第6話「初めての特別」






   6話「初めての特別」




 どうして誰の特別になれないのだろう。

 誰かを好きになれないのだろう。


 街ですれ違う仲良しのカップルを見ると、みんなどこで出会って、どこで恋をするのだろうか。

 世界にはたくさんの人がいるというのに、どうしてお互いに好きになるという奇跡が起きるのか。

 そんなのはありえないようなのに、みんな恋人になり結婚をする。


 そして幸せそうに微笑むのだ。


 好きになっても相手が好きになってくれることなんて、奇跡なのだ。

 彩華はそれを身をもって体験した。それが、ついさっきだ。始めての事に、恋愛をするのが怖くなってしまいそうだった。



 けれど、今は何だか心地いい。

 体がふわふわして、温かい。うとうととして、今すぐにでも深く眠れそうなぐらいだ。


 それなのに邪魔をする人がいる。

 先ほどから、ゆらゆらと彩華の体を揺らしている。



 「おい、起きろ。電車動き始めたらしいぞ」

 「………ん………眠い……」

 「他の客の邪魔になるだろ」

 「彼女さんならいいよー。寝させてあげなよ。今は俺ら常連しかいないし」

 「か、彼女じゃねー!ほら、いいからいくぞ」

 「ん………」



 騒がしい声を聞き、彩華は目を擦りながらゆっくりと体を起こした。すると、バサッと何かが落ちる。彩華が後ろを見ると、ブランケットだった。それを見て、温かく感じたのはこれを掛けてくれたからだとわかった。

 彩華はブランケットを拾って彼に渡した。



 「あ………ごめんなさい。私、ウトウトしてしまって………。」

 「酒作ってる間に寝るなよな。キングピーターは俺が飲んだ」

 「え………そんな………」



 彩華はテーブルの上に置いてある氷だけになったグラスを切なげに見つめた。すると、男は「飲み過ぎなんだからいいんだ」と言って彩華の手を取った。



 「……え………」

 「駅まで送る」

 「でも、仕事中じゃ………」

 「俺の仕事は開店準備。今日はスタッフも全員いるからいいんだよ」



 そういうと、スタッフの一人に「少し外出る」と声を掛けて、男はズンズン歩いて行く。この店に来た時と同じように彩華は引っ張られるままに店を出ていく。


 先程よりも、夜は深くなり辺りは真っ暗になってきた。この時期は暗くなると少し寒くなる。先ほどの温かさから一転して急に冷たい空気に当たり、彩華はブルッと体を震わせた。



 「寒いか………?」

 「あ………ううん。大丈夫です。あの、さっきのご飯とかカクテルのお金お支払いさせてください」

 「いいよ………それぐらい。俺が勝手に連れてきたんだし。あれ、メニューにないものだから」

 「…………でも、助けて貰った上に食事なんて………」



 彩華は申し訳なさそうにそう言うと、男は後ろを向いたままだった体を彩華の正面に向けた。

 まだ繁華街からは少し離れた遠い道。

 行き交う人もほとんどいない。

 車の音やどこかで電車が走る音が聞こえるけれど、聞こえるのはそれだけだった。



 「文月祈夜(ふづきいりや)」

 「え………?」

 「俺の名前。お金の代わりに覚えて」 

 「文月さん?」

 「俺、22歳なんだけど。おまえより年下なんだから、さんはいらないし名前呼べよ。それに敬語もやめろ」

 「えっと………祈夜くん?」

 「ん…………」


 

