魔女の無き国で

 欲望と快楽が手を取り踊る聖地――バクティーヌの壊滅から一週間が経った頃には、最初は失意に項垂れていた人々も復興に向けて立ち上がり、簡素な昼食が出るだけという奉仕活動も率先して行うようになっていた。


 自らも瓦礫の撤去を手伝いつつ、かつての職場であったバクティーヌをふと眺める……魔女シーミィ・ロンドリオンは、自身の窮地を救ってくれた友人がであると報された時、「そんなはずは無い」とかぶりを振った。


 斬っても突いても断っても殺せなさそうな人物なのに、どうして何の手掛かりも無しに消えてしまうのですか――。


 悲報を携えて来た王国軍の魔女に問うたが、返答は「禍乱の最中に起こった事態の為、当軍としても掌握しかねる」の一点張りであった。シーミィはその魔女の表情に何らかの疑念を覚えたが、と悟るしかなかった。


 再び大量の観光客を招き入れ、悲喜交々の声が飛び交う賭博場の光を見られるのは当分先になるだろう……溜息を吐いたシーミィは、椅子代わりの瓦礫に腰を掛け、警備兵のレンドが持って来た薬草茶を飲んだ。


 のお礼が、キチンと言えていない――シーミィの心残りを知ってか知らずか、高空で鳶の仲間が鳴いた。




「同盟各国に通達し、懸賞金を出してでも即刻、あの魔女を討伐すべきだ」


「彼女は墜堕の魔女が呼び出した竜種を葬り、他者に害を為していない。判断を急いではならない」


 カンダレア王国軍本部、地下二階にある大会議堂で行われている機密会議は、以上の意見が真っ向からぶつかり合った。議題は唯一つ、「一定期間、国内で暮らしていたの事後対処について」である。


 討伐派は血気盛んな武官と多数の魔女が属しており、「安全であった我が国に入り込んでいた悪鬼を、放って置く訳にはいかない」と吠え立てた。


 慎重派は一方で、「同盟国に報せたところで、墜堕の魔女の侵入を許していたと防衛面の悪評が広まるだけだ」と牽制する為、討論は三日三晩続いた。参加者の目元に大きな隈が生まれた辺りで、会議は一旦の終着点を見付けた。


「……討伐対象、ヒナシア・オーレンタリスは、公務員として王国の中枢に入り込み、内部からの崩壊を企んでいたと断定は出来ないものの、双眼に見受けられる忌避的変異の多数の目撃情報、魔力不使用という特異な性質、移送行動への結果的妨害から、擯斥協定で定められた《墜堕の魔女》と認定。同盟国への討伐作戦参加嘆願は行わず、一切の情報を国家秘匿事項とし、対象が王国内に再度侵入した際には、無条件の拘束或いは殺害を行うものとする――」




 跡地から瓦礫が次々と運び出されていく中、濡れ羽色の髪にところどころを混ぜた元魔女、ラーニャ・ヴィニフェラは黙したまま……時折傍を過ぎる作業員に頭を下げるだけだった。


「……なぁ、アレって……ラーニャさんだよな……?」


「多分……そうだろう」


 雑巾のような布切れで顔を拭く二人の男が、離れた場所からラーニャについて耳打ちした。《ラーニャの酒場》の常連客であった彼らは、安くて美味い料理は勿論の事、可愛らしい女主人に会う事もまた、酒場通いの理由だったが……。


「……何か、魂が抜け切った、って感じだよな……」


 愛する店舗の崩壊、手酷い受傷による魔力の供給停止、何よりも――心を寄せてくれていた店員を、結果として負傷させてしまった事実が、彼女を憔悴させていた。


「ラーニャさん、どうやって暮らすんだろうか」


「国からは災害補償金なり何なりが出るだろうさ、しばらくは……うん、大丈夫だと思う」


 男達の心配を他所に、ラーニャは懐から幾つもの封筒を取り出した。それぞれに従業員の名が書かれており、断腸の思いで綴った解雇通知と、僅かばかりの退職金が入っていた。


「……」


 営業再開には多大な時間が掛かる為、給料を払わずに縛り付けるよりはと、「再出発を促す」つもりであった。


「……」


 魔術を修めたにも関わらず、家族の反対を押し切って酒場を営むという決断を、今まで後悔した事は無かった。


 この日――初めてラーニャは自らの選択を「誤った」と確信した。


 魔術を用いて国家の為に働くより、汗を流して働く者達の為、憩いの場を提供する方が良かった。安定した給金を貰うよりも、汗水を垂らし、自らの腕と知恵で稼ぐ金の方が何倍も価値があるように思えた。


「……ごめんなさい……皆……」


 聞こえの良い夢ばかりを追ったせいで、何人もの従業員を路頭に迷わせてしまった――耐え難い現実はラーニャの心を激しく痛め付け、二度と包丁や鍋を使うまいと悪しき決心をさせた。


 フラフラと立ち上がり、避難所へ行こうとしたその時である。「店長」と青年の声が後ろから聞こえた。酸噛竜の襲撃により、痛々しい傷を顔に負ったケーニをはじめ、従業員全員が……そこにいた。


