葵羽ルート 7話「どうして?」






   葵羽ルート 7話「どうして?」





 それからと言うもの、彩華は彼に話をしようと試みるけれど、なかなか切り出せずにいた。

 タイミングが合わなかったり、言い出しにくかったりしたのだ。

 

 あれからの葵羽は特に変わらずに優しい彼だった。けれど、相変わらずに葵羽の自宅には呼んでくれなかった。

 葵羽の自宅に行けば、何をするのか何てわからないほど子どもでもない。付き合ったことがなくても、その意味だってわかっている。

 けれど、彼の部屋へ呼ばれない理由の方が、彩華は心配で仕方がなかった。



 「彩華さんはクリスマスは空いていますか?」

 「え…………」

 「ボーッとしてるね。お酒飲み過ぎたかな?」

 「ご、ごめんなさい…………。大丈夫です」

 


 今日は前回行けなかったレストランでの食事だった。「少しお洒落をしてきて」と言われていたので、ワンピースに少し高めのヒールを履いて、髪も巻いたりして準備をしていた。

 迎えに来た彼はいつも通りかっこよかったけれど、前と同じようにスーツ姿だった。

 そんな彼が連れていってくれたのは、ホテルの最上階にあるレストランだった。

 

 ホテルに車を停めた瞬間に、高級ホテルとして有名なため、もちろん彩華にもその場所がわかった。



 「あ、あの………このホテルですか?」

 「うん。前回デートをキャンセルしてしまったお詫び。それに、いつも料理を作ってくれるから。ここ来たことあった?」

 「いえ、こんな素敵な所………来たことなんてないです」



 唖然としながら、ホテルの入り口にある大きなツリーを見て、そのまま高いビルを見上げながら言うと、葵羽は微笑みながら「それはよかったよ」と、彩華の手を握った。彼にエスコートされるままに通されたのがレストランだったのだ。

 ただの保育士をしているだけの彩華にとって、高級ホテルのレストランなど縁がない場所だ。緊張してしまうのも仕方がない。

 席に通されても、どうしていいかわからずに不安そうに葵羽を見つめてしまう。

 すると、彼は「リラックスしていいですよ。ここは、普通のレストランと同じです」と言ってくれた。けれど、雰囲気も料理も、スタッフの対応も何もかも違っていて、彩華は戸惑うばかりだった。



 不安や緊張からか、葵羽の勧めるがままにお酒を飲んでしまったのだ。葵羽に聞きたい事があったはずだが、そのチャンスもなかなか訪れずに来てしまった。



 「酔っている彩華さんを見るのも新鮮ですが…………もう眠たくなってますね?」

 「大丈夫れすよ。……あれ?だいじょぶです?」

 「………これは大丈夫じゃないですね」



 酔っぱらって上手くしゃべれなくなってしまった彩華を見て、葵羽は苦笑ながらそう言った。お酒には強かったはずなのに、彩華は社会人になってからあまりお酒を飲まなくなってしまった。久しぶりだったため、酔ってしまったようだった。


 葵羽はそのままお会計を済ませた後。

 彩華の手を取って、エレベーターに向かった。

 最上階のレストラン。エレベーターに乗れば、後はただ下へと向かうはずだった。


 ポンッと、エレベーターが到着した事を告げる音が優しく廊下に響いた。

 葵羽の腕を掴んだまま、エレベーターに乗った。扉が閉まった瞬間、彩華の視界が突然暗くなった。そして、唇に何かが触れそして、口の中がぬるりとして、体がすぐにビクッと震えた。彼にキスをされている。今までされた事のないような深いキスに、彩華はくぐもった声を上げた。彼の言葉さえも食べられているような感覚だった。静かなエレベーターに水音と吐息が聞こえた。彼の腕も強く握りしめようとした時だった。


 ポンッとまた、エレベーターが鳴った。

 もう1階に着いたのだと思い、2人は唇を離した。葵羽の顔をちらりと見ると、彼はペロリと舌で唇を舐め、妖艶な瞳でこちらを見て微笑んでいた。彩華は体が震えるのを感じた。それはきっと彼の色気を感じて体が反応してしまったからだとわかり、彩華は全身が熱くなっていくのを感じた。



 「ぇ………」



 葵羽の手を引かれて降りると、そこにはエントランスにあったクリスマスツリーはなかった。

 代わりに、ふかふかの絨毯が引かれた廊下があり、沢山の部屋の扉が並んでいたのだ。

 葵羽が降りたのは、このホテルの宿泊部屋のフロアだった。


 彩華はドクンッと自分の胸が鳴ったのがわかる。お酒を飲んでいるからではない。そんな事はわかっている。

 これから起こる事を理解しているからだ。



 一番奥の部屋のドアに彼がカードキーをかざすと、青いランプが光り、カチャンッと音が鳴った。そして、部屋の扉が開くと葵羽は「どうぞ」と、まるで自分の部屋に招き入れるように言った。

 この部屋に入るか、入らないか。

 彩華の手を離した葵羽に、自分で決めると言わんばかりに彼が聞いたように思えた。


 彩華は酔っているからなのか、心の中でそうしたいと願っていたからかはわからない。

 迷うことなく、その部屋へと足を踏み入れたのだった。


 パタンッとドアが閉まると、葵羽は「ありがとう」と言って、ニッコリと微笑んでいた。

 

 部屋は薄暗くライトがついていた。

 窓際には窓があり、葵羽がカーテンを開けて、彩華を手招きした。すると、そこには綺麗な街の夜景が広がっていた。少し都心部から離れているため、遠くに見えるのがまた星たちが輝いているようだった。



 「綺麗ですね………」

 「君にこれを見せたかったんだ。以前、仕事でここに泊まったことがあってね。とても良かったから」

 「そうだったんですね」 



 彩華は窓に手をついて、その夜景を眺めた。ひんやりとした感覚が手のひらに伝わってくる。彩華の火照った体には気持ちよかった。



 「さっきはごめんね。………頬が赤くなって、とろんとしている瞳を見たら、我慢出来なくなってしまいました」

 「………恋人なんですから、我慢しなくてもいいんですよ?」

 「でも、今日は我慢します」

 「え?」

 「お酒を飲んでいる彩華さんに手は出しません」

 「…………我慢しなくていいんです、と言っても?」

 「…………そうです」



 何でですか?と、聞こうとした口は彼の唇で塞がれてしまう。

 確かに今でもふらふらとしるし、気持ちが高ぶり、体がふわふわしている。だからと言って彼とそうなってもいいという思いが嘘ではない。

 彼にもっと強く抱きしめて欲しい、もっと彼を知りたい。

 そう思っているのに、彼は何故か求めてくれない。


 こうやってホテルに2人というシチュエーションで期待してしまうのは当たり前ではないのか。そう思っても、彼のキスは先程より深くないいつもの短いキスを繰り返すだけだった。



 「葵羽さん………」

 「………突然ここに連れてきてごめんね。…………キスして抱きしめるから、朝まで一緒に過ごしてください、ね?」

 「…………はい」



 嬉しいはずなのに、どうして切ないのだろうか。

 彼はどうして自分を求めてくれないのか。

 大切にしてくれているとは感じるのに、葵羽のものにしてくれない。


 それは何故?



 彼に抱きしめられながら、彩華はぼーっとする頭でそんな風に思っていた。





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