祈夜ルート 2話「はにかむ赤い顔」






   祈夜ルート 2話「はにかむ赤い顔」





 葵羽と会ってからしばらく経った。


 彩華は、あの日からどうしようもなく気分が下がってしまい、仕事が終わるといつも以上にぐったりとしてしまった。子どもの前では笑顔を作り、いつも通りにしようと徹底していた。その反動から疲れが増してしまうようだった。


 そのため、もちろん祈夜の店には行けるはずもなかった。

 それに、葵羽の告白を断ったと行ってすぐに彼の元に行くのも何だか良くないような気がしたのだ。

 彩華は職場から駅へと向かう道と店へと向かう道がわかれる場所で、いつも見えない店の方を1度眺めた後に、家へと帰っていく。


 彼は何をしているのだろうか?寒くなったけれど、風邪などひいていないだろうか?

 そんな事を思いながら、彩華は彼への想いをめぐらしていた。





 そんな日々が続いていたある日。

 彼からの連絡は突然やってきた。



 『今日、店来れるか?』



 祈夜からのメッセージはただそれだけだった。けれど、とても彼らしいと思う。

 彩華は「仕事終わりにお邪魔するね」と返事をした。今は昼休みの時間。彼からすぐに『待ってる』と返事がかえってくる。


 たったそれだけのやり取り。

 それなのに、久しぶりに「楽しみ」という感覚を覚え、彩華は自分が自然と笑顔になれている事に気づいたのだった。

 そして、残業もほとんどせずに、化粧直しをいつもよりしっかり行って足早に店へと向かったのだった。



 「こ、こんばんは………」



 まだ、「closed」と書かれた看板がドアかかっていたが、彩華はゆっくりとドアを開ける。控えめだがドアのベルがカラカラと鳴った。カウンターで食器を拭いていた祈夜が音に気づいて顔を上げる。彩華と目が合うと、少し恥ずかしそうにはにかみながら「久しぶり」と迎えてくれた。


 彩華はいつものカウンターに座ると、「寒かっただろ?」とすぐにホットコーヒーを淹れてくれる。「それ飲んで待ってて、今シチュー作ってたんだ」と、彼は奥の調理場へと行ってしまう。

 一人になり、彩華はコーヒーにミルクを入れて一口飲む。すると、寒かった体の中にコーヒーが巡っていくのがわかった。

 そして、フーッと一息をつく。まだ3回目のこの場所。けれど、彩華にとっては落ち着ける空間になっていた。初めはあんなに緊張したのが嘘のようだった。


 会ったばかりなのに、彼には心を許してしまっている。そんな自分に驚きながらも、もうここからは抜け出せない。そんな予感がしていた。


 祈夜が作ってくれた豆乳のクリームスープをカウンターに並んで食べる。他愛ない話しをしたり、少し無言になったり。そんな時間さえも心地よかった。

 その後ホットカクテルのホットバタードラムという飲み物を貰った。そのお酒はとてもラム酒にバターを溶かして飲むそのカクテルは、シナモンの香りがして、彩華はとても好きな味だった。とても美味しくて興奮して「おいしいよ!祈夜くん」と言うと、祈夜は子どもに言うように、「また作ってやるから落ち着け」と笑った。


 そのたった1杯のお酒で酔ってしまったのか。久しぶりの甘い雰囲気で緊張してしまったのか。頬が赤くなり、眠くなってしまったかのように、彩華の瞳はとろんとしてしまった。

 そんな彩華を見て、祈夜ははーっと大きなため息をついた。



 「祈夜くん?どうしたの?」

 「………俺、おまえの事好きだって言ったよな?……なのに、そんな無防備な顔してんなら、襲うぞ」



 苦笑しながらも、少し意地悪な口調で言う祈夜に、彩華は少しムッとしてしまう。

 彼は彩華が葵羽の告白を断ったのを知るはずもないのだから、彩華の気持ちがどう固まったかも想像もしていないはずだ。祈夜の態度は仕方がないとは思いつつも、彩華は大人げもなく、「わかってないんだから!」なんて、思ってしまう。



 「………いいよ……」

 「………お、おまえ何バカな事言って………彩華には好きな男がいるだろ………」



 想像もしなかった返事だったのだろう。

 祈夜は動揺した様子を見せながらも強気でそう言っている。

 けれど、ここまでくると彩華も止められなかった。



 「告白されたんだけど………断ったよ」

 「………え………」

 「私、祈夜くんの事が好きだって気づいたから」



 お酒の力を借りたからだろうか。

 自分でもこうやってはっきりと彼に告白の返事が出来るとは思っていなかった。

 緊張してしまう気持ちはもちろんあった。けれど、早く彼を知りたかった。それに、また手を握ってほしかったし、彼の傍に居たいと思った。そう思ったら、自分の口は勝手に動いていた。


 彩華の顔や耳、首元まで真っ赤になっているだろう姿を、祈夜は驚いた顔で見つめていた。恥ずかしくて視線を逸らそうとも思ったが、彼に自分の気持ちをしっかりとわかって欲しい。その一心で彼の瞳を見つめた。


 すると、祈夜は彩華の熱が移ったように、頬を赤面して「………信じられない」と、髪をくしゃくしゃとかいた。その後、祈夜は彩華に顔を寄せた。



 「もう1回言って?」

 「……祈夜くんが好き……」

 「…………うわ………やばいな………嬉しすぎる」



 そう言って祈夜は手で口元を覆った。

 彩華はその言葉が嬉しかった。



 「もう1回言わせて。………俺と付き合ってくれないか?」

 「………はい」

 「ありがとう………本当に嬉しい」



 そう言うと祈夜はハニカミながら微笑んだ。

 目の前には自分の好きな人。そして、その人は自分を好いてくれている。それがとても特別な事だと、胸がいっぱいになった心でわかった。


 お互いに微笑み合った後。

 祈夜の手を自分の頬に伸びてきた。目を細めて、とても愛おしそうに自分を見てくれる。彼の指が頬に触れる。


 彼が何をしようとしているのか。

 経験がない彩華であっても、それぐらいは理解出来た。

 恥ずかしさと、ちょっとした期待、そして幸せさを感じながらゆっくりと瞳を閉じる。自分の全感覚が唇に集中しているような気がした。

 ドクンドクンッと、胸が高鳴る。


 祈夜とキスをするんだ。



 そんな風に思った。


 


 「お疲れ様でーす!あ、彩華さん!久しぶり…………って、俺なんか……邪魔した?」

 


 突然店のドアが開いた。

 その瞬間、彩華と祈夜は咄嗟に体を離しお互いに違う方向を向いていた。祈夜がそのスタッフに睨みをきかせていたようで、スタッフは謝罪をしながら店に入ってきた。



 「彩華、行くぞ」

 「え………?」

 「あと、これ片付けてて」

 「はいはい。さっきのお詫びにやりますよ」



 先程入ってきたスタッフは、前に彩華と話した年上のスタッフだった。顔を真っ赤にした彩華を見て、大体の事を察知したようだった。

 彩華が「すみません……」と彼に言うと、そのスタッフは口の動きだけで「よかったね」と祝福してくれた。


 彩華がコートを着ると、祈夜は彩華の手を取った。そして、いつものように彩華の手を引いて歩き出す。後ろを振り替えるとスタッフの男性が手を振って見送ってくれていたので、彩華は小さく頭を下げてから彼の後を歩いた。



 「………ったく、わざとじゃないかってぐらいイイ所で邪魔された。漫画かよ……」

 「………でも、ちょっとドキドキしたね」

 


 彩華がクスクスと笑うと、怒っていた祈夜も「確かにそうだな」と笑い始めた。

 今日は今年一番の寒さになると言っていたのに、彩華はそんな風には感じられなかった。手を繋ぐ温かさも隣を歩く人が恋人になってくれたという事実が、体温を上げてくれているような気がした。



 「……なぁ、今日は俺の家に行かないか?」

 「え………」

 「付き合い始めたばかりは、やっぱりダメか?」

 「………ううん。行きたいよ」



 どうしてだろうか?

 彼の前だと何故か素直になれる。

 こんな恥ずかしいことを言えるような性格じゃないはずなのに。そんな事を思いながらも、彩華は彼との時間が増えた事が嬉しくて仕方がなかった。

 もちろん、恋人の家にお邪魔するという意味もわかっている。もしかしたら、そういう事もするかもしれないと。

 けれど、それを期待している自分もいるのは事実だった。



 「あぁ………やばい……」

 「え?どうしたの?」



 呻くように言葉を漏らした彼に、彩華は驚き彼の顔を覗き込んだ。すると、祈夜の頬は真っ赤になっている。

 そんな姿にドキッとしながらも、「可愛い」なんて思ってしまったのは彼には絶対に内緒だ。



 「嬉しすぎて、ニヤける」

 「…………そんな事言わないでよ。私もニヤけちゃうよ」

 「おまえもニヤけてるならいいや。ほら、行くぞ」

 「………うん」



 手を繋ぎ、照れくさそうに歩く男女。

 それは、いい大人の2人だったけれど、学生のように初々しい雰囲気を醸し出していたのだった。





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