「……け、ケーニ君……皆……どうしたの? 避難所にいるって……」


 一人で行くからですよ――ケーニが笑った。


「店長、ふらーっといなくなったもんですからね……さぁ、帰りましょう。今後の計画を立てなくちゃ――」


 ラーニャはかぶりを振ってから、俯いたまま例の封筒を全て、ケーニに渡した。


「……ぜ、全員分ありますから。少なくてごめんなさい、補償金が出た後にもう一度振り込むけど……きょ、今日で……お別れしましょう」


 ケーニ達は互いに顔を見合わせ、困ったように肩を竦めた。「店長よぉ」と目付きの悪い厨房主任が言った。


「俺達をここでほっぽり出して、後はどうするつもりだね」


「……地元に帰ります」


「帰ってどうする」


「……」


 厨房主任がケーニの腕を小突いた。ケーニはよろめきながらもラーニャにに歩み寄り、封筒を丸ごと……彼女の手に握らせた。


「店長、これ、良い使い道がありますよ。何処でも居酒屋が開ける、大きな屋台を作るんです」


「でも……!」食って掛かるようにラーニャが反論した。


「お酒も、食材も、調理器具も……全部無くなっちゃいました。全部を揃えるのに一体幾らの――」


「その事ならご安心を」経理主任の女が言った。


「災害補償金の他に、《特定事業再開支援制度》ってのがあるらしくって。向こう五年間、びっくりするような低金利で纏まったお金を貸してくれるみたいです。駄目元で申請してみたんですけど……見て下さい」


「…………通った、の……?」


 はい! 経理主任が満面の笑みで答えた。


「正直、飲食店とかって厳しいんですよ、こういうの。でも、窓口で屋号を書いた時、奥にいた――多分魔女だと思うんですけど、その女性が書類を見て、『通してあげなさい』と受付の人に言ってくれたんです!」


「どうだい、店長。こんなにお膳立てして貰ったってのに、まだ尻尾巻いて帰るつもりかい」


 王立銀行の書類を何度も見返しながら、ラーニャは身体を小刻みに震わせていた。


 また失敗したら――また何かが起きたら――今度こそ、私は立ち直れなくなる――。


 こびり付くような恐怖心が、彼女の小さな一歩すらも阻害していた。これを感じ取った厨房主任は、心配そうに女店主を見つめるケーニの肩を強めに叩き、コッソリと「決めろ、若造」と耳打ちをした。それから主任は他の仲間達を連れ、ケーニとラーニャを二人切りにした。


「…………正直、俺達も不安ですよ、店長。屋台の計画が、必ず成功するかは分からないですし」


「……だったら、やっぱり止めるべきです。私はね、ケーニ君……もう皆に苦労を掛けたくないの。貴方達はとても立派です、他のところでも良い条件で雇って――」


「そこに、でしょう。だったら意味が無いです」


 俄にラーニャが目を見開いた。気恥ずかしそうに視線を外しながらも、未だに彼女へ恋心を燃やす青年は続けた。


「……俺達は給料が良いからとか、そういう理由で貴女の下で働いた訳じゃないんです。店長という人がいるから……働いていたんです。何かに付けて世話を焼いてくれたり、お祝いしてくれたり……。言い方はアレですけど、俺達は酒場を好んでという訳じゃなく、んですよ」


 ケーニは咳払いし、「」と名前を呼んだ。


「やり直しましょう、もう一回。この国は疲れていますが、生きています。復興には時間が掛かるものです。長丁場を戦い抜く為に……貴女の存在が必要です、美味い酒に美味い料理、ラーニャさんの笑顔は何よりの活力です」


 目元に潤いが生まれたラーニャは、口元をへの字に曲げ、何とか泣き出さぬよう努めていた。


「お願いします、ラーニャさん――俺達と、


 一緒に働いてくれませんか――ラーニャが新しい従業員を雇う際、面接の終了間際に言う決まり文句であった。


「……さ、さっき自信が無いって言いましたけど、勝算はあるんです! 酒場の評判は既に得ているし、今は肉体労働者もウンと増えているから――」


「ケーニ君」


 消え入りそうな声で――しかし、微かな希望を感じさせる声色で……ラーニャが言った。


「……私も、その計画に……乗せてくれるかな」


 一粒の涙が地面に落ちた。




 移動式酒場の申請書類が衛生局に提出されたのは、それから二日後の事であった。この書類に類を見ない速度で認可の印が押され、未曾有の災害から丁度一ヶ月が経った日に、二台の屋台が王都周辺を練り歩き始めた。


 可愛らしく描かれた、黒い狼の絵が目印の《黒狼屋》は、復興に尽力するカンダレア国内に留まらず、やがては世界的事業へと成長していった。


『黒狼屋、それはもう一つの我が家です』


 このキャッチコピーを考えた創立者は、元々魔女であったという。晩年まで夫と共に屋台を引き(社屋周辺だけであったが)、夫と三人の子供、六人の孫、二人の曾孫に囲まれ、八七年の生涯を終えた。


 後年、彼女の夫は自伝でこう語っている。




 ……今になって思えば、私達の事業は瓦礫の山から出発しました。右も左も疲れた人ばかりでしたが、そこへ屋台を引いて行けば、皆が喜んで酒を飲み、少ない料理を美味い美味いと食べてくれました。


 竜に襲われた私を、愛する町を、妻は必死で護ってくれました。魔術が使えなくなってからは、「今度は私が恩返しをしなくては」と思いまして、未熟ながらも頭を捻り、黒狼屋の原案を考えました。


 妻は最後まで魔女でなくなってしまった事を悔いていましたが、私はそうは思いません。魔術を使えずとも、空を飛べずとも、杖が無くとも、彼女は気高く、崇敬すべき立派な魔女です。


 唯一つ……彼女に直して欲しいところを挙げるとすれば、寝起きが実に悪い、ぐらいでしょうか――。

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