転生者あるいは勇者としての生き様

@neko-no-ana

第1話 最後の日

 身長185センチメートル。高校生とはいえ、バスケットのトップ選手としては特別高い方ではないのかもしれない。しかし、163センチのタクミにとっては、肩を組むように覆い被されると、まるで巨人に捕らわれたような気分になった。

「よお、オタク2号。今日のオレの水分補給費、出してくれないかな」

 女性用コロンの移り香がプンとする。

 ――年中サカリやがって。

 タクミは心の中で悪態をつくが、心とは裏腹にポケットから千円札を取り出して差し出した。

「白井君、ゴメン。今日はこれだけしかないんだ。カンベンしてくれないかな」

 白井は乱暴に千円札をムシリ取る。

「なんだ、千円だあ。おいおい、オマエな。勉強も運動もダメで、この学校に何一つ貢献してないなら、せめてオレのおかげで全国に行けるバスケ部に間接的にでも貢献しろよ。オレが熱中症になったらオマエのせいだからな」

 視線を感じて振り返ると、白井の取り巻きの女子達が、タクミを冷たい視線で睨んでいた。

 その中の一人が言った。

「オタクのくせに」

 ――千円とられているボクが犯罪者扱いか?

 白井も憎いが、白井の言いなりの女子も同じくらい憎い。

「いいよ、今日は千円で。だけど、来週はキッチリ二千円持ってこいよ。いいか、十万とか百万とか言ってないだろ。毎日でもないし、週一だ。週に一回、たったの二千円だぜ。それくらいの約束は守れよ」

 そして、タクミの肩に回していた腕を外して言った。

「それが正義ってもんだろ」

 取り巻き女子は、身勝手な白井の演説をウットリとした眼で見ている。

 タクミは心の中で叫んだ。

 ――正義って何だ?



「ごめんね、2号くん。今日は生徒会なの。会議の資料を準備しないといけなくて、掃除、お願いしていいかな」

 学年一の美人で才女、生徒会副会長の神原は、生徒会を理由に掃除をよくサボる。

「わかった」

 タクミは無愛想に答える。

「ありがとう。じゃあ、お願いね」

 よくサボるが、他の連中と違って、一応声を掛けるから少しはマシだ。

 別の生徒会メンバーが、神原に言っているのが廊下から聞こえた。

「オタク2号のヤツ、神原さんが話しかけてるのに、顔も見ないで失礼じゃない?」

「別にいいわよ。彼は掃除が好きなの。この教室の掃除を、ほとんど一人で担っているわ。エライなあ、変わった人だとは思うけど」

 ――教室の掃除が好きなヤツなんているか!

 タクミはモップをかけながら思う。みんなが押し付けるから、イヤイヤ一人でやっているだけだ。

 嫌いという意味では、神原も白井と同じくらい嫌いだった。美人だろうが才女だろうが関係ない。見下ろす側特有の鈍感さという意味では、50歩100歩だと思っている。

 しかし、見下ろされる側の卑屈さも嫌いだった。つまりタクミは、自分自身を好きではなかった。

「タ、ク、ミ殿」

 五分刈頭の男子生徒が、笑顔で教室に入ってきた。

「やあ、ヒデヨ君」

「お待たせしたでござるな。さ、ちゃちゃと掃除を終わらせて、一緒に帰るでござるよ」

「いいよ、いいよ。ヒデヨ君も自分の教室の掃除したんでしょ。大変だよ」

「まあ、そう言わずに。気にしないでほしいでござるよ。ウチのクラスは、まだ掃除要員が三人もいるでござる。タクミ殿のクラスはタクミ殿一人でござるからな」

 そう言うと、ゴミ箱のゴミを袋につめ始めた。

「ではコレ、ゴミ捨て場に持って行きますぞ」

「ありがとう、ヒデヨ君」

 タクミは心からヒデヨに感謝した。

 もし、ヒデヨがこの高校にいなかったら、高校生活はどんなに悲惨なものになっていただろう。

 どんなにオタクとバカにされようが、信頼できる親友が一人いればそれでいい。タクミはそう思った。



 帰り道、タクミとヒデヨの話題といえば、オタクの御多分に漏れずアニメやゲームだ。

「今期のアニメは傑作揃いでござるな。拙者の好きな異世界転生モノが、なんと五本もあるでござるよ」

 ヒデヨの明るさには、本当に救われる。オタクであることを隠しもせず、堂々と好きなものは好きだと明言するヒデヨに、タクミは同学年でありながら尊敬の念を持っていた。

「でも、転生モノって多過ぎない? 内容も、現世ではパッとしなかったヤツが、異世界に行くと大活躍して女の子にモテモテってパターンばかりだし」

「ははは。一つヒットすると、類似する作品が次から次へと作られるのが世の常でござるよ。マーケティングの基本でござる。それに、現代社会の風潮がそうしてるのでござろうなあ」

