第7話「揺らぐ想い」






   7話「揺らぐ想い」





 家に帰ってからも、何通か祈夜とのメッセージのやり取りをしていた。

 「仕事帰りにでも飯食べに来て」とメッセージを貰い、彩華は「どうしよう………」と考え込んでしまったのだ。


 祈夜と出会ったのは休みの日で、かなり気合いを入れておしゃれをしていた。それを見て祈夜は「かわいい」と言ってくれたのではないか。そんな風に思ってしまったのだ。


 保育士は体力勝負の仕事なので、仕事終わりはいつもヘトヘトになってしまうし、メイクも薄いし、髪もただ1つに結んでいるだけだった。

 そんな状態で行ってもいいのだろうか。そんな事を考えて、彩華はハッとした。



 「べ、別に好きな人に会いに行くわけじゃないし。むしろ、行かなくてもいいんだよね……」



 そう思いつつも、次にいつ会えるのだろうか。そんな風に思ってしまう自分がいた。


 葵羽という気になる人がいるのに、少し雰囲気が悪くなったら、声をかけられた男に気持ちをすぐに変えるのか。

 そんな自分の気持ちの変化に気づき、彩華はため息が出るほど嫌な気分になった。



 葵羽に憧れて、おしゃれまでして食事にまで誘おうとまでしてしまったのに。

 頭の中では、違う男の人の事を考えてしまっている。

 もちろん、葵羽の事を考えれば胸はきゅんとなるし、別れ際の事を思い出せば切なくなる。



 あんなにも男性に興味がなく好きな人も出来なかったのに、どうして今は2人の男性について悩んでいるのだろうか。

 不思議で仕方がなかった。


 

 祈夜からのメッセージを見つめたまま、しばらく考えたけれど、彩華はどうしていいのか考えがまとまらずに、そのままスマホをテーブルに置いたのだった。








 それから数日後。


 彩華は葵羽の神社に向かっていた。

 というのも、クラスの子ども達から「神社で落ち葉で遊びたいー!」とリクエストがあったからだった。

 彩華は葵羽に会いづらくなってしまい、散歩先に選ばなかったが、子どもたちからの要望となると断る事など出来なかった。


 けれど、子ども達がいれば緊張しないでは話せるかもしれない。そして、あの日の事を謝らなければいけないと思っていたので、訪れるのは調度いいと考えるようにした。


 だが、少しずつ目的地である神社に近づいていく。彩華は神社が見えてきた辺りから、「今日は居ませんように」と心の中で祈ってしまっていた。


 しかし、その願いは神様には届かなかった。

 いつものように、神社の敷地内の落ち葉の掃除をしている葵羽が居た。



 「あ………彩華先生。こんにちは」

 「こんにちは、葵羽さん」

 


 一瞬眉毛が下がり困った顔になったのを彩華は敏感に察知した。けれど、その表情は一瞬でいつもの穏やかな笑顔になった。



 子ども達に挨拶を促した後は、いつものように自由遊びだ。

 子ども達の様子を横目で見ながら、彩華は葵羽の方を向いた。

 彼と視線が合うとやはりドキドキしてしまう。



 「先日はお祭りに誘っていただき、ありがとうございました。」

 「いえ。こちらこそ、来ていただきありがとうございました。………あの後は無事に帰れましたか?」

 「あ、はい………」



 彩華はドキッとしてしまう。

 まさか、知らない男の人に助けて貰って、その人のお店でご飯を食べた後に告白されました、など言えるはずもなく、彩華は曖昧に返事をする。

 すると、「そうですか……」と、何故か安心した様子に微笑んだのだ。葵羽は電車が止まっていた事を知っていたのだろうか。



 「あの………葵羽さん。あの日は、葵羽さんの事を考えずにお食事にお誘いしてしまってすみませんでした。……私が………軽率でした」

 「え……あ、そんな事はないですよ!あの、彩華先生にお話視したいことが………」

 「彩華せんせーい!けいた君が転んで足から血出てるよー!」


 葵羽の言葉を遮る幼い声。

 広場で遊んでいた子どもが彩華を呼んでいるのだ。



 「あ……大変っ?!………今行くからねー!葵羽さん、すみません………」

 「いえ。子ども達の所へ行ってあげてください」

 「はい」



 葵羽が何を言いかけたのか気になったけれど、子どもが怪我をしてしまったのを放っておく事は出来ない。散歩リュックから救急箱を取り出して、子ども達の元へと向かった。



 子どもの怪我は転んだときに出来たかすり傷だが、泣いてしまっていたので今回は早めに散歩を切り上げて帰ることにした。

 葵羽には「お騒がせしました」と謝罪をしたけれど、彼は「お大事に」と言うだけだった。


 いつものように子ども達に優しく手を振って、葵羽は見送ってくれたのだった。



 





