さねばならぬほどのタブーなのだろう。

「……お二人とも、とても働き者でステキな方です。ショクジョさんは、私などよりキレイなお顔ですし」

「長老会で二人はどうなりますか?」

「掟では、男性同士の恋愛の場合、女役の方が村を追放されることになっていた筈です。男役の方は、まだ普通に戻れると考えられているのでしょう」

「え! 受けは追放されちゃうの?」

「受け? ですか?」

「あ、ゴメン。でも、一人で村を追い出されても、オークやオオカミに食べてくださいって言っているようなものですよね」

「……それが目的なのかもしれません」

「ひどい……カプには生きる価値すら無いと」

「カプ? ですか?」

「気にしないでください。ニベヤさんは、こんな掟、どう思います?」

「……私が子供を何人も生める身体であれば、もしかすると当然の掟だと思ったかもしれません。ですが、このような半端者の身では、ショクジョさんの置かれている立場が他人事だとは思えないのです」

「ニベヤさんは半端者なんかじゃない!」

 タクミが急に大声を出すので、ニベヤは驚いてしまった。

「この世界の人は、子供を作ることに固執し過ぎてる。もちろん、子孫を残すことは大事だろうけど、もっと個人の意志や価値観を尊重するべきだ」

 そして、最後のこう言い切った。

「ボクが長老達の考え方を変えてやりますよ!」


 タクミとニベヤは、前日通った道を匠の民の集落へと向かった。

 昨日も美しい村だと思ったが、死の恐怖から解放された今は、もっと輝いて見える。

 タクミは、コンクリートもアスファルトも一切視界に入らない世界が、これほど美しいとは考えたこともなかった。

 二人は自然と手を繋ぎ歩く。

「勇者様。あの、恥ずかしくはございませんか?」

「何で?」

「人前で男女が手を繋ぐなんて」

「昨日も手を繋ぎました」

「昨日は……今生のお別れだと思ったので」

「ニベヤさんは恥ずかしい?」

「いえ、私は……誇らしいです。勇者様の妻であるとこを、皆に見てほしい……」

 ――ニベヤさんは、長老達に何を言われるか不安なのだろう。

 タクミは思った。

 タガロフさんが殺された場所には、花が手向けられていた。土や砂が盛られたのだろう、殺戮や死闘の痕跡はきれいに消されている。

 集落の中心に近付くにつれ、人通りが多くなった。勇者に対しては、誰もが擦れ違う度に止まって頭を下げる。タクミも一々止まって挨拶を返すので、中々前に進まない。

 ニベヤが笑った。

「何か可笑しいですか?」

「いえ、以前の勇者様は、誰に挨拶されても全て無視でしたから。挨拶が返ってきて、皆さん驚いてますよ」

「無視するなんて、そんな失礼なこと、今のボクにはできません」

 ようやくたどり着いた長老会の集会所は、木製の塀に囲まれたこの村としては大きな建物で、タクミは閉鎖的な印象を受けた。

 門をくぐると広い軒下があり、木製のベンチが並んでいる。そこに、若いカップルが一組、身体を寄せ合って座っていた。

 タクミ達に気付くと、カップルは立ち上がり、深々と頭を下げた。緊張で顔が青ざめている。

 ――噂のカプだ!

 タクミの胸が高まる。

 二人はゆっくりと顔を上げた。なるほど、ニベヤに聞いていた通りの美男美女、いや、美男と美しい男の娘だ。

 ――リアルBL、来ター!

