うちの甥っ子が伝説の勇者になる日まで化物退治する羽目になりまして

イワトオ

第1話 マリア姉さん

「はあ、姉さんが戦死ですか……」


 告知官を名乗る老人に僕はアホの様な顔で聞き返した。

 あの強靱な人でも死ぬことがあるんだな、と思うと同時にだから産後すぐの戦列復帰は止めておけと言ったのにな、なんて思う。

 マリア姉さんは控えめに言って常人離れした怪物で、素手でオーガとか絞め殺す恐ろしい人だった。だからまあ、出産のダメージは傍目に見えず産んで五日で魔物討伐の前線に復帰してしまったし、周囲も異例の行動を許容した。

 マリア姉さんはせっかちな人だったから日々増大しているという魔物による侵攻圧に気を揉んだのだろう。


「あの、一応僕が代わりに行こうかとも言ってはみたんですけどね」


 僕の言葉に、老告知官は姉が見せたのと同じ笑みを浮かべる。

 強者とかそんな評価と無縁に生きてきた僕だ。こういう視線には慣れている。


「とにかく、マリア殿は地方を救った英雄でありました。これに報いるため王は些少ながら年金をご遺族に。ご遺族はそなただけかな?」


「あ、今は寝ているんですけど、奥に姉の子が……」


 ある面では姉の判断を過たせた怪物がその時、眼を覚ましたらしく大きな泣き声が響いてきた。

 僕は年金の証書というものを受け取ると、愛想笑いで老告知官を追い出して姉の息子、ユーシの元へ走った。


「よしよし、ユーシ。もう泣く必要は無いぞ!」


 子育てなんて初めてなのだから半ばヤケクソである。

 僕は生後二ヶ月の甥っ子を抱き上げ調子外れの歌とともにデタラメに踊った。

 小さい頃からずっと腕っ節が強かった姉は村長の推挙により幼い頃から軍学校に入っていた。

 両親がなくても僕が暮らして行けたのは彼女の給金と、村人の温情によってである。今後も彼女の遺族年金で暮らしていけるのだからつくづく姉には頭が上がらない。

 せめて彼女の子くらいは立派に育てないとあの世からでも殴りに来そうで恐ろしい。


「ほらユーシ、泣き止んだね。えらいぞ」


 踊り続けているとユーシは上機嫌になり泣き止んだ。

 しかし、ここからが大変で踊りが止むと彼は再び泣き出す。

 母があの規格外女傑だったからか、短い間とはいえその乳を飲んだからかユーシはやたらと体力があった。放っておけばそれこそ三日三晩は泣き続け、調子がよければその声も村中に届く。

 親切な村人たちを寝不足にしないためにはとにかく僕が疲れるまで踊り続け、それから気づかれないように上機嫌なユーシを寝床に戻すしかないのだ。

 一時間も踊り続けたころ、いきなり視線を感じて僕は動きを止めた。

 寝室の入り口に見知らぬ人影が立っていたのだ。


「ええと、どちら様?」


 先ほど老告知官を追い返したばかりで来客の予定はない。

 この辺では勝手に入ってくるオジサンやオバサンが沢山いるけれど、見知った顔でもない。

 華奢な女性。それもとびきりの美人だった。

 と思った瞬間、たまらなく恥ずかしくなる。

 誰も見ていないと思ったからこそデタラメな歌も踊りも出来たのだ。


「ごめんなさい、声は掛けたんですけど!」


 僕の恥ずかしさが伝播したのか、女性も顔を真っ赤にして手を振る。


「あの、全然見てないですから。気にしないでください」


 声を掛けても返答はないのに、奇妙な歌が聞こえてくれば気にはなるかも知れない。

 そうして、きっと一部始終を見られたのだ。もうお嫁に行けない! 男だけども。


「いや、ええと、なんのご用ですか?」


 とにかくわざわざ入ってきたのだから、なにか用があるのだろう。

 恥ずかしさを紛らわす為に僕はことさら大声で尋ねる。

 女性は慌てた様に口をパクパクと動かしたあと、ようやく言葉を探し当てる。


「マリア様、そうマリア様はご在宅でしょうか。私、王国騎士のノマドといいます。マリア様とは軍学校で……私が後輩でしたけど」


 しかし、せっかく並べた言葉を遮るようにユーシは再び泣き出し、僕は仕方なく彼をあやす事に集中しなければならなかった。


 ユーシが比較的、早めに寝てくれたのは救いだった。

 とはいえ既に日は沈んでしまい、家の中は真っ暗になってしまっている。

 ユーシを寝床に置き、汗を拭うと一息吐く。


「あの、いいですか?」


 ノマドの存在を完全に忘れていた僕は思わず悲鳴を上げそうになったのだけど、寝かしつけの苦労を無にしないため必死に飲み込んだ。

 ノマドは真っ暗な台所の椅子に腰掛けて僕の子守を見ていたらしい。

 それなら灯りくらい着けてくれればよかったのに。

 僕はそっと寝室のドアを閉め、台所の蝋燭に火を灯す。

 頼りない灯りがノマドの顔を浮き上がらせ、僕も椅子に腰を下ろした。

 毎日の労働とはいえ、慣れるものではなく腰が悲鳴を上げている。


「突然、推参いたしまして大変失礼します。あらためて私、王国騎士のノマドと申します」


 長時間待っている間にすっかり落ち着いたのだろう。ノマドは厳粛な面持ちで自己紹介をした。王国騎士と言うことは王様直属の武力集団である。所属するにはしっかりした家柄としっかりした推薦人が必要で、いかに腕が立とうともこんな山村出身の姉なんかまったく相手にされなかった筈だ。

 しかし、軍学校は一般人も入校できるし、騎士団への入団を控えた良家の子女も入学することがあるとは聞いている。後輩と言っていたので、その辺の知り合いだろう。


「ええと、残念ですが姉は……」


 死んだ、と言おうとして言葉に詰まる。

 まさに今日、姉の死を知り同じに日に姉の知人が尋ねて来る。

 喉の奥に湧く苦いものを飲み下して、あらためて「死にました」と伝えた。

 その行為は身近な肉親の喪失を強く意識させ、あらためて心に暗い影を落とす。

 が、その影もノマドの表情に吹き飛ばされてしまった。

 整った顔をどうやればここまで歪める事ができるのか。そのヘンテコな表情は悲しみを叩きつぶし、むしろ笑いを噴き出しそうだった。

 貴族を笑うと大変である。僕は軽く舌を噛んで笑いを堪えると、さも悲しみにうな垂れているのを装って視線を床に落とす。


「嘘でしょ?」


「いえ、あの……」


 笑いがこぼれそうなのだけど、言葉に詰まるのはむしろ悲しんでいる体でいい。


「あの、鋼鉄の睾丸と呼ばれるマリア様が?」


 またどえらいあだ名を持っていたものだ。何より、似合いすぎてついに笑い声がこぼれてしまった。

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