「風潮?」

「いかにも。歴史的に見ても、社会が不安定になると、来世や死後の世界に夢を託す宗教や文化が必ず生まれるでござる」

「なるほど、確かにそうだね」

「まあ、だからといって、アニメやラノベの影響で本当に自殺していまう若者が僅かでもいるのは、本当に悲しい話でござるなあ」

「でも、死にたくなる気持ちもわかるよ。さっきも白井に水代で千円取られたんだ。当てつけに死んでやろうかと思うよ。まったく、何だよ水代って」

「拙者も明日、集金されるでござるよ。最初に毅然と断るべきでござった。しかしまあ、これも全国大会まで。それが終わったら、拙者は身体を張ってでも断固拒否するでござる」

 この明瞭さが、ヒデヨの魅力だとタクミは思う。

「うん、ボクもそうするよ」

「二、三発殴られる覚悟は必要でござるよ」

「わかってる。ヒデヨ君だけに痛い思いはさせないさ」

 二人は鞄を持ち替え、右手の拳と拳を合わせた。

 タクミは、今日一日のイヤな出来事が全て吹き飛ぶ気がした。

「ところで、タクミ殿に報告せねばならぬことが一つござって」

「何? 良いこと?」

「その……」

 タクミはピンときた。

「あ、溝口さんのことだね?」

 ヒデヨが照れ笑いを浮かべる。

「そのとおりでござる」

「良いことなんだ」

「良いか悪いかは、まだ分からないでござるが……」

 溝口さんとは、ヒデヨの隣の席の女子だ。

 マンガが好きで、ヒデヨに普通に接してくれるクラスで唯一の女の子だと聞いている。マンガの話題で会話が盛り上がるそうだ。当然の成り行きで、ヒデヨは溝口さんにほのかな恋心を抱いていた。

「……明日の放課後、実習室に来て欲しいと言われたでござるよ」

「やったね、ヒデヨ君! きっと、付き合ってくれとか、そんな話だよ」

「いやあ、そうでござろうか?」

「ゼッタイそうだよ。だって、普通の話なら教室でできるし、わざわざ呼び出しといてマンガとか勉強の話はないでしょ」

「しかし、クラスカースト最下位の拙者が、あんなカワイイ女子から、まさか……」

「ヒデヨ君は十分ステキだよ。ボクが女なら、ヒデヨ君みたいな男がいいと思うな。ヒデヨ君の良さをわかる女子がゼッタイいる筈さ。それが溝口さんであっても不思議じゃないから」

 溝口さんは小さくて丸顔の可愛い女の子て、ヒデヨとはお似合いだとタクミは思っていた。

「タクミ殿、励ましてくれて感謝するでござるよ。明日をポジティブに迎えるでござる。拙者はダメでござるなあ。こういったことには、からきし意気地がないでござるよ」

 そして、ポツリと付け加えた。

「からかわれているんじゃないかとか、常に悪い方向に考えてしまうでござる……」

 それは、タクミも考えた。事実、タクミもそういった経験をしたことがある。

 愛の告白を装って、最後にヒドイ言葉を投げつける。または、何かの罰ゲームで、嘘の告白をさせる。そういったイジメだ。

 タクミの場合は後者だったが、質の悪いイタズラは空気で分かるし、ロクに話したこともない女子がいきなり告白してくるし、遠巻きにニヤニヤしながら見ている連中はいるしで、それはもうバレバレだった。

 しかし、ヒデヨの話を聞く限り、溝口さんは人を騙したりからかったりするようなコとは思えない。

「明日は掃除の手伝いなんかしなくていいからね。溝口さんを待たせちゃダメだよ。頑張って」

 ヒデヨは笑顔で答えた。

「頑張りようもないでござるが、せいぜい嫌われないよう努力するでござるよ」



 ――ヒデヨ君、うまくいったかなあ。これからは一人ぼっちで帰ることになるのかもしれない。寂しくなるな。 

 次の日の放課後、タクミはそんなことを考えながらゴミを捨てに行き、教室へ戻ってくると、教室の真ん中にポツンと立っているヒデヨがいた。

 イヤな予感がした。

「ヒデヨ君……どうして?」

 ヒデヨは振り返ると、悲しそうに笑った。

「やあ、タクミ殿。最悪の結末でござったよ。やはり、拙者のような者が夢を見てはいけないのでありますな」

 悪い予感は的中していた。

「ヒデヨ君、いつもの所に行こう。ゆっくり話を聞くよ」

 いつもの所とは、校舎の屋上だ。放課後は演劇部が発声練習をしたり、ブラスバンド部が楽器ごとに分かれて練習しているくらいで、人はあまりいない。

 その日は、巨大な金管楽器を抱えた男子生徒が一人で練習していたが、やがて校舎へ戻って行った。

 ヒデヨは、実習室での出来事を淡々と語った。

 行くなり、溝口さんから「私のこと好き?」と真剣な顔で聞かれたこと。

 真剣に聞かれたので、ヒデヨも真剣に「好きだ」と答えたこと。

 その後、何度も「本当に?」と聞かれたこと。

 聞かれる度に「本当に好きだ」と答えたこと……。

 その後は、タクミが予想した最悪のシナリオ通りだった。隣の部屋に隠れていた数人の女子生徒が笑いを堪えながら出て来たらしい。溝口さんは舌打ちをして、出て来た全員に千円札を配った。

