第5話「忘却」






   5話「忘却」





 ミキは白い洋服を着ており、緑色の髪と服を風でなびかせながら、ゆっくりと降りてきた。ふわりと裸足のままの足で地面に着地する。


 目の前の少年が人間じゃないというのがわかり、時雨は咄嗟に薫の前に立ち、彼女を庇うように両手を広げた。



 「おまえ、誰だよ」

 「誰って、さっき君がミキって名前をくれたじゃないか」

 「ミキ………って、この木の事か?」



 時雨は大きな楠を見上げる。もちろん、目の前にはその大木がある。けれど、少年が木だというのはどういう意味なのか。時雨は怪訝な顔で少年を見た。

 すると、少年はまたニッコリと笑った。時雨とは違って、何故か嬉しそうだった。



 「んー、何て言えばいいかな。そうだな、君たちの言葉で言えば、楠の妖精かな。この森を守っている妖精だよ」

 「妖精………」

 「妖精さんっ!?」



 時雨は信じられずに、また少年を睨むように見たが、後ろにいた薫は違った。目をキラキラさせて、自分から少年に駆け寄ったのだ。



 「あ、おい、薫!」

 「ねぇ、妖精さん。妖精さんが、私の事助けてくれたの?」

 「あぁ、そうだよ」

 「ありがとう、妖精さん。」

 「僕の事はミキって呼んでよ」

 「ミキね!ミキ、私達とお友達になりましょう?」

 「それはいいね。友達になろう」



 薫は勝手にそんな事を決めてしまっていた。時雨は咄嗟には「何でこんな奴と友達なんかにっ!」と言ってしまう。すると、薫はすぐに怒った表情を見せ、時雨に詰め寄ったのだ。



 「私の事助けてくれたんだよ?悪い人じゃないよね?………人、じゃくて悪くない妖精さんだよ!」

 「それはそうだけど………」

 「それに妖精さんと友達なんて、素敵だよね。沢山遊びましょうね、ミキ」

 「うん!遊ぼうね」



 薫に押しきられる形でミキも友達になる事になった。無理矢理に握手をさせられたが、ミキの手の感触は今でも覚えている。

 あいつの手はとても温かくて、日だまりのようだった。



 


 それからと言うもの、学校帰りには必ず山に向かい、ミキと薫と3人で遊んで過ごした。休みの日もお弁当を持って、山へと向かった。

 ミキはいろんな事を知っていた。木々や草、花の名前、山にいる昆虫や動物、小さな洞穴の場所。この山の妖精だというのを、時雨はすぐに信じた。

 仲良くなるのに時間がかかると思っていたが、ミキの人懐っこさや明るい性格のおかけで、時雨はすぐに打ち解けたのだった。


 虫採りをしたり、動物の絵を描いたり、川遊びや雪遊びをした。毎日クタクタになるまで遊んでいた。

 魔法のような力があるチセだったけれど、遊ぶ時はほとんど使わなかった。薫や時雨が怪我をした時に、薬草を出してくれたり、危険な動物や昆虫が近づいてきたりした時だけ、力を使ってくれた。だから、薫も時雨も彼に「魔法を見せて」とは言わなかった。ミキと一緒に遊べるだけで楽しかったので、気にもしていなかった。



 そんなある日。

 数十年に1度の流星群が見られると、ニュースで話題になっていた。



 「今夜だね、流星群!」


 

 薫が言うと、ミキは不思議そうに「流星群ってなに?」と聞いてきた。手には、薫が自宅から持ってきたたい焼きが握られていた。


 仲良しの友達がいると知り、薫や時雨の母親はおやつを3人分準備してくれていた。けれど、大人にはミキが妖精だとは話していない。ミキが「大人には言ってはダメ。教えた途端、君たちは僕が見えなくなるよ」と、言われていたため、その約束を守っていた。


 

 「流星群っていうのは、流れ星が沢山見られるんだ」

 「そうそう!お家からも見れるかな~」

 「流れ星か。だったら、夜もこの森においで。この町の中で、ここが1番綺麗に見えるし、星空に近いんだよ」



 それを聞いて、薫と時雨はこっそり家を抜け出す約束をした。



 そして、その日の夜。

 3人で草むらに横になり、流れ星のシャワーを間近で見た。

 村の明かりがほとんど届かない森は、星空がよく見えた。寝転がって見る夜空はどこかしこも、キラキラと光宝石のようだった。


 流れ星はとても多く、数えられないぐらいに落ちてくる。3人は話すのも忘れて、流星群がみせる星空のショーを楽しんだのだった。



 「ねぇ、時雨、ミキ。いつまでもこうやって3人で過ごせるといいね」

 「そうだね」

 「…………それは、いい願いだね」



 いつもならば、ミキは明るく「当たり前だよ!」と答えるはずの話しだった。

 けれど、その時のミキは何故かとても寂しげな声だったのに、時雨は気づいた。



 「ミキ?」


 

