第2話 異なる世界

 ところが、感覚はないのに意識だけが甦った。

 ――これが『死』か?

 タクミは思った。

 長いの間、意識が無くなったり戻ったりを繰り返していたが、やがて聴覚が戻った。頻繁に誰かが来て、タクミの世話をしているようだった。

 ――ああ、死に損なって重傷を負ったんだな。情けない……。

 相変わらず首から下の感覚は無かったが、タクミの世話をしている人達のヒソヒソ話の中に、気になるフレーズがあった。

「……勇者様の容態は……」

 最初は聞き間違いかと思ったが、頻繁に出てくるので、そうではないらしい。

 ――この部屋にはもう一人、勇者と呼ばれるほどの人物が治療を受けているのだろうか?

 次に嗅覚が戻った。病院特有の消毒液の臭いがすると思いきや、鼻を突く悪臭がした。

 タクミはこの臭いに覚えがあった。河川敷に小屋を建てて暮らしている、ホームレスのおじさんの臭いだ。

 ――ということは、ボクは病院に運ばれたのではなく、ホームレスの小屋に運ばれたってこと?

 しかし、その頃になると全身の激痛という形で身体の感覚が戻っており、深く考える余裕は無かった。

 痛みで苦しむタクミに追い打ちをかけることもあった。水や食物は、どうやら誰かが口移しで与えてくれているようだ。

 唇に柔らかい感触がした後、液体や咀嚼された食べ物が口の中に入ってくる。タクミは気味が悪いと思ったが、身体は極度の脱水と飢餓状態にあるようで、口に入ってきたものは意識とは無関係に飲み込んでいた。

 タクミは河川敷のおじさんをイメージした。細い眼と無精ヒゲのおじさん。いつも自転車に曲芸のように大量の空き缶を積めた袋を乗せて走っていた。

 別におじさんに悪い印象は持っていなかったが、タクミのファーストキスの相手だとすると、それは本人にとって酷な話だった。



 そして、最後に視力が戻った。

 眼を開けるとそこに、ススで汚れた娘の顔があった。

 痩せて、眼ばかりがギョロギョロしている若い娘だ。その大きな眼に、涙を浮かべている。

「ああ、勇者様……」

 それだけ言うと、言葉を詰まらせた。

 ――そうか、勇者とはボクのことだったんだ……。

 タクミは妙に納得し、ファーストキスの相手も河川敷のおじさんではなく、どうやらこの娘であることに安心すると、再び眠りについた。



 次に眼を醒ますと、三人の男がいた。いずれも中年で、ヒゲを生やしている。毛皮のベストを着ており、タクミはいつか観たバイキング映画の登場人物を思い出した。

 中央の男が、身を屈めてタクミに話しかけた。

「勇者様、私の声が聞こえますか?」

 タクミはうなずいた。

 三人の男は、喜びに顔を輝かす。

「では、ここがどこだか、わかりますか?」

 タクミは、声を絞り出して答えた。

「いえ……わかりません」

 一応声は出るが、唇がうまく動かず、喋り辛い。

「記憶が錯乱しているのですね。無理もない……オークの大襲撃があって、もう一ヶ月が経ちました。あなた様は、一ヶ月も眠り続けていたのです」

「一ヶ月……眠り続けた?」

「そうです。戦いは激しいものでした。勇者様は何日も不眠不休で戦い続け、オークどもを撃退したその瞬間、事切れてしまったのです。過度の疲労と脱水や栄養不足が重なったことが原因だと思われます」

 そして、少し躊躇したが続けた。

「実はその時、あなた様の心臓は止まっていました。半刻は止まっていたと思います。私達は、四半刻ほど心臓を押し続けました。たまにそうやって生き返る者がいますから」

 ――そうか、心臓マッサージをしてくれたんだな。確か一刻が二時間くらいだから、一時間ほど死んでた訳か。その間に『何か』が起こったのだろう。転生というより、乗り移りに近いのかもしれない……。

