第5話「恋をすると美しく輝くお姫様」
5話「恋をすると美しく輝くお姫様」
男に手を引かれて到着したのは、小さなbarだった。
アンティーク調の彫が入った家具が並び、店内の奥にはカウンター。天井から透明なグラスが逆さになってぶら下がっている。
店内のテーブルや椅子も家具と同じ色合いで出来ており落ち着いた雰囲気があった。照明は少し落とされており、オレンジ色の光りが温かさを感じさせてくれていた。
「カウンター座って。何かすぐ作る」
「あ、ありがとうございます………」
男は店の鍵を開けて、すぐにカウンター奥に入った。手を洗った後、レースのカーテンの向こうに入ってしまう。その後、包丁で何かを切る音やコンロや換気扇をつける音が聞こえた。彼が何か料理をしているのだと思い、キョロキョロと店内を見渡した。
先ほど店を開けたばかりなので、もちろん客はいない。この店には自分と先ほど会ったばかりの彼だけなのだと彩華は少し緊張してしまう。
「おまえ、何飲む?」
「へっっ!?」
料理をしていたはずの彼がいつの間にかカウンターに戻って、突然声を掛けられたので、彩華は驚き変な声を出してしまった。
「なんだよ、その声。色気ねーな」
「そ、そんな事言ったってビックリしちゃって………」
「ワイン、ビール、カクテルとかあるけど、飲みたいものある?」
「ビールは苦手で………甘いものなら」
「じゃあ、カクテルな」
「お願いします」
「ん」と短く返事をした彼は、カウンターに並べてあったカラフルな瓶を何種類か取り、グラスに注ぎ込み、ソーダ水のような者を入れてカチャカチャとマドラーで混ぜている。
「はい。もう少しで料理出来るからそれの飲んで待ってろ」
「あ………ありがとう」
イチゴジュースのような見た目のカクテルを見て、そういえばお酒を飲むのは久しぶりだなと思ってしまう。
一口飲むとチェリーの甘さとレモンとソーダの爽やかさが口の中に広がった。初めての味に思わず「美味しい」と声がもれてしまった。
カクテルの味に感動していると、トレイに料理を乗せた男がカーテンから姿を表した。
それを見て思わず彩華はすぐに声を掛けてしまった。
「これ、すごく美味しかったですっ」
「あぁ、それ上手いよな。どんな食事でも合うし」
「はい!おいしい……ジュースみたいにいっぱい飲めちゃいそう」
「あんま飲みすぎると酔うぞ。特に空きっ腹にはダメだ。俺は料理あんまり得意じゃないから簡単なもんだけだからな」
そう言って黒髪の男は、彩華の前に美味しそうな香りが漂ってくるチーズリゾットと、フルーツがトッピングされたフルーツサラダが置かれた。
「すごい…………おいしそうです!」
「そうかよ………」
「はい!いただきます」
彩華は、出来立てのリゾットをいただき「チーズが濃厚でおいしいっ!」と、感想を言いながら夢中で食べていた。お酒もドンドンと進み同じものをまた追加で注文したり、おすすめのカクテルも飲んでしまった。
彼はここの店の代理の店長をしているそうだ。彼の兄がここの店の店長で、時々ふらりと海外に旅行に行ってしまうそうだ。そんな時手伝っているのが、弟である彼。
料理などは他のスタッフがやっており、彼は開店の準備をしたり、スタッフの監視や急な休みがあったときの対応、閉店の片付けなどを任されているらしい。「夕飯食べに来てるだけだけどな」と、言って自分もジョッキにビールを入れて飲み始めていた。
初めて会った人とここまで話が出来るのは、お酒が入っているからなのか、不思議な出会いをしてしまったからなのか、それとも彼の人柄のせいなのかはわからない。
それでも、彩華は早く帰りたいとも思わずに、食事を楽しみながら彼と会話を交わしていた。
はずだった。
「で、おまえは不倫相手にフラれたってわけか」
「違いますよー!左手の薬指に指輪してるだけで……告白もしてないです」
「左手の薬指に指輪って結婚しかないじゃねーか」
「やっぱりそうなんですかね………うぅ………さっきのお酒もう1杯ください」
「いや、飲み過ぎだ。かなり酔ってるだろ」
店のスタッフが来たので、男は彩華の話との話しをずっと聞いてくれていた。
だが、美味しいお酒に酔ってしまったようで、彩華は饒舌になってしまっていた。
自分でも顔が熱く、体がふわふんしていて酔っているわかっているけれど、恋の話は止めることが出来なかった。
葵羽の事を相談する相手もいなかったため、彩華は誰かに話を聞いてほしかったのかもしれない。
そんな風に思いながら、知り合ったばかりの男に話を聞いているが、正論ばかり言われて若干ショックを受けてしまった。
「………今度、しっかり謝らないとな……」
「そこまで気にしなくていいと思うけどな」
「でも………好きだから。そんな相手を傷つけたかとしれないのは悲しいなって思うので」
「………うまくいくといいな」
「ありがとうございます。あ、あのカクテルの名前って何て言うんですか?」
「あぁ……1番始めに飲んだやつだよな。あれは、キングピーター」
「キングピーター……最後に1杯だけ飲んでもいいですか?」
彩華がそういうと、男は「倒れても知らないからな」と言いながらもスタッフにそれを頼まずに自分で作ってくれる。
口調は荒っぽくて強いのに、実は優しいのではないかと会って数時間だけどおもってしまった。
お酒を待っている間、彩華は眠くなってしまいウトウトとしてしまう。
だらしがないと思っていても、頭も瞼も重くなってしまい、彩華は腕をテーブルに置き頭を乗せた。
「今日はいろんな事があったな………」
彩華は小さく独り言をもらした。
考えてみれば、この数時間で今まで仕事ばかりで平穏で毎日が同じ日々を過ごしていた。
けれど、いつもと違う事をしてみれば、新しい発見や出会いがある、と言われている意味を身をもって体験したような気がしていた。
目を瞑ると、最後に見た葵羽の申し訳なさそうな顔が思い出される。
「葵羽さん………」
ここで名前を本人には聞こえるはずもないのだ。それなのについ名前を口にしてしまう。
好きだという気持ちに気づいてすぐに失恋なんて、よくある話だ。
そう思いつつも、悲しみからため息がもれてしまう。
そのため息に紛れて、赤色のカクテルを手にした男の「………あながちキングピーターは間違いじゃないな」という呟きは、彩華の耳には届かなかった。
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