第51話:魔女と豹変

 横殴りの雨が如く――《墜堕の魔女エルキュオーラ》の怨嗟と憤怒を孕んだ光弾が、柔らかな赤みを湛える髪を靡かせ疾走する《焔纏の魔女ヒナシア》の身体へ風穴を開けるべく、暴力的な速度を以てして……。


「ぃいいぃい! 鼠のように、虫のようにぃ!」


 垂直に浮かび上がる魔術陣の中心から飛来した。


 一〇、二〇、三〇と……無茶苦茶に発射される光弾は、ヒナシアの体側を僅かに外れ、舗装路もしくは建物に激突、小規模な爆発を起こした。


 無論、エルキュオーラは自身より一〇〇メートル離れた位置から、着実に接近して来る小賢しいヒナシアを殺害する為に光弾を射出している。狙いを付けていない訳ではなかったし、無数に放たれる光弾一つ一つにを与えていた。


「ぎいぃいいぃ……!」


 自らの歯を噛み砕く勢いで、エルキュオーラは口惜しさに歯噛みした。「仕留めた」とほくそ笑んだ事は幾度もあった。その度にヒナシアは――本当に微かに――身体を捻り、その身から禍々しき光弾を躱したのである。


 そうだ、大きくすれば良いんだ!


 エルキュオーラは閃き、射出されるものの内、四割程の大きさを二倍にした。大小バラバラに光弾を放つ事により、ヒナシアの野性的な回避にを生もうとしていた。


「…………っ!」


 一層、彼女の双眼から赤光が溢れ出す。血涙に似たそれは、に《集束》を行い過ぎたが故の業でもあった。


 やがてヒナシアは加速し、踏み込みによって抉られた土塊が後方へ吹き飛ばされた。約三〇メートルの距離まで接近を許してしまったエルキュオーラは、しかしながら好機の到来を感じた。


《瞬眼圧消》。実に発動が容易く、また殺傷力に長けた便利な術の射程圏に……ヒナシアが自ら飛び込んで来てくれたからだ。


 右に、左に、また右にと動き回る対象に狙いを定め、エルキュオーラは両目を見開き、魔力を集中し――。


 発動した、その時であった。


 一瞬……ヒナシアはエルキュオーラの双眼を見つめた。即座に傍らの木箱を目掛け、強烈な蹴りを食らわせたのである。


「……っ、はっ?」


 木箱は真っ直ぐにエルキュオーラへ向かった。果たして《瞬眼圧消》の射線上を飛んで行った為……木箱はグシャリと四散した。


 そして、エルキュオーラの過失はこれだけで終わらなかった。


 対象を円状に圧壊させるこの魔術は、視覚によって捉えられないものの、が素直な直線を描いて対象へ向かう。その為、発動時は射線の確保が重要となるのだが――。


 狂気に堕ちてしまったとはいえ、優秀な魔女であるエルキュオーラは当然……射線の明瞭化も行っていた。乱射されていた光弾も、この時だけはヒナシアから発動源を直線で結ぶように、綺麗な空白を作り上げていたのである。


「見えていた……? まさか……」


 その実、ヒナシアは透明な魔力体を看破していない。彼女には唯、「いきなり生まれた空白」だけが見えていた。類い希なる闘争感覚は、微かな違和感を逃す事無く、受傷も無く――。


「……嘘だ、嘘だ……」


 エルキュオーラから、残り五メートルの距離までの接近を可能とした。


「嘘だ嘘だ! そんなのある訳無いんだぁああぁ!」


 横倒しの双眼は血塗れの妖光で溢れ、不可思議な瞳孔すらが見えなくなった。それまでエルキュオーラを守護していた魔術陣はガラスのように割れ、空中へ消えた。


「お前、違うな!? お前はじゃないな!?」


 突風に似た音が辺りに響いた。エルキュオーラが魔力を集束し、増幅し、活性化させた為であった。


「こっちに来るなぁぁあっ!」


 刹那、小さな魔術陣がエルキュオーラを護るように現れ、ヒナシアの急接近を食い止めた。稲光に似た閃光が走り、ビリビリと紋様の縁が揺れた。


「ふぅーっ、ふぅーっ!」


 華奢な身体を震わせ……エルキュオーラは子供のように泣いていた。


「何なの!? 私が悪い事でもしたって言うの!? 何でそんなに私を殺そうとするの!?」


 泣き叫ぶ魔女に構わず、ヒナシアは俄に魔杖を取り出すと、その先端に魔力を集中させ、《三界焼砲》なる術を発動しようとしたが――。


「お願いです、止めて下さい! 唯の子供なんです、貴女達を狙う事なんて出来ません、だからお願い、この子らを殺さないで下さい! お願い、お願いします!」


 突然、エルキュオーラはを吐きながら土下座をし、額を何度も地面に打ち付け出した。


「私が言って聞かせます、貴女達を怨んではならないと言い聞かせます、お願いです、お願いです、ここは非戦闘領域のはずでしょう!?」


 未だにヒナシアの杖は輝いていたが、一方のエルキュオーラはを見ているかのように、出血しながらヒナシアを見上げた。


「止めて、止めてぇ! お願いです、お願いですから! 止めて、止めて、止めて! 杖を降ろして下さい、殺さないで、殺さないで下さい、その子達を見逃して下さい! 止めて、止めて下さい!」


 エルキュオーラは手を伸ばし、誰もいない方向を見つめ、「殺さないでくれ」と懇願し続けたが……。


 やがて、双眼は大きく見開かれ――涙が零れ落ちた。


「…………思い出させたな。!?」


 それまで魔力を集中していたヒナシアが大きく屈み、一気に後方へ跳んだ。数瞬の内に――立っていた地面から、赤錆びた刀剣のようなが幾つも飛び出した。


「こっちもですか……」


 着地予定の場所からも棘が飛び出した為、ヒナシアは即座に箒を発現、空中へ避難した。エルキュオーラは宙に浮いたままのヒナシアを睨め付け、荒い呼吸で「お前のせいだ」と怒鳴った。


「折角忘れていたのに、折角! お前みたいなのせいで――また私は誰かを怨まなくてはいけないんだ!」


 墜堕の魔女は素早く両手に唾液を塗り込み、思い切りに地面を叩いた。くぐもったような魔術の発動音が響き渡り……。


 悪寒と共に頭上を見上げたヒナシアは、思わず歯噛みした。


「お前が悪いんだ、お前が全部悪いんだ――お前が死なないから悪いんだ!」


 地域一帯を覆い隠すような魔術陣、その中心から顔を覗かせたのは――横倒しの瞳を持つ、爛れた外皮の竜種に似た生物であった。錆びた鉄を擦り合わせたような鳴き声を発した生物は、大きく口を開き……。


 竜吹砲の発射準備に取り掛かった。


《亜命心竜》――国家をも相手に出来る魔力を持った魔女が発動出来る、「自身の性質に似通ったの創出」の魔術であった。過去に五人、この魔術を実行した魔女がいたが……四人はその場で魔力を消失し、死亡。残りの一人は創り出した竜に喰われてしまった。


 発動自体が致命的な魔術、その一つが《亜命心竜》だった。


「……流石は、墜堕の魔女という……訳ですか」


 は、高空よりバクティーヌを――ヒナシアを――目掛け、口内を妖しく輝かせた。飼い主であるエルキュオーラは涙を流しながら嗤い、「そうか、お前がそうだったんだな」と叫んだ。


「アハハハハ! お前だったんだな! あぁ見ていると思い出すよ、その髪、肌、目付き!」


「……知り合いに墜堕の魔女はいませんけど」


「知り合いじゃないもの、こっちが一方的にお前を知っているんだ! その節はどうもありがとう、お陰で私は――」




 こうなりました。




 パチン、とエルキュオーラが指を鳴らした。呼応するように魔術陣から出でた竜は、更に口を開き……。


「後はよろしくね」


 墜堕の魔女が一気に空中へ飛び上がった瞬間、強烈な閃光が辺りを包んだ。

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