「しかし、勇者様が息を吹き返すことはなかった。私達はあきらめ、引き上げたのですが、奥方様はその後も諦めずに心臓を押し続けたそうです。すると……」

 男は涙を拭った。

「……あなた様は生き返った……いや、愛の奇跡としか言いようがない」

「奥方様? ボク、結婚してるの?」

「おや、驚くのはそこですか? ほら、ここにいるニベヤ様ですよ」

 中央の男が身体をずらすと、後に女性が立っていた。

 タクミが視力を回復した時に最初に見た、ススで汚れて痩せた娘だった。

 勇者の妻と呼ぶには余りにもみすぼらしい。が、もともと理想のハードルが低いタクミ的には、十分合格点の整った顔をしている。

 タクミは嬉しくなり、ニベヤに右手を伸ばした。

「ありがとう。えっと……ニベヤ」

 自分の奥さんに、「さん」とか「ちゃん」を付けるのはおかしいのかなと思い、少し照れながら呼び捨てで名を呼んだ。

 ニベヤは号泣するとひざまづき、タクミの右手を両手で握りしめた。

 三人の男も、もらい泣きしている。右端の男が口を開いた。

「本当に良かった。ニベヤ様は、ほとんど不眠不休で勇者様の看病をなさいました。最後に大役を全うされて、悔いはないでしょう。心置きなく、次の奥方様と交代できると思います」

 タクミは驚いた。

「えっ! ボク、もう離婚して再婚することになってるの?」

 三人の男は、お互いの顔を見回した。

 中央の男が口を開く。

「本当にすっかり記憶を無くされたのですね。私からご説明しましょう。それにしても勇者様、随分と口調が変わられましたなあ。ずいぶん優しい口調になって……」

 そこで男は、申し訳なさそうにニベヤをチラッと見た。

「えっと、つまり私達は、優秀な勇者様の血をなるべく多く残さねばなりません。ですから、歴代の勇者様においても、ご結婚後二年が経過してお子様に恵まれない時には、次の奥方様をめとるのが村の習わしなのです」

 ニベヤは寂しそうにうつむいている。

 男は続けた。

「……残念ながら、その二年は三週間前に経過しています。勇者様が意識を取り戻すまでという条件で、ニベヤ様は妻として勇者様のお世話をしていたのです」

 男は本当に言い辛そうだった。

「ですから、今この時を持って、勇者様とニベヤ様は離婚ということになります」

「ダメだ!」

 タクミが突然叫んだので、三人の男は飛び上がって驚いた。

「そんなのダメだよ。ボクのために一生懸命やってくれたのに、子供ができないから離婚だなんて、人道に外れるよ」

「人道? ですか?」

「そう。子供ができない夫婦だって、世の中には沢山いるでしょう。それなのに、なぜボクとニベヤは離婚しないといけないの?」

 男達は不思議そうな顔をする。

「失礼ながら、結婚とは子を産み育てる共同作業のこと。そうすることで、種は繋がれていくのです。妊娠できなかったのであれば、相手を交代するのが当然のことだと思うのですが」

 ――そうか、ここは異世界なんだ。道徳も価値観も、前の世界とはまるで違う。

 タクミは思い知った。そして、学校の歴史の時間に習った旧約聖書の言葉を思い出した。

 ――生めよ、増えよ、地に満ちよ……。この世界の社会性は、向こうの世界で旧約聖書が書かれた時代に近いのかもしれない。

 違う世界の倫理を持ち出しても意味がない。そう判断したタクミは、作戦を変えることにした。

「皆さんの考えはわかりました。子孫を残すことが重要であることも認めます。しかし、皆さんが今ボクに一番求めているのは何でしょうか。戦闘力として、皆さんを守ることではないですか?」

 三人の男は、渋々うなずいた。

「確かに、おっしゃる通りです」

「であれば、ボクにはニベヤが必要です。ボクが常に全力で戦うには、ニベヤによる身体の手入れや保全維持が必要なんです」

「しかし、それなら別に夫婦でなくても……」

「動機付けの問題です。ニベヤが妻であることが、ボクの熱意を高めるのです」

「……勇者様のお気持ちはわかりました。しかし、これは村長である私と、副村長であるこの二人の三人だけで決めることはできません。長老がたを交えて、改めて協議したいと思います」

 そして村長は笑顔を見せた。

「それまでは、離婚の話は無きものとしましょう」

 ニベヤは泣きじゃくっていた。

 タクミも少しホッとして村長に言った。

「ありがとうございます、村長さん。ボクたち夫婦にとって、良い結果が出ると信じています」

「では、お身体のこともありますし、我々はこれで」

 三人は部屋の出て行こうとして、村長が最後に振り返った。

「……しかし、結婚一年目から、子供ができないから女房を取り替えろと言って私たちを困らせたのは、勇者様、あなただったのですが……」

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