第38話:魔女と黒狼

「うぅ……何でこんな事に……」


「泣き言なんて後にして下さい、店長!」


「そうです! 通りで聞きました、どうやら!」


「りゅ、竜……!? はぁぁ……」


 避難命令の鐘が鳴り響く中、酒場を経営する不思議な魔女――ラーニャ・ヴィニフェラは大風呂敷にせっせと貴重品を詰めていた。


 彼女の命とも言える《ラーニャの酒場》の付近にも、いつ何時に酸噛竜が土中より襲撃して来るかは分からない。自身の避難より店長を気遣い来てくれた店員達に感謝しつつも……。


「これと……これと……」


 避難という非常時に不慣れだった。幸運にも売上金は昨日、纏めて銀行へ預けていた為、担いで行く必要は無かった。しかし――。


「店長、は置いていって下さいよ、重いんですよ!」


 店員のケーニが指摘したのは、常連客や店員から受け取った贈り物だった。金銭的価値は殆ど無く、重量だけは一丁前というだった。


 何処かの土産店で大量販売されている木像、客が酔いに任せて駄文拙文を書き散らした自由帳、店員達が「世話になっているから」と贈った包丁……。


 避難には不要だが、今後も生きる為には必要なだった。


「でも……大事なものだから……」


 店長! ケーニが苛立たしげに言った。既に他の店員達は貴重品を抱え、避難を開始していた。店内に残ったのは二人だけだった。


「死んだらお終いなんですよ! どれだけ無くしても、どれだけ壊されてもまたやり直せます――でも、でも貴女が死んだら《ラーニャの酒場》はお終いなんですよ!?」


「ケーニ君……」


「復興に疲れた人を癒す責任が、俺達にはあるはずです!」


 一つ、ケーニは隠し事をしていた。


 酒場の存続を第一に……そのような発言をしているが、真実は「ラーニャに惚れていて、彼女の生存を至上としている」であった。


 田舎から出稼ぎにやって来たはいいものの、就職先を見付けられず絶望していた彼を、優しく出迎えてくれたのがラーニャだった。酒場にしては破格の給料と福利厚生を用意するだけでなく、「親御さんに手紙を書きなさい」「弁当を作ったから、家で食べなさい」……と、姉のように接してくれた。


 一年、二年と月日が経つにつれ、ケーニは起床時に彼女の寝顔が傍にあるのを望むようになった。


「店長がいなくなったら、俺達は何処に行けば良いんですか!」


 恋心を……ケーニは秘匿していた。告白などしようものなら、他の男性店員を出し抜くような形になるし、もし断られたら――翌日、店内に居場所は無いと思っていた。


 出勤し、ラーニャと挨拶を交わす。彼女の為に働き、時々冗談で求婚される彼女の笑顔に妬き、賄いの味はどうかと心配する彼女を愛おしく思い、久しく会っていない友人達を語る顔が、彼女の全てが――。


 命に代えても護りたかった。


「さぁ、店長――すぐに――」


 運命とは味方であり、同時に敵でもあった。


「あっ」


 足下を引っ繰り返されるような衝撃が二人を襲った。メキメキと何もかもが音を立て、照明が落ち、窓が割れ、食卓は踊るように四方へ散らばった。


「店長――」


 ラーニャが振り返ろうとした時、ケーニが思い切りに彼女を突き飛ばした。ラーニャの華奢な身体は店外へ放り出され、結果として……。


「ケーニ君……? ケーニ君!」


 店舗の崩落から救出された。狂乱するラーニャを嘲笑うかのように、崩落の元凶――土中から現れた亜成体の酸噛竜が、新鮮な空気をタップリに吸い込み、吼えた。


「嫌だ、嫌だケーニ君! ほら、逃げよう、私と逃げて!」


 瓦礫の間から飛び出たケーニの手が、微かに動いた。すぐにラーニャは杖を取り出し、治癒の魔術を施してやったが……。


「お願い、もっと早く……早く……」


 此方に向かって進軍を開始した酸噛竜の歩速から、何とか救助を待てる程に回復させる事は到底不可能だった。


「うぅぅ……! 出来るのに、治せるのに……!」


《秉燭の夢》で魔術を学んだラーニャにとって、ケーニの傷を癒す事は容易いものだった。それが今、混乱の極地にある彼女の精神が邪魔をした。


「…………て……ん……」


「ケーニ君!? 話せるの、もうすぐだから――」


 温かな光が杖の先から放たれ、雪のような粒子がケーニの身体を包んでいる。着実に傷は癒えていた。唯、迅速な脱出が出来ないだけだった。


「……もう、良いです……逃げて……」


 四方から叫び声が響き渡る。酸噛竜の姿を見てしまった人々の嘆き、混乱、諦めの声だった。


「出来ない! 出来ないよそんなの!」


 俺……ケーニが言った。


「俺……店長の事……好きでした…………」


 俄にラーニャの目が見開かれる。


「でも……振られたら……って……」


「駄目だよ、ケーニ君!」


 震える手を取り、ラーニャが叫んだ。


「よく聞こえなかったから――そういう事は、私の目を見て言ってよ!」


 二人の位置から一〇メートルまでに近付いた酸噛竜は、幼体よりも更に大きな顎を開き、瓦礫ごとを食べようとした。酷く緩慢な動作は、そのまま死刑執行への秒読みとなる。


 ラーニャに手応えがあった。ケーニの呼吸が荒くなった。




 これならば五分――五分だけ、手当てが出来なくても持つ!




「……ケーニ君、少しの間、一人でいれるかな」


「……っ?」


 酸噛竜の後ろ脚が垂直となった。間も無く、前方に倒れ込むだけの、単純かつ圧倒的な捕食が始まる事を示唆した。


「答えなくて良い。手を握って。私に――貴方の勇気と強さを頂戴」


 寸刻置かず、ケーニの手が……ラーニャの手を強く握り返した。ラーニャは笑み、ソッと手を離すと――。


「師匠」


 ボソリと呟く彼女の顔は、酒場で見せる柔和なものとは掛け離れていた。


 憎悪の相貌――純粋な敵愾心を込めた視線は、酸噛竜の喉元を見据えている。それから三秒後、巨体は実にゆっくりと、二人の元へ


 対し、ラーニャは恐れた様子は一切見せず、言った。


「誠に残念ながら、ラーニャ・ヴィニフェラ――忌術使用たたかいます」


 魔杖が輝き出した。逆さに持ち替え、先端を地面に思い切り突き立てる。即座に――足下に奇怪な魔術紋様が浮かび上がった。赤黒い円の縁には、ところどころ爪のような棘が描かれていて……。


「悍ましい竜。さぁ、来なさい――」




 私を食べてみろ。




 黒い、瘴気のような靄が紋様から噴き出た。意思を持ったように、ラーニャの身体をグルグルと包み込む。強烈な閃光が幾度も放たれた。その光を飲み込まんと顎を開き、落下する酸噛竜は――。


 突然に、ガクリと空中で動きを止めた。


 瓦礫を纏う巨体、それに勝るとも劣らない大きさを誇るの顎が、ガッチリと長く凶暴な牙を食い込ませていた。


 泣き叫ぶような悲鳴は酸噛竜のものだった。突如として出現した黒狼は構う事無く、身体を捻り、力任せに地面へ叩き付けた。周辺の建物は振動によって窓を割り、粉雪のようにガラス片が周囲に舞った。


 血反吐を吐く酸噛竜を、今にも噛み殺さんと睨め付ける黒狼こそ――魔女、ラーニャ・ヴィニフェラのであった。




《肢改戦狼》。「良き母」を育成する魔女宗が唯一、修練生に教える「決戦奥義」であった。


 口元から黒い靄を吐き、燃えるような赤い目を持つ黒狼へ姿を変えるこの魔術は、「良き母」として生きる魔女達のもう一面――「なりふり構わず外敵を滅する守護者」である。


 かつて……と呼ばれた魔女同士の戦争が、あらゆる国家を巻き込み長らく続いていた。様々な国が戦場となり、中には国民のを失うという壊滅的被害を受けた国もあったが……。


《秉燭の夢》の出身魔女が多く暮らす小国、コラバ共和国だけは――死傷者が殆ど発生しなかった。


 理由は二つあった。


 一つは洞窟が多いという地理的要因。


 もう一つは「黒狼の魔女達」がいた事、である。




 遠吠えに似た、聞く者の産毛を全て逆立たせるような轟声が、約五キロに渡って響き渡る。黒狼ラーニャの双眼は陽光の中で爛々と輝き、体毛一本に至るまで怒りを孕むように、ザワザワと一斉に蠢く。逃げ惑う人々は足を止め、「竜がもう一匹出たのか」としばらく戸惑ったが……。


 次第に、聞こえた声から感じ取った「意」を推測し、カンダレア人は微かな希望を胸に抱いた。


「違う。この声はきっと味方だ。カンダレアを護る為に――が来てくれたんだ」


 当然、正体は聖獣では無く魔女ラーニャ・ヴィニフェラであったが、カンダレアには次のような昔話が伝わっている。


『カンダレア人では如何ともし難い困難が訪れた時、何処からともなくが現れ、その牙と爪を以てして、あらゆる邪鬼を打ち払うだろう』


 登場する黒き聖獣が、黒狼の魔女達と関連性があるのかは不明だったが……。


 現在に至るまで、《秉燭の夢》の外で「自らを黒い狼に変化させる魔術」が考案された事は無く、外部の魔女が会得したという記録も無い。


 それだけは確実だった。

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