 そして、腹いせにヒデヨにこう言ったという。

「私ならアナタなんかでも釣り合うと思われてたんだ、オタク一号のくせに。私も安くみられたものね、一人勝ちのつもりが大損よ」

 賭けの対象だった。しかも、溝口さんにとっては、ヒデヨに好意を持たれることすら屈辱だったのだ。

 千円札を受け取った生徒の一人が溝口さんに言った。

「ほらね、一号のミゾッチを見る眼って特別キモかったんだよ。ゼッタイ恋してると思ったね」

「やめてよ、気持ち悪い。私は一号がマンガに詳しいから少し聞いただけ。アナタも、もう私に近付かないで」

「ハハハ、ムリムリ。だってコイツ、ミゾッチの隣の席じゃん」

「アーもう! サイアク!」

 溝口さんと仲間達は、呆然とするヒデヨを一人残して自習室を出て行ったという。

「なあ、タクミ殿。拙者は何か悪いことをしたでござるか?」

「ううん、ヒデヨ君は何も悪くないよ。悪いはずがない」

「かたじけない……それにしても、何だか疲れたでござるなあ……」

 タクミが横を見ると、夕日に赤く染まったヒデヨが、穏やかな表情でいつもより近く見える富士山を見つめていた。

「異世界か……どんな世界でありますでしょうなあ……」

「ヒデヨ君……そんなの真に受けちゃあダメだって昨日……」

「言ったでござったな。しかし、人類の死亡率は一〇〇%、そこから戻ってきた者は無く、確認の仕様もないでござるよ」

「まあ、どんな世界であろうと、ここよりはマシだと思うけど」

「そうだといいですなあ……タクミ殿、申し訳ないが、拙者一足先にアチラへ行ってるでござるよ」

 そう言うと、ヒデヨは鉄柵をよじ登り、その上に立った。鉄柵の幅は僅か一〇センチほどだ。

「ヒデヨ君……飛び降りるの?」

 ヒデヨは黙ってうなずく。

 二人が陰湿なイジメを受け出したのは、中学に入って間もなくからだった。高校に入ると手口は巧妙になり、肉体的な暴力というより精神的に追い詰めるものになる。

 ヒデヨも気丈に振る舞っていたが、傷つけられた自尊心や理不尽に対する怒りといったもので、ギリギリのところで生きていた。そして、それはタクミも同様であり、だからこそヒデヨの気持ちを我がことのように理解できた。

 別に、溝口さんに酷いことをされたから死ぬ訳ではないのだ。それは、ただの切っ掛けに過ぎない。

 タクミも鉄柵を登ると、その上に立った。そして、ポケットからカランビットナイフを取り出す。

 カランビットナイフとは、持ち手部分にリングが付いた、刃が鉤状の殺傷力の高いナイフだ。昨年の深夜アニメでヒロインが愛用する武器として描かれ、限定品として劇中と同じモデルの物が販売された時に、二人で年賀状配達のアルバイトをして手に入れた物だった。

 凝り性の二人は、ナイフをコレクションしただけでは飽き足りず、外国からナイフファイティングの教則DVDを取り寄せて熱心にトレーニングした。今ではそこそこのナイフ使いになっている。

 ボク達の大切な人が危険にさらされた時にだけ、このナイフを使おう――それが二人の合い言葉だった。

「ヒデヨ君、一人で逝くなんて言わないでよ。ヒデヨ君がいない現世に、ボク一人で留まっている意味なんてないからさ」

「タクミ殿……」

「ヒデヨ君も、コレ持ってるだろ。コレを持ってアッチへ行こう。ほら、顔とか姿が変わっても、お互いがボクとヒデヨ君だとわかるように」

「承知したでござる、タクミ殿」

 ヒデヨもポケットからナイフを取り出し、リングを右手の人差し指に掛けて刃を折り畳んだまま握った。

 そして二人は、その右手を互いにクロスした。

 ……その体勢のまま、どちらからともなく身体が斜めになっていく。二人の足が鉄柵から離れた時、沈む直前の太陽がタクミとヒデヨの身体を赤く照らした。

 ――異世界かぁ、ある訳ないよなあ……。

 タクミは最後にそう思った。

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