 時雨がミキに声を掛ける。時雨と薫に挟まれるように寝転がってたミキは、時雨の方を見て、少し苦笑したまま人差し指を立てて、自分の唇に当てた。「しー」という、静かにという意味だとわかり、時雨はそれ以上は何も言わなかった。

 目を輝かせて星空を見つめる薫を、ミキはただ嬉しそうに眺めていた。




 ミキは何を不安に思っているのか。

 ミキは時々寂しそうな顔をするようになった。けれど、それは2人にバレないように隠れて見せていた表情だった。けれど、時雨は人の変化に敏感な所があったので、すぐにミキの異変にも気づいた。何度か心配して尋ねた事もあったけれど、ミキは「何でもないよ」と、笑うだけだった。






 けれど、その不安が何だったのか。すぐにわかる事になった。

 それは、時雨と薫が10歳になった頃だった。



 「おい、どこに行くんだよ!森に行くだろ?」

 「時雨。何で、森に行くの?」



 いつもならば、「早く森に行こう!」と急かす薫だったが、その日は違った。何故かランドセルを背負い、そのまま帰宅しようとしていたのだ。



 「何って遊びに行くんだろ」

 「私、図書館に行くつもりだったんだけど………」

 「何でだよ!ミキに会いに行かないのか?」

 「ミキ…………あ、そうだよね!ミキに会いに行かなきゃ!……どうして、忘れちゃってたんだろう?」

 「…………」

 「ほら!行こう、時雨」

 「あぁ………」



 薫はミキの事を時々忘れるようになった。時雨が話せばすぐに思い出して、また森へ行き、ミキと遊ぶ。けれど、また次の日になれば忘れてしまう。

 その事を、時雨はミキに伝えられずに居た。

 それを知ったなら、ミキが悲しむと思ったからだ。



 時雨はミキの気持ちに気づいていた。

 ミキは薫が好きなのだ。

 薫を見ると、頬を染めてとても嬉しそうに笑うし、別れるときは泣きそうなぐらいに悲しむ。風邪をひいたり、怪我をすれば心配して山の薬草を沢山集めて、「これを薫に!」も時雨に託したりもしていた。

 そんなミキに、薫がミキの事を忘れ始めている、など言えるはずもなかった。



 けれど、とうとう恐れていた日が来た。



 「ミキ………?誰だっけ………?あ、時雨の新しいお友達?」


 

 放課後にいつものように薫を引き止めて、「ミキの所に行くぞ」と言っても、薫は不思議そうに時雨の事を見るだけで、全く思い出そうとしないのだ。まるで、そんな過去がなかったというように、忘れているのだ。



 「じゃあ、おまえ、今まで森で誰と遊んでた?」

 「森に遊びに行く時は時雨と2人だったでしょ?」

 「違うだろっ…………何でだよ………」

 「時雨、どうしたの?」

 「なんで、ミキの事忘れてんだよっ!!」

 「………っっ、時雨?!」



 時雨は、薫に大声でそう怒鳴ると、彼女から離れてすぐに学校を飛び出した。

 向かった先はもちろん山のてっぺんにある楠の大樹。この日は暑い日で、時雨の体から汗が滝のように流れ落ちてきた。けれど、そんなの気にしている暇はなかった。



 どうして、薫は忘れてしまった。

 あんなに大好きで大切で、ずっと一緒に居たいと流れ星に願うぐらい大事な友達を忘れてしまったのか。


 ミキは妖精だ。写真に撮っても彼の姿は写らない。それなら、忘れてしまったらどうやって思い出せばいいのだ。忘れてしまったら、ミキとの思い出がなくなるのか?

 そう思うと、悔しくて仕方がなかった。



 山の頂上に着くと、ミキは1番低い枝の上に座って、空を眺めてた。

 時雨の足音が聞こえたのか、近づくとこちらを見た。そして、隣に誰もいない事に気づくと、悲しく微笑んだ。



 「………薫、忘れちゃったんだね」

 「…………どういう事だよ!」

 「女の子は大人になるのが早いからなー」

 「ミキ!説明しろよっ!」



 時雨が怒りのまま大きな声を上げると、ミキはひらりと枝から飛び降りた。飛ぶように舞い降りたミキは、時雨の前に立つ。

 そして、「落ち着くんだ、時雨」と優しく語りかける。それは、少年というよりは時雨よりはるかに年上の大人のようだった。



 「薫はね、もう子どもじゃなくなったんだよ」

 「それは、どういう………」

 「僕はね、妖精。あやかしの1種。…………子どもにしか見えない存在なんだ」



 夏空を背にしてそういうミキの表情は固くなっていた。




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