 彩華が名前を呼ぶと、祈夜は少し恥ずかしそうにニッコリと微笑んだ。

 その微笑みは今まで見た事がないぐらいに穏やかでとても優しい物だった。

 彩華は思わずドキッとしてしまい、彼から目を離した。どうして、彼の笑顔を見ただけでこんなにも胸が高鳴っているのか。

 きっと、仏頂面ばかりだった彼の笑顔を見たから驚いただけだ。

 そう彩華は自分に言い聞かせた。



 「おまえの名前は?」

 「あ、天羽彩華。28歳だよ」

 「彩華ね」

 「………さっそく呼び捨てなのね」

 「彩華さんの方がいいのか?」

 「………祈夜くんがさん付けってなんか変な感じするね」

 「………だから呼び捨てでいいだろ」



 そう言うと、祈夜は彩華の事をジッと見つめた。

 バカにいたような笑みでも、無表情でも、不意打ちの笑みでもない。真剣な表情だった。



 「………なぁ、俺、おまえの事気になってんだけど」

 「え………?」

 「俺と付き合わないか?葵羽って男より幸せにする自信あるけど。おまえを不安にさせたり、悲しませたりはしないよ」

 「………な、なんで急に…………」



 突然の告白に、彩華はたじろぎ思わず後退りしてしまう。けれど、手を繋いでいた祈夜がそれを許すわけもなく、先程より強く手を握りしめながら「逃げんな」と、彩華に言った。



 「声を掛けたのはたまたまだけど、でも今一緒にいて何か気になった。話してて可愛いなって思ったし、もっと一緒に居たいって思った。もっと、彩華を知りたいって思った。……それだけじゃ、だめか?」

 「そんな……突然そんな事言われても、困るよ……」

 「………あいつが好きだから?」

 「そ、それは………」



 祈夜の告白に驚きながらも、彩華は彼がそういう思いで自分を見ていてくれた事が、イヤじゃないと思えた。

 言葉は乱暴だけど優しくて思いやりのある彼。料理上手だし、お店のスタッフやお客さんからも愛されているのがわかる、彼の性格や気くばり。恥ずかしがり屋なんだろうなと思う部分もあったけれど、こうやって真剣な表情で告白してくれるのを見て、男らしさも感じてしまう。


 きっと、とてもいい人なのだろう。

 けれど、会ったばかりの人を好きになる事なんてあるのだろうか。

 好きという気持ちに疎い彩華は、彼の気持ちがよくわからなかった。



 「………葵羽さんの事とは別に……会ってすぐに好きになるって、よくわからないかな………」

 「おまえはそうかもしれないけど、俺は好きになったんだよ。仕方がないだろ」

 「そうだけど………」

 「すぐに答えを出さなくてもいい。………でも、俺の気持ちは否定しないでくれ」

 「………うん。ごめんなさい……」



 相手の気持ちなどわからない。

 好きになれないのは彩華自身の事だ。祈夜は違う。自分の考えを押し付けてしまった事に謝罪をすると、祈夜は「いいんだ。すぐに好きになるのは……まぁ、よく考えたらおかしいし怪しいよな」と、苦笑気味に笑った。



 「………連絡先だけでも交換してくれないから。本当に俺が嫌だったらブロックしてくれて構わないから」

 「うん…………」



 2人の連絡先を交換することにした。

 夜の道で2人で連絡先を交換する。きっとありふれた光景なはずなのに、彩華にとってはとても緊張する事だった。

 女子高、女子大学、女性だけの職場。そんな環境で育った彩華にとって、連絡先の一覧に男の人の名前か並ぶのはとても珍しいことだった。



 「ありがと……連絡する」 

 


 祈夜はスマホの画面にうつる彩華の連絡先を見て、また嬉しそうに微笑んでいた。

 そんな姿を見ると、胸がきゅんとしてしまうのだった。



 「駅まで送るよ」

 「………ありがとう」



 繋いだ手はそのままで2人は並んで夜道を歩く。先ほどまでは目の前に彼の背ががあった。けれど、今は違う。横を向けば彼の顔が見れらるのだ。


 彩華はドクンドクンと身体中で自分の鼓動を聞き、緊張した雰囲気のまま駅まで2人で歩いた。

 祈夜と離れた後も、それはしばらく続いていた。



 「どうしよう………」




 彩華は一人きりになってから、ずっと祈夜の事を考えては顔を赤くしていたのだった。




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