 心の中でガッツポーズである。

「勇者様、ケンギョさんとショクジョさんですよ」

 ニベヤが紹介してくれたので二人に歩み寄ると、ケンギョとショクジョは再び頭を下げた。

「勇者様。お身体が回復されたとのことで、お喜び申し上げます」

 ケンギョの声は恐怖で震えていた。ショクジョはケンギョの袖を持ち、全身で震えている。

「ありがとうございます。ま、立ちっぱも疲れるんで、座りませんか」

 タクミは普段通りに話しかけるが、二人はまだ警戒を解かない。

「はい。お言葉に従い、失礼いたします」

 座っても、ケンギョは浅く座り、全身でショクジョを庇っている。自分の命と引き換えでもショクジョを守り抜くという気持ちが伝わってくる。

「……と、尊い……」

 タクミは感動を押さえきれず、口に出てしまう。ニベヤが不思議そうに尋ねた。

「尊い? ですか?」

 そして、勇者の顔を見て叫んだ。

「ええ! 勇者様、もしかして、泣いていらっしゃるのですか?」

 溢れる涙を拭おうともせず、タクミは答えた。

「泣いていますとも。ここで泣かないで何時泣きます。ケンギョさん、ショクジョさん。誰が何と言おうと、ボクが全力でお二人を推しますから」

 その頃になると、ケンギョとショクジョは、チラチラとタクミの顔を伺うようになっていた。

「押す? でございますか?」

 ケンギョが恐る恐る尋ねる。

「あまり深いことは考えないでください。応援する、くらいの意味です」

「勇者様が、私たちを応援してくださるのですか?」

「はい!」

 タクミは元気に答える。

 ショクジョがケンギョの後から、怖ず怖ずと顔を出した。

「勇者様は、ボクたちを罰するためにここに来られたのではないのですか?」

「いやいや、逆です。ボクたちは長老会の頑固ジジイと対決するために来たのです」

 ニベヤが慌てて周囲を気にする。タクミに小声で言った。

「勇者様、頑固ジジイはちょっと……」

 タクミは気にしないで言葉を続ける。

「ボクたちは子供ができなかったので、長老会から離婚しろときました。しかし、ボクはニベヤさんと……妻と別れるつもりはありません。お二人もそうですよね」

 タクミは、二人が顔を上げるのを待った。しばらくの沈黙の後、ケンギョとショクジョはタクミの顔を見た。

「男同士で愛し合っても子供ができない。だから罪である。それがこの世界の論法です。しかし、愛し合う二人を引き離す権利など、他人にある筈がありません」

 そして、こう言い放った。

「この世界は、子作り子作りとうるさ過ぎる!」

 ケンギョは迷っていた。勇者の言葉は本音か、それとも誘導尋問か。

「私も勇者様と全く同じ考えでございます。しかし、恐れながら勇者様は、昨年から子供ができないから早く離婚させろと騒いでいらっしゃったような」

「えーと……それはですね、ご存じかもしれませんが、ボクは一度死んだんです。死ぬ前のことは何も覚えていません。今のボクは、死ぬ前とは別の人格なんで、その頃のことを聞かれてもお答えしようがないんです」

 ニベヤも二人に語りかけた。

「それは本当ですよ。今の勇者様は、まるで神のように慈悲深いお方です」

 タクミの顔が赤くなる。

「ニベヤさん、それはちょっと言い過ぎですよ」

「いえ、私は本当にそう思っています」

 ケンギョとショクジョの表情が明るくなった。ニベヤが信頼できる人物であることは間違いない。

「勇者様とニベヤ様が弁護して頂けるのでしたら、こんなに心強いことはありません」

 ケンギョがようやく笑顔を見せた。整った浅黒い顔に、白い歯が輝く。

 タクミは両手で眼を覆った。それを見て、ケンギョが尋ねる。

「勇者様! どうかなさったのですか?」

「ケンギョさんの歯が眩しくて、眼がくらみました」

「は?」

 ニベヤが解説する。

「意識を取り戻されてから、勇者様は時々たいへん大げさな身振りをなさるのですよ」

 ショクジョも笑顔になった。

「勇者様、本当にお優しい方になられたのですね」

 ケンギョもうなずく。

「ああ、以前の勇者様なら、オレたちが男同士で愛し合っていることを知った瞬間に殴り殺されてたさ」

 タクミは、ショクジョの笑顔に見とれて、ダラシない顔で呟いた。

「……これは萌えるわぁ……」

 ニベヤは言葉の意味はわからなかったが、なぜか無性に腹が立ったので、勇者の足をツネる。

「イテ!」

 タクミは叫んで、真顔に戻った。

「だけど、誤解しないでください。ボクは弁護をやりに来た訳ではありません。我々の置かれている立場は同じ、愛を守り抜くために戦いに来たのです」

 ケンギョとショクジョも、真剣な顔でうなずく。

「何かを得るためには、何かを犠牲にする覚悟も必要です。お二人に、その覚悟がありますか?」

 ケンギョはショクジョの顔を見つめながら言った。

「もちろんです! ショクジョを守るためなら、全てを投げ捨てるつもりです」

 ショクジョの瞳が潤み、今の気持ちを口にする。

「今は親からも勘当されました。ケンギョがついて来いと言うのなら、地獄の果てにでもついて行きます」

 タクミは感動に身悶えする。

「尊い……お二人は本当に尊い……いやぁ結構です。これからボクらはワンチームです。ガンバりましょう」

 ニベヤが不思議な顔をした。

「ワンチーム?」

「一つに結束した仲間、という意味ですよ」

 眼に光が灯るとはこういうことなのだろうとタクミは思った。ケンギョもショクジョも、そしてニベヤもだ。希望が人を動かし、運命に立ち向かう勇気に繋がるのだろう。

 ――だけど、偉そうに言っているボクも、前世では諦めるだけで、立ち向かう勇気なんて無かった……。

 そんなことを考えていると、集会所の入口が開き、スキンヘッドで眼ばかりギョロギョロしている怖い顔の中年男が出てきた。

「ケンギョとショクジョよ。長老の皆様の御前に出るが良い」

 低い声でそう告げた。

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