 その日は保育参観の準備があり夜遅くまで仕事をしていた。

 けれど、葵羽の言葉の続きや祈夜のメッセージの返信を考えてしまい、集中する事が出来なかった。後輩からも「珍しく、ため息多いですねー!大丈夫ですか?」と、心配されてしまうぐらいだった。

 なんとか保護者に配布する資料を作り終えた彩華はフラフラになりながら保育園を出た。



 「うー………今日は疲れた………ご飯食べないで寝てしまいたい」



 そんな言葉が自然と出てしまうぐらいに彩華は疲れていた。いつもより考え事をしていたからだろうか。

 仕事が好きで毎日イキイキと仕事をしていたので、久しぶりにこんなにも疲れてしまい、大きくため息をついた。いつもよりも、何倍も疲労を感じていた。

 恋愛はやはり自分には向かないのだろうか。

 こうやって仕事中も考えてしまうほどに夢中になってしまうとは思っても見なかった。

 それでも、結局はどうしていいのかわからないのだ。



 「彩華っ!」

 「っっ!!」



 誰かに名前を呼ばれ、そして右手に温かい感触。誰かなど考えなくてもわかってしまう。


 彩華が振り向くと、そこにはむすっとした祈夜が立っていた。


 

 「祈夜くん………」

 「おまえ、何既読スルーしてんだよ」

 「ご、ごめん………どうしていいのかわからなくて」



 彩華は気まずくなり、思わず視線を下に向けてしまう。彩華が歩いていたのは駅近くの少し繁華街から離れな場所だった。祈夜の店にも近い場所だ。彼が居る事も考えたけれど、こうやって偶然会うはずとないと思っていた。

 けれど、こうしてまた出会ってしまった。これも何かの縁なのだろうか。


 彩華の答えが気に食わないのか、祈夜は強い口調で「なんだよそれっ……」と、言い捨てた。



 「仕事帰りに寄ればいいだけだろ。飯食べにくるだけでもいいし、俺が好みじゃないなら、断ればいい」

 「だ、だって………仕事帰りには寄れないから」

 「は?何でだよ………」

 「あの日みたいに綺麗な格好もしてないし………お化粧とかも派手に出来ないから。その………ね………」



 彩華が必死に自分の思いを伝えようとあたふたしながら話すのを、祈夜はポカンてしながら聞いていた。

 そして、その後「くくくっ」と突然笑い始めたのだ。



 「え、何で笑うの!?」

 「いや、だっておまえ、それ…………クククッ」



 笑いが我慢出来ないのか、まだ笑っているが、祈夜の手は彩華を離すことはなかった。

 彩華は彼が何故笑っているのか、わからずに彼が落ち着くのを白い目で見つめながら待っていた。



 「もうっ!どうして笑ってたの?」

 「俺に綺麗にしてる姿じゃなきゃ会いたくないなんて……少しは俺を意識してくれてるって事なんだなーと思って。何か嬉しくて笑えてきたんだよ」

 「え、それは違うよ……」

 「ち、違うってなんだよ……」

 「……祈夜くんは、きっとおしゃれした私を見て声を掛けたんだろうなーって思って……仕事で化粧も取れちゃって、ヘトヘトになってるし。……別人だと思われるかなって」

 「………そんな事ないだろ。今、おまえが歩いてるってすぐにわかったし、別に化粧してるしてないとか、服装とか俺はあんまり気にしない」

 「………そ、そうなの?」

 「今日の彩華も可愛いと思う」

 「………っっ!!」

 「あ、照れただろ?」

 「照れてないよっ!」



 すっかり機嫌が良くなったのか、祈夜は彩華の顔を覗き込んでニヤリと笑った。

 彼の真っ黒でキラキラと光る瞳がとても綺麗だった。

 

 祈夜の言葉は、悩んでいた彩華の心を軽くしてくれた。そして、素の自分を「可愛い」と言ってくれた。

 そう、葵羽もそうだった。


 それを思い出した瞬間、彩華はズキンッと胸が痛んだ。

 彩華は葵羽と付き合っているわけではない。自分だけの片想いだ。けれど、こうやって2人の男性の間をフラフラと気持ちを揺られてしまうのはよくないように感じたのだ。

 そして、祈夜は彩華に告白までしてくれているのだ。


 自分の気持ちをしっかりと見つめて、早く決断しなければ。

 彩華は繋がれた手を見つめながら、そう思った。




 「ほら、腹減ってるだろ?今日はうちのスタッフのうまい飯にしよう」

 「祈夜くんが作るんじゃないの?」

 「俺はほとんど作らない。あの時は特別だったんだから感謝しろ」

 


 そんな他愛もない話をしながら、並んで見世まで歩いていく。

 この楽しい時間と、手の暖かさを今だけは浸っていよう。


 彩華は微笑みながら彼との時間を過ごす事にした。









 そんな所をあの人に見られていたとはこの時は全く気づくことはなかった。




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