第2話 甥のユーシ
「貴様、姉を亡くして笑うなど!」
どこにも持って居なかった筈の長剣を取り出すと、ノマドは僕に突きつけた。
しかし、そのまじめな表情までもが裏返って可笑しく、僕は大声で笑ってしまった。
「ええい、黙らぬか。マリア様の弟御といえ斬り捨てるぞ!」
鼻先に剣先を差し出され、ようやく笑いの虫は収まり出す。
「すみません、ごめんなさい。ちょっと疲れてるのもあって。まだ姉を亡くした実感もないんです!」
両手を挙げて降伏を示すと、ノマドは不服そうな顔をしてまたどこかへ剣をしまった。
僕は精一杯事情を説明し、その死さえ今日知ったばかりだと話す。
「ところで、姉へはどのようなご用だったんですか?」
あまりの忙しさに喉が渇き、水瓶から水を飲むとノマドに聞いた。
ノマドはふて腐れたように明後日を見ていたのだけど、やがてどこからともなくリンゴを二つ取り出す。
空間魔術だ。
姉から聞いたこともある。生まれながらに固有技能としてそういう技術を持つ者がいるらしい。なるほど、どこかから取り出した剣も、その納めた先も彼女が開いた亜空間だったのだろう。
ノマドは続いて小さなナイフを取り出すとリンゴを皮ごと切り分けた。
「おまえも食べていい」
そう言って、しゃりしゃりとリンゴをかじり出す。
美しい顔を染める疲労の気配は、失望と落胆によるものだろうか。
「私たち王国騎士団は現在、魔物の侵攻圧に対する調査を行っている。ここまでは公式に喧伝されている事だ。ここから先は言えないが、とにかく手持ちの戦力では不安であるのでマリア様のお力を借りに来たのだ」
確かに、姉の力は群を抜いたものだったらしい。
本来、そんな豪傑は戦列を形成するような戦場よりも力を生かす方法があると本人も言っていた。その為、特殊作戦や強大な魔族への直接攻撃など単独や少数での作戦で多くの戦果を上げている。
「マリア様が倒れるなんて悪い冗談じゃないのか?」
ノマドは切れ長の眼に憂いを帯びて床を睨む。
「見た目は普通の美人でしたしね」
僕が呟くと、ノマドは我が意を得たりと手を叩いた。
「そう、強く美しく優しく。マリア様を知るもので憧れぬ者はいなかった。機会があれば私だって……ええい、マリア様はどなたとご結婚なさったのだ?」
「知らないんです。何ヶ月か前にお腹を大きくして帰ってきたんで。弟として、相手が誰かとか聞きづらいし」
突然帰って来た姉は、子供を産んでしばらくするとまた突然出て行ってしまった。人間としての規格が違うのだから、僕に姉の行動を制限することは出来ない。ただ、子供の面倒を見ろと言われれば甥っ子には違いないその赤子を一生懸命育てるだけだ。
ノマドは苦虫を噛みつぶした顔をして、リンゴのタネを床に吐き捨てる。
案外と育ちが悪いと思いつつ、こちらではこれが普通なのも知っていた。
おそらく育ちのいいからこそ彼女は、掃除する者のことなど脳裏にも浮かないのだ。
「それでは、残念だがおいとましよう。どれ、マリア様の御子を少し見せていただいても」
せっかく寝たものを、起こしたら嫌だな。なんて思いつつ、断るのも悪い気がして寝室のドアを開ける。
ノマドは足音を殺して寝室に入ると、寝入っているユーシの顔を眺めた。
「ほう、マリア様と髪の色が一緒か。どれ、このオデコなんかは形もよくて……!」
ユーシの額を撫でようとしたノマドは慌てて手を引っ込めた。
「熱いぞ! 熱があるのでは無いか?」
怪訝そうな顔をしてノマドが再度手を伸ばす。
そうして手を引っ込めると、ノマドは指先をじっと凝視していた。
「いや、そんな……」
「あ、ごめんなさい。火傷しちゃいました? 先に言っておけばよかったな。その子、体温が高いんですよ」
それも、ものすごく。
ユーシの体は水桶に入れればすぐに湯が沸くくらい熱い。それが尋常でないことは解っているのだけど、こんな世界ならそんな事もあろうと僕は比較的楽観視していた。
「あんた、よく平気な顔で持てたわね?」
驚きのあまり体裁を取り落としたのか、ノマドはジト眼で僕の方を睨んできた。
「まあ、ちょっとしたコツがね」
僕も面倒になって普通に答える。
「コツって、こんなの火傷しちゃうじゃないの!」
ノマドは鼻から大きく息を吸い、吐いた。
「ていうかこれ、魔力の暴走よ。こんなに魔力を放出したら普通はすぐに干涸らびちゃうものだけど、一体どうなってんのかしら?」
なるほど、そういう理由で熱かったのか。僕は納得してユーシの額を撫でる。病気とかだったらどうしようと思っていたのでやや安心だ。
「じゃあ、大きくなって魔力の制御とか覚えれば熱くなくなるのかな?」
「そうね。考えて見ればマリア様も膨大な魔力を持っていて、それを膂力に変換してらしたのね。それにしても、この魔力量はマリア様だって比じゃないわよ」
ノマドはどこからか革袋を取り出すと僕に押しつける。
「金貨が入っているわ。この子を五歳、いや四歳まで育てたら私の元まで連れてきなさい。その時はこの十倍を支払ってあげる」
重さからすると、この袋だけでも家が買えるような大金ではないか。僕はちょっとドキドキした。
「姉のマリア様は怪力、この子は超魔力。それであなたは何かないの?」
ノマドの目つきは僕の目方を量るように上下に動く。
「いや、残念ながら僕は全然。強いて言えば熱さや寒さに強いくらいで」
僕の返答にノマドは失望を隠さなかった。
「あのねえ、この子みたいに魔力が強くてその上コントロールも出来ないのなんて魔族からしたら恰好の獲物なの。アンタ、ちゃんとこの子を守れる?」
そう言われるとツラい。僕は徹底的に荒事を避けてこの人生を送ってきたのだ。
「守れないと思うから、王国騎士様には是非お守り頂きたく……」
ノマドは深いため息を吐いて首を振った。
「今回の任務が終わったら何か手配をするわ。しばらくアンタひとりで守っているのよ」
「はあ」
言われるまでもなく、僕は甥の面倒を放棄したりしない。
「なんか不満そうね。大丈夫かしら。まあ、とにかく私は帰るからね。また来るわ」
ノマドはじっと僕を見ながら扉を開け、真っ暗闇の外へ出て行ったのだった。
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