第49話:魔女と焔纏

《春暁の夢》にて四〇年、修練生の指導教育に当たったドローナ・デンは、《墜堕の魔女》について魔術学会から取材を受けた時、記者に対して次のように語っている。


『――墜堕の魔女達は、何も忌夜の闘争後に発生したものでは御座いません。ずっと昔……魔女という存在がこの世に生まれた、俗に言う神代と呼ばれる時代から、世界各地で存在していたのであります。


 大きく分けて、魔術には発炎はつえん生水きすい地造ちぞう利風りふうの四大性質がありますが、私達は時に、これらに加えて暗陽あんよう明陰みょういんの二性質を利用します。


 暗陽と明陰は非常に似通った性質で御座いまして、また非常に応用が利きます。基礎的な魔力操作として、修練生にはこの二性質概念を教えますが、キチンと使いこなす為には、それはそれは大変な苦労、或いは天賦の才が必要となります。ですから修練生には四大性質を重点的に学ばせ、二性質が理解出来ずとも育てます。


 墜堕の魔女は、非常に独特な術を使用します。通常の魔女では到底習得が叶わないものも、彼女らは容易く発動出来る事から、暗陽と明陰を高次元で使いこなす、魔術の天才、とも言えるでしょう。


 先程、二性質が理解出来なくとも、と言いましたが、逆に言えばその二つを完全に理解出来れば、四大性質の術は飛躍的に上達が見込め、転移術、飛行術、念動術、治療術、作用術などを容易く発動、また強化が可能となります。


 墜堕の魔女達は二性質を高域で感覚的に捉え、奇想かつ危険な術を行使出来る上、精神状態が常に不安定、そして私達魔女を捕食する点から、発見次第の殺害対象となっております。


 ……はどのくらい存在するか、というご質問を受けて、そういえばと私は思いました。娘同然に扱ってきた出身者の中で、果たして彼女らを撃退、或いは殺傷出来るか……考えた事が御座いませんでした。


 まず、この私、ドローナ・デン。と言いたいところですが、残念な事に純粋な闘争においてはやや、力不足な面が否めません。お恥ずかしい事に、昔に竜種と対峙した際、討伐隊の魔女達にご迷惑をお掛けしまして。


 実際、そのような才能は実戦でしか確認出来ず、また極力実戦などに巻き込まれぬよう修練生には伝えておりますので、闘争に長けた出身者を見出す事自体、難問でした。


 一人だけ、この子はと思える出身者を知っております。


 その子は座学が苦手でしたが、非常に体術に長けておりましたし、同時期の子達で最も早く、練体術――身体能力の爆発的向上を見込める術です――を習得しました。


 奇妙な縁があり、彼女を修練生として迎えましたが……あの子であれば、もしくは墜堕の魔女と渡り合えるかと思われます』




 瘴気にも似た魔力を撒き散らしながら、真っ直ぐに向かって来るエルキュオーラ・ジャベロに対し――ヒナシア・オーレンタリスは蹲踞の姿勢を取って左足を一杯に伸ばすと、自らの身体を支点とし、踵を使ってグルリと地面に円を描いた。


 すぐにヒナシアは杖を円の中――即席の魔術陣である――で突き立て、《風瞬岩体》なる魔術を発動した。


 元より優れた身体能力、これの更なる向上を可能とする練体術の一種であった。


 一方のエルキュオーラは唾液を両手に擦り込み、吹矢を吹くような動作を行い……舗装路を吹き飛ばしながら直進する利風系統の魔術を発動した。ヒナシアがこれを躱すべく、大きく跳ね上がった瞬間、墜堕の魔女は地面を蹴り付け、ヒナシアの頭上へと移動した。


「甘いよ」


 右手がジンワリと輝き、果たして巨大な斬馬刀が握られていた。エルキュオーラは大きく腰を捻り、ヒナシアの頭蓋から股下までを両断すべく、獰猛な刀身を滑らせた。


 煌めく長髪をなびかせながら、ヒナシアは迫り来る刀身を見つめ、左手に魔力を集中――。


 鉄鉱石以上の硬度としなやかさを持った左拳とし、空を裂くような速度で刀身を殴り付けた。当然、エルキュオーラの右手は衝撃によって反時計回りに大きく動き、一瞬だけ自身の首元へ巻き付いた。


 俄に、ヒナシアが大きく息を吸い込んだ。口端より火花が散り出し、これを認めたエルキュオーラは素早く魔術発動を目論んだが……。


「っ」


 数瞬、ヒナシアが速かった。


 ブフゥッ、と一気に吐き出された息は、外気に触れて間も無く岩をも溶かす灼熱の火炎へと様変わりし、墜堕の魔女を包み込んだ。


「ぎっ……!」


 輝くような火炎は、しかし魔力を孕んでいる為にエルキュオーラの身体へしつこく纏わり付く。先に着地したヒナシアは杖を抜き取り、魔術陣の中から退避した。間髪入れずに輝く杖の先端をエルキュオーラに向け……。


 円の中心から橙色に光る溶岩を噴出させた。魔術陣をごく小規模な活火山に見立て、魔力によって再現した溶岩を容赦無き魔術――《火胎生焔》が、墜堕の魔女を襲った。


「ぎゃっ――」


 子猫を踏み付けたような悲鳴が上がった。間も無く魔女の身体は焼け落ち、ボタボタと残骸が落下した。溶岩は淡雪のように消え去り、エルキュオーラ以外を焼き尽くす事は無かった。


 ヒナシアは言葉一つも発さず、焦げた右腕、焼け爛れた左足などを見下ろした。やがて残骸はプルプルと動き出し、氷のように溶け始めると……地面の中へ染み込んでしまった。


 しかしながら――ヒナシアは目を閉じ、全身から魔力体を緩やかに放出した。紅緋に煌めく魔力体は、彼女の周囲二メートル程で揺らめいていたが……やがて、右斜め後方の一団がフワリと舞い上がった。


 一秒後、舗装路を突き破ってエルキュオーラが現れ、斬馬刀によってヒナシアを串刺しにしようとした。が、魔力体を検知器代わりに使用したヒナシアは、刀身より更に奥――。


「っ?」


 エルキュオーラと抱擁を交わせる距離にまで……間合を既に詰めていた。


 最初に――ヒナシアは褐色の左足を相手の股よりも奥に滑らせた。次にストンと腰が落ち、「シュッ」と短く息を吐きながら腰を、両足を、身体全体を捻り……。


 身体の側部による体当たり……否――に等しい圧力を以て、エルキュオーラを吹き飛ばしたのである。しかしエルキュオーラは血反吐を吐きながらも、魔力を込めて腕部の膂力を向上、斬馬刀をヒナシアに向けて投擲した。


「――っ」


 身体を屈め、顔面に飛来する斬馬刀より低く、仰向けに倒れ込むような姿勢を取ったヒナシアは、縁の部分へ右前蹴りを食らわせ、勢いを殺したと同時に柄を掴み……二度、三度と踊るように回転した。


「ほう」


 自身が回る事により、完全に斬馬刀の運動力を掻き消したヒナシア。建物に激突する持ち主に構わず、禍々しい刀剣を握り直した。


「趣味が悪い、としか評価出来ませんね」


 左足を俄に、それもほぼ垂直に上げ……助走も無しに、槍投げの投射に似たを敢行、土煙の中から飛び出して来たエルキュオーラの頭部を貫いた。


「っ、いぃいっ!」


 力任せに斬馬刀を頭部から引き抜き、血塗れになりながらヒナシアを睨め付ける墜堕の魔女の目が、妖しい赤光を放ち始めた。


「面倒くさい、面倒くさい面倒くさい……本っ当に面倒くさい女っ! どうする!? 帰ろうか、ねぇ帰らない? 食べるだけなら他にもいるよ!? もう食べられなくても良いよね!? 良いよ良いよ、食べなくて良い! けれど――無くそう、ここで無くそう! うん、それで良いよ!」


 決まりだね――魔女が呟いた瞬間、爆音を立てて魔力の集束が始まった。加えて突風が吹き荒び、ヒナシアの髪を乱暴に吹き流していく。


 対するヒナシアは……一度、大きく息を吸い、溜め込んだ空気をジックリと吐き出した。次第に吐かれる息は熱を帯び、赤く色付き、最終的には火炎へと成り代わり――。


 眩いばかりに輝く双眼が名刀の如き鋭利さを以て、墜堕の魔女を睨め付けた。


「お前は食べない! 食べてあげない――唯、殺してやる!」


 エルキュオーラが両手を広げたと同時に頭上へ巨大な魔術陣が浮かび上がり、段々と回転を始めていき――。


 中心部から光弾が高速、かつ連続で射出された。


 赤黒い粒子を撒き散らして飛んで来る光弾の雨の中を……焔纏の魔女ヒナシアはその身を破邪の火炎に包み、疾走を開始した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る