葵羽ルート 13話「仮面の男」
葵羽ルート 13話「仮面の男」
葵羽から貰ったチケットには、少し離れた街にある大きな会場だった。その場所はコンサートやミュージカルなどが行われる施設になっていた。
そして、その日はクリスマスの数日前だった。
アーティスト名は「エリック」と書いてあった。その人の事はわからなかったけれど、クリスマススペシャルコンサートと書いてあるので、きっと音楽関係なのだろうと思った。
それにアーティストを調べようと検索もしてみたけれど、エリックについては公式HPはあるものの会員限定サイトのみで、中身を見ることは出来なかった。
「謎のコンサートだなぁー」
彩華はベットに横になりながら、そのチケットを眺めていた。
彼がこのコンサートで何を伝えたいのか。彩華にはわからない。けれど、葵羽が自分に向かって1歩近づいてくれたのは理解する事が出来た。
葵羽が自分から動いてくれる事が、彩華は嬉しかった。きっと、彼は他人が自分に求めている事には敏感に気づくことが出きるのだろう。だからこそ、些細な変化に気がつく。だからこそ、彩華は沢山、彼に甘えさせてもらっていた。
では、彼は彩華に何を求めていたのだろうか?
きっと、彼はまだ彩華に本当の気持ちを出していないんじゃないかと思えた。
「この日、本当の葵羽さんに会えるんだよね」
そう一人呟き、彩華はチケットを何度も見つめた。
期待もあれば不安もある。
けれど、彩華は彼を信じると決めたのだ。
この日まで、彩華は待とうと決め、彼と繋がるチケットを大切にサイドテーブルにしまったのだった。
それから数日後。
仕事が終わり、1度帰宅し着替えなど済ませた後に急いでコンサート会場に向かった。
電車を乗り継ぎ、到着した場所には沢山のお客さんが開演を待っていた。ほとんどのお客さんが女性であるが、年齢層は幅広かった。もちろん、男性も居た。
会場内に入ると、すぐに目についたのがステージの中央にある一台のグランドピアノだった。
それを見た瞬間に、彩華はドキッとした。
彩華は胸の高鳴りを押さえるようにゆっくりと呼吸を整えながら、自分の席を探した。
すると、中央のとても見やすい席だというのがわかり、更に緊張してしまう。
もしかして………という考えが頭をよぎる。
開演までの数十分が彩華にとって、とても長く感じられた。
緒注意のアナウンスや、開演5分前のブザーの音も、彩華の耳にはほとんど入ってこないぐらい、ドクンドクンッという大きな鼓動が聞こえていたのだ。
客席の照明がゆっくりと落ち、ステージが明るく照らされる。特に明るい光がピアノに射し込まれ、黒い宝石のようにキラキラ輝いていた。すると、ステージ袖からカツンカツンッと足音が響いた。このコンサートと主役が登場するとわかり、お客さん達が息を飲んで登場してくる人物を今か今かと待ちわびている。そんな雰囲気を彩華は肌で感じていた。
ドクンドクンッという音は次第に大きくなった。
ステージ袖から出てきた人物を見て、彩華は1度「え……」と、声を洩らしてしまった。そこには、黒いスーツを着た、細身で長身の男がゆっくりと歩いていた。けれど、その男性の顔は中世ヨーロッパの仮面舞踏会でつけられていたような、真っ白な面にきらびやかな石や羽で飾られた仮面がつけられていた。
驚いているのは彩華だけで、周りのお客さん達は沢山の拍手で仮面の男を迎えていた。周りの人たちから、小声で「仮面をつけていてもかっこよさは隠れてないわよね」という、声まで聞こえた。
その仮面の男は、ピアノに座る前に観客に向けて、綺麗にお辞儀した後、ピアノの椅子に座った。
すると、拍手は止まり会場には一時の静けさが訪れる。観客は皆が仮面の男を見つめている。男が優しく鍵盤に触れ、そして優雅な腕の動きから指で鍵盤を叩き始めた。
「ぁ…………」
それはピアノの音にかき消されてしまうほど、小さな声だった。
思わず声を出してしまったのに、理由があった。仮面の男が弾き始めたのは、ドビュッシーの「月の光」だった。
彩華が葵羽のピアノを初めて聴いた時の曲と同じものだった。
その音色を聞けば、あの仮面の男が誰なのか、などわかってしまう。いや、彩華は男が出てきた瞬間から仮面の男が葵羽だとわかってしまった。
葵羽の描く優しい音色が会場を包み込む。仮面の男を見る観客達はうっとりとした表情を浮かべたり、とても心地良さそうにしていた。
彩華はぎゅっと手元に置いてあるバックを握りしめた。
葵羽は沢山の観客を魅了する演奏家だったのだ。
彼が秘密にしていた事。神主以外の仕事とは、これの事だったのだろう。
葵羽が何故この事を自分に内緒にしたのかは、彩華にはわからない。けれど、彩華に話そうとしなかった秘密の仕事。
それを、彩華の目の前で堂々と伝えてくれたのだ。
それが嬉しくて、思わず涙ぐんでしまうけれど、今は葵羽の奏でる綺麗な音楽を聞いていたかったし、彼の晴れ舞台をしっかりと目に焼き付けておきたかった。
彩華の部屋で彼が弾いてくれた「月の光」。その時の葵羽の姿と重ねながら、彩華は彼の作る華やかなこの空間に浸っていったのだった。
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