葵羽ルート 12話「強引なキス」
葵羽ルート 12話「強引なキス」
☆☆☆
葵羽から逃げるように走り去った彩華は、電車のホームで呆然としていた。
目は腫れてだろうし、化粧はボロボロのはずだ。そんな状態で街にいるのは恥ずかしいけれど、何故だかこの場所に座ると涙がこぼれてくるのだ。そんなわけでなかなか電車に乗ることが出来なかった。
約20分はその椅子に座り、涙を我慢したり、こっそりハンカチで流れてきた涙を拭いたりしてやっとの事で電車に乗れるまで落ち着いた。
本当は冷静に話すつもりだった。
自分の気持ちを話して、彼が話してくれるのを待っていこうと思っていた。
けれど、彼が自分を信じていない事がわかり、彩華はショックを受けてしまったのだ。そして、悲しみは怒りに変わり、葵羽に向かって声を荒げてしまった。
そんな情けない自分に溜め息が出てしまう。
だが、葵羽の言葉を聞いて胸を痛めたのも事実だった。
確かに、告白された男の元へ行っていたのはダメな事なのかもしれない。けれど、理由も何も聞かずに「浮気」と決めつけられたのは、とてもショックだった。
葵羽への彩華の気持ちは全く伝わっていなかったのだろうか。
好きだと言っていた言葉や行動は、彼にはわからなかったのだろうか。
彩華は、そんな事を思い、また大きくハーッと息を吐いた。
先ほど起こった出来事を思い返す度に、涙が出てきそうになる。電車に乗っている間は忘れようと目を瞑るけれど、その事しか考えられずにいた。
葵羽との関係はもう終わりだろうか。初めて恋人との時間はこんなにもあっけなく終わってしまうのか。
誰かに好きだと言って貰える嬉しさと気恥ずかしさ、好きな人と手を握り、抱きしめあう幸福感、キスをする嬉しさ。会っていない時もその人の事を考えてしまったり、次はどんな会話を交わすのだろうか、どんな時間を共に過ごせるのだろうか。そんなドキドキとした時間を彼はくれたのだ。
「別れたくないです………葵羽さん」
ケンカをしたばかりで、彼から逃げてきたというのに、そう思ってしまう。
彩華は、やはり彼が好きなのだと実感出来た。
けれど、彼の本当の事を知らなければ、また同じように不安な日々を過ごすだけになってしまう。それはわかりきっている事だった。
自分は、これからどうすればいいのか。
電車から降り、とぼとぼと静かな住宅街を歩いていた。
いつもより体が重い。早く家に帰りたい。そう思って、足を早める。やっとの事で自分のアパートの玄関の明かりが見えてきた。すると、家の前に見慣れた車が停まっているがわかった。
葵羽の車だ。
彩華は咄嗟に逃げたいと思った。
けれど、彼が車を停めている場所は自分のアパートの前だ。こんな夜中に彼から逃げてどうなるのだろうか。どこに行けるわけでもない。
けれど、自分から彼の元へと迎える勇気もなく、少し離れて場所で彩華は足を止めてしまう。
「彩華さんっ!」
するの、葵羽の声が静かな道に響いた。彼が車から出てきて、彩華に駆け寄ったのだ。
「………葵羽さん………」
「………先ほどは、すみませんでした。私が、焦りすぎていました。彩華さんを心配させた上、傷つけさせてしまいました………」
「………あの、私は………」
「彩華さんに、これを」
葵羽は、コートのポケットから、1枚の紙を取り出して渡した。暗くてよくわからないが、何かのチケットのようだった。
「これは………?」
「ここに来て欲しいのです。この日、この場所で待っています。………そして、彩華さんに全てをお話したいです」
「…………はい」
彼のとても真剣な眼差し、そして言葉に、彩華はしっかりと頷いた。
彩華の気持ちが伝わったのだろう。それがとても嬉しかった。そして、葵羽が別れるではなく自分と向き合ってくれる事に、彩華は安心した。
彼からどんな話しをされるかはわからない。
けれど、葵羽との距離が少し縮んだように感じられて、安堵の笑みを浮かべた。
すると、葵羽は彩華を道路の壁に隠すように、突然抱きしめた。彩華の体がよろめいて、コンクリートの壁に肩がぶつかる。けれど、頭や腰は彼が待っていてくれたのか、ガードされている。
夜中で人通りが少ない道といえど、いつ誰かが通るかわからない公道だ。
彩華はそんな場所で抱きしめられてしまった事に驚き、声を上げた。
「葵羽さん、誰かくるかもしれません。だから離して……」
「離したくありません」
「そんな…………」
「彩華さんを手離せるはずないです」
「………葵羽さん」
「今は全てをすぐに上手く話せる自信がないのです。………だから、こうしてあなたに私の気持ちを伝えます」
ゆっくりと彼の整った顔が近づいてくる。キスをされるとわかり、彩華は咄嗟に顔をそむける。けれど、すぐに片手で頬を抑えられ、後頭部は彼の手と壁に押し付けられて逃げ場がなくなってしまう。
こんな強引にキスをされる事などなかったかもしれない。
あんな事があったからなのか、葵羽から焦りを感じた。
「………いやっ………」
「だめです。逃がしません。僕がどれだけあなたを愛しているか。唇から感じてください」
「っっ………ん…………」
冷たい唇が彩華の口に触れる。ビクッと体を震わせてしまったのは寒さのせいなのか。
彩華は彼のキスに翻弄され、ただ与えられる甘い吐息を感じていた。
それと共に、彼がとても強く体を抱きしめ、そして彩華が倒れないようにと優しく抱き止めてめくれている。キスもゆっくりと彩華を味わうかのように、優しく動く。口の中を彼の舌が蠢き、彩華はその刺激の強さに目眩がしそうだった。労るように、それでいて強く彩華を求める葵羽。
それは、紳士的だけど、少し強引で俺様っぽさがある葵羽そのもののように感じられた。
葵羽からのキスをしばらくの間堪能させられた彩華の唇から彼が離れる。それと同時に深い息が吐き出されると、2人の白い息が混ざりあって空に消えた。
葵羽はそれを見つめたあと、目を細めて彩華の瞳を覗き込んだ。
「私を信じてくれて、ありがとうございます………次に彩華さんに会えることを今から楽しみにしています」
チケットを握りしめていた手に触れた後、葵羽は彩華の髪に短いキスを落とし、「おやすみなさい」と、名残惜しそうにしながらも、自分の車へと戻っていった。
彩華は彼が去った後に、よろよろと歩き始め部屋に戻った。
「ずるいのは、いつも葵羽さんですよ」
彩華は唇を押さえながら、そう呟いた。
彼からの想いはいつも沢山伝わっている。
後は、このチケットがどんな葵羽をみせてくれるのか。彩華はその1枚の紙を見つめて彼を強く想ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます