第48話:魔女と復活
「っ――止まりなさいっ!」
ゼルコが爆笑の渦に巻き込まれている頃、褐色の魔女――ヒナシア・オーレンタリスは、家屋の屋根から勢い良く飛び降り、ひび割れた道路を駆ける三人組(一人は年端もいかない幼児であった)の前に着地した。
全速力で屋根から屋根を駆け巡ったヒナシアは、ゼエゼエと息を切らしながらも……土埃に汚れた少年、カイルを思い切りに抱き締めた。
「お、お姉ちゃん……! 苦しいよ……!」
豊かな胸に顔面を圧迫されたカイル。顔を赤くしたのは羞恥か息苦しさか。
「苦しくしているんです! 良かった、本当に……生きていて良かったです……」
一頻りカイルを抱き締めた後、ヒナシアは顔を上げ――気まずそうに俯く少女、ハニィ・フォーを見やった。
従者服は薄汚れ、顔や手足にはところどころ裂傷が出来ていた。欠けた角材を掴んだらしい傷、何かを潜った傷、想像も付かないような「生き抜いた傷」が……ヒナシアには、この世に溢れる美術品全てに勝る程、美しく見えた。
「馬車のお姉ちゃんが――」身形に似付かわしくない、明るい声でカイルが言った。
「ロイルを助けてくれたんだ。来てくれなかったら、今頃……駄目かもしれなかったんだ」
ヒナシアは無言で立ち上がり、ロイルを背負ったままのハニィに歩み寄った。ビクリと肩を震わせた少女の身体を――。
「…………?」
「ハニィさん。愚かな私には、良き言葉が見付かりませんが……それでも、彼らの命を救って下さった事、深く感謝致します」
ありがとう。
小麦色の腕がハニィに絡み付き、心地良い強さで、ソッと抱き締めた。すぐにハニィは腕の中から逃げようとしたが、ヒナシアは決して彼女を離さなかった。
「ちょっ……ヒナシア様……止めて下さい。私……貴女に感謝されるような女じゃありません――」
「時として、傷は万に匹敵する言葉よりも重く、簡明です。ハニィさん、貴女は何と素晴らしき女でしょう。……色々あったでしょうが、これからは胸を張って大威張りするといいです」
ハニィの肩を掴み、ヒナシアはニッコリと笑った。
「魔女ヒナシア・オーレンタリスに感謝された、とね!」
少女の瞳が潤み始めた瞬間、「おおぉっと駄目駄目!」とヒナシアが即座に両目を押さえた。
「泣くのは全部が終わった後! これから貴女達を避難所に連れて行きますからね…………あれ」
「どうしたの?」
小首を傾げ、カイルが見上げた。
「……近くの避難所、知らないなぁ……元いた場所は遠いし……国の施設なら全部避難所になるんだけど……」
参ったなぁ……潮垂れた顔でヒナシアがキョロキョロ見渡していると、「あそこは?」とカイルがホットパンツを引っ張った。
「あそこって、駄目なの?」
「あそことは………………あっ」
示された方角に建っていたのは――。
「……いける、か……?」
忌々しき場所、カンダレア大獄であった。
五分後、一行は大獄の正門までやって来たが、多くの職員が忙しなく出入りしており、ヒナシア達に構う余裕は無さそうであった。
「ザエルさーん、ザエルさぁーん! おぉーい!」
ヒナシアが渾身の大声で叫ぶ。周囲の職員は眉をひそめ、何人かは「あの時のか?」と囁き合った。やがて物品庫からノソノソと男が出て来た。男はヒナシアを認めた瞬間、口を大きく開け……。
「ば、バカ魔女じゃねぇか!? お前生きていたのかぁ!」
「バカ?」
カイルとハニィが首を傾げた。
「おぉーっとちょいちょい! 私はヒナシア・オーレンタリス、正真正銘の素敵な魔女で、可愛らしく高貴な名前があるでしょう!? ヒナシアと呼んでくれますかぁ!?」
「なぁに言ってんだお前。あんだけ臭い飯を食らって――」
「はいはいはいはぁーい! 積もる話はまた今度! 今日はお願いがあって来ました!」
大獄に収監されていた過去をひた隠しにしようとするヒナシア。カイルは事情が分かっていない様子だったが……従者ハニィの目は、ジトリと魔女を見つめていた。
「実はですね、この子達を避難所に入れてあげて欲しいんです! ここもあるでしょ、避難所」
ザエルは額をボロ布で拭い、カイル達を見つめ……。
「あるにはあるが、女子供がいて良い環境じゃないぞ。ここは大獄だ、罪人がすぐ近くにウヨウヨしているところで……それはどうなんだ、って訳よ」
「しかしですね、一番近い避難所でも、彼らには厳しい距離なんです。せめて大八車とか、馬車とか、輿とかあるでしょう!? 公務員でしょう!?」
妙に公務員へ敵対心を持つヒナシア。国家直属の魔女になれなかった過去は、未だに彼女を苦しめているらしい。
「貸してやりたいのは山々だがな、見ての通り全て出払っているんだ。近隣住民に飯を配らにゃならんし、水だって運んだり――」
あっ!
突然にヒナシアが叫んだ。ザエル達は耳を塞ぎ、強烈な声量に目を白黒させたが……。
次の一言が、曲がりなりにも留置場監督官であるザエルを驚愕させた。
「今だけ、私の杖――返して貰えません?」
一秒後、ザエルは目を剥いて怒鳴った。
「駄目に決まってんだろうがぁ!」
カイルが「お姉ちゃん、杖取られたの?」とハニィに耳打ちした。「さぁ……」と眉をひそめるハニィだが……。
「ちゃんと返しますって! いや本当に本当! マジのマジマジですから! 杖があれば彼らをあっと言う間に避難所へ送っていけるんです! その後はちゃーんと返しに来ますって! えへへ!」
「今笑ったろ、今笑ったろうが! そんなんで『はいそうですか』と信用すると思っているのか!? 大体俺一人の判断で押収品を出し入れしてみろ、明日にはコンニチワークで職探しだよ!」
「それなら大丈夫! コンニチワークに友人がいるんで、良い仕事を斡旋して貰えるよう頼んでおきますよ!」
「うるせぇ! 俺は公務員以外に就かないって決めてんだよ! お前と違って大家族を養ってんだ、俺が安定した給金を貰えるからアイツらも腹一杯――」
「あ、あの!」
ヒナシアとザエルが同時に振り返った。ハニィがスカートを掴みながら……絞るように言った。
「事情はよく分かりませんが……その方は…………きっと、いえ、必ず……杖を返却しに来ます」
「……ハニィさん」
ハニィは気恥ずかしそうに、しかしザエルの目を真っ直ぐに見つめ続けた。
「私が何かを保証出来る訳でも、代理金を払える訳でもありませんが……ヒナシア様は、必ず全てが終わった後にここへ来る、そう確信しています!」
「……お嬢ちゃんにそう言われてもなぁ」
「でしたらっ!」
怒鳴り付けるように返したハニィは、一歩、ザエルの方へ歩み出た。
「この私が杖の代わりになります! ヒナシア様が返却しに来るまで、私はいつまでもこの大獄にいます! それでも、それでも――この緊急時に貴方は目を瞑ってくれないんですか!?」
ハァー、ハァー……とハニィが肩を揺らした。その剣幕に目が点となったヒナシア、カイルの両名は、ゆっくりとザエルを見やり……。
彼の答えを待った。
ザエルは腕を組み、目を閉じ、脂汗を流し、首を捻じ切れるくらいに捻り、歯を食い縛り、涙ぐんだ目を見開くと、無言で鉄門を据え付けた倉庫へ向かい――。
木箱を抱えて戻って来た。震える手で地面に置き、クルリと背を向けたザエルは、「あぁーあ!」とわざとらしく欠伸をした。
「大きな声じゃ言えないけど、物品庫の管理は今、とってもだらしなくなっているんだよなぁ! 一つくらい無くなっても分からないなぁ! それに、身体が疲れちゃったよ、俺達の軽食を用意してくれる人はいないかなぁ!」
「…………わ、私で良ければお手伝いします!」
「そ、そう? いやぁ嬉しいなぁ! じゃあ早速用意して貰おうかなぁ!」
チラリ、とヒナシア達を見やるザエル。その表情は……暗かった。
「……待ってるからな、バカ魔女」
木箱を開き、懐かしき魔杖を手に取ったヒナシアは――ザエルにウインクした。
「すぐ、戻りますよ」
手に馴染む杖を宙で一振りすると、特製の大きな箒が煙と共に現れた。ロイルを背負い、カイルを後ろに乗せたヒナシアは、軽く地面を蹴って浮上した。
「凄い凄い! 浮いているよ!」
「ロイル君を見ていて下さいね、ほんの少しで着きますが――空の散歩をお楽しみあれ!」
三人を乗せた箒は軽やかに舞い上がり、避難所の方へ飛んで行った。ザエルとハニィは並んで彼女達を見送った……。
「あれでも、魔女、なんだよな。アイツ」
「えぇ、不思議で可笑しな人ですが、立派な魔女様です――」
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