魔女の永訣
カンダレア王国軍、対侵略行為抗戦隊に属する全魔女が、通達役より「緊急招集」の連絡を受けたのは、絶命間近となった酸噛竜の成体とは別に、《亜命心竜》によって呼び出された竜種が出現してから五分後の事であった。
全隊員に告ぐ。《亜命心竜》と推測される魔術の使用を確認。行動可能な者は即座にバクティーヌ特別区、総合案内館へ――。
目的地へ最初に到着したのは、戦隊長ヒルベリア率いる第三分隊であった。皆が魔杖を握り、高速飛行中から《集束》を行いながら、第二の脅威に立ち向かおうとしていたが――。
倒すべき異界の竜が、謎の光弾によって爆砕した事。現場付近に漂う禍々しき魔力、そして……。
人間らしき肉塊の近くに佇む、褐色の肌を持つ《墜堕の魔女》を認めた時、ヒルベリア以外の魔女は思わず身を竦めてしまった。
「……つ、墜堕の…………魔女……?」
通達役が震える声で地表を指を指した。
全身から湧き出ている、淡い、煌めくような火の粉。
命を持ったように揺らめく、薄黄でありながら先端に向かうにつれ、真紅に染まった長髪。
肌理の細かな四肢に走る、悍ましき茨紋。
肉塊を哀れむように細められた、奇々怪々なる横倒しの双眼――。
魔女として生きるのであれば、皆が必ず記憶する特徴に……その魔女は全て合致していた。
コイツが、この魔女がカンダレアを争乱に陥れたんだ!
魔女達は怒り、しかしながら取るべき行動を取れずにいた。
墜堕の魔女を発見次第、拘束或いは殺害せよ――カンダレアだけでは無い、全世界の魔女に等しく通達される「絶滅依頼」は、いざその場に立ち会ってみれば……到底、実行は不可能であった。
異形なる者に、人間は強い恐怖を抱く。人外の力を得た魔女であっても、精神の根源だけは変えられなかった。
「……っ」
カンダレアの国土防衛を引き受ける強力な魔女、ヒルベリア・アンシーもまた……眼前の異形に恐れを成していたが――。
「……貴女が――」
戦隊長という役職が、折れ掛けた精神の支柱となった。
「貴女が……! 貴女がやったんですね、何もかも……!」
声を発する内に、ヒルベリアの語調も強まっていった。
「所属を言いなさい、何処の魔女宗から出て来て、何処の土地からやって来て、今まで何をやっていたのです!? 答えなければ――」
杖の先端が……黙したままの魔女に向けられた。ヒルベリアは既に《集束》を完了しており、機がくれば即座に戦闘を開始出来た。
「拘束だけでは済みませんよ」
戦隊長に倣い、ようやく隊員達も杖に魔力を込め出したが、敵意はおろか魔力すら感じられない異質な存在に、最早逃走すらが選択肢となっていた。
取り囲め――ヒルベリアの符牒通り、魔女達はゆっくりと……なるべく墜堕の魔女を刺激しないように配置へ着いた。その間も標的は動く事無く、鬱々とした表情を浮かべているだけだった。
「黙秘が効くとでも?」
ヒルベリアが苦々しい声で言った瞬間、地表から魔力体で出来た縄が現れ、魔女の身体を幾重にも縛り付け、拘束を完了した。顔をしかめてしまう程の圧痛が生じるはずだったが……。
墜堕の魔女は、唯、切なげな顔でヒルベリアを見つめていた。
「知っていますよね。《擯斥協定》を……。貴女は今、私の気まぐれで生かされている事を理解して下さい。もう一度だけ訊ねます――貴女は何者ですか」
俄に、ヒルベリアが眉をひそめた。
黒き紋様の浮かぶ頬を……一粒の涙が滑ったからだった。
その魔女は、誰かを呪わんばかりの怒声では無く――遣る瀬無さに打ちひしがれたような、弱々しい声で言った。
……私は、何者でもありません。
このカンダレアに、私の縁に繋がる者はおらず、他国にも一人として、私を知る者はいません。定まった場所に住まず、各地の山野を転々として生きております。
朝、この国の近くを通りました。墜堕の魔女の気配を感知し、国土へ侵入しました。
私は、その魔女を殺しました。
それ以上の、貴女方の求める情報は何も持っておらず、また、貴女方を害するつもりも一切御座いません。
二度と、カンダレアに近寄る事は致しませんので、どうか、この愚かな魔女を放って置いて下されば幸いです――。
それからの顛末をお話したい。
墜堕の魔女は、あくまで「認められた上での逃走」を願い出たが、当然ながら抗戦隊は断固拒否し、移送を開始しようとした。
六人分の捕縛魔術を施されていたにも関わらず、墜堕の魔女は、実に悲しそうな顔で、絡まった蜘蛛の糸でも払うかのように、魔力体の縄を解いてしまった。遅れて到着した第一分隊が即座に魔術陣を発動、再度拘束を試みるも失敗。何処かへと歩き出した魔女を、隊員達はやむを得ず攻撃するも――。
振り返りもせず、しかし彼女の背中を護るように出現した奇怪な術陣が、全ての光弾を難なく受け止めてしまった。
次に第二分隊長が仕込み刀を展開し、墜堕の魔女の首筋へ刀身を滑らせたが、皮膚に当たった瞬間、金属を打ったような感触と音が響き、刃毀れが生じた。呆気に取られた分隊長の方を振り返り、魔女は申し訳無さそうに目礼し……。
足下から噴き出た黒い瘴気と共に、その場から霧散してしまった。
果たして、その場に居合わせた者達が消えた墜堕の魔女の本名を知る事は無く、また行方を感知しようにも、周囲に残る「呪力」の残り香を認め、追跡を諦めた。
あの魔女は、魔力を使わない――。
掴み得た、唯一の情報であった。
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