第36話:魔女と消失

 市街地の土中から幼体が出現する一五分前、特定竜種飼育実験場付近での対処、その指揮を執っている魔女――ヒルベリア・アンシーは、地上高三〇〇メートルにて滞空していた。


 一、成体の処理。


 二、土中を潜航する幼体、亜成体の捕捉及び処理。


 三、把握。


 以上の優先順に従い、彼女は最前線で魔女達に指示を飛ばし続けた。


「戦隊長、報告します!」


 傍らまで飛んで来た通達役が内容を続けようとした瞬間、ヒルベリアは軽く手を挙げてそれを制止する。


「委細承知しています。各分隊には、引き続き幼体及び亜成体の捜索と処理をよろしくとお伝え下さいませ」


 ほぼ同時に、今もなお市街地へ向けて移動する成体の酸噛竜を囲むように、八本の光柱が森林内から立ち上った。にはそれぞれ魔女が待機し、「巨大生物の捕獲」に有用とされる八角式結界の紋様を描いていた。


 段々と光柱の輝きが増していく。酸噛竜を足止めする囮役の魔女がそれに気付いたらしく、ヒルベリアに向かって手を挙げ、一気に高空へ跳び上がる。結界起動の準備が整った。


「総員通達、封入魔力を五割増。目標の捕縛を確認後、此方の魔術によって速やかに処理致します。第二番、第六番、それぞれ魔力を更に二割増。第七番は一割減……良好。感謝しますわ」


 ヒルベリアの指示は通達役の魔女によって、全隊員に即座に通達された。


 魔女同士は魔術によって連絡が行えるが、天候や体調面によって乱れる事があった。高速かつ正確、加えて魔力性質の違う大勢の魔女へ一斉に連絡するには、相当の素質と訓練を積まなければ不可能であった。近年では魔力加工品の発達により、特殊な耳飾りを通して簡単に会話が出来るようになったが……。


 この日、対侵略行為抗戦隊長ヒルベリア・アンシーは、簡便な連絡方法をあえて止め、ある種原始的ともいえる、通達役の配置を行った。


 今回の事件に対し――引っ掛かる事があったからだ。


「酸噛竜が開口! 咽頭部に膨張あり!」


 通達役が叫んだ。「ようやくですわ」とヒルベリア。


「総員通達、目標は現在、竜吹砲りゅうすいほうの射出準備に入りました。口腔内に二度、閃光を認めたと同時に結界を起動。その後は直ちに退避なさって下さい」


 竜吹砲――生態系の頂点に君臨するとされる竜種、それも上位種のみが使用出来るという、攻防一体を兼ねた必倒必殺の体液噴射である。竜種によって特性は異なるが、「強い起爆性を持ち、対象に甚大な被害をもたらす」事だけは共通していた。


 酸噛竜が前後の脚を踏ん張り、ゴボゴボと不快な音を喉から鳴らす。口端から噴き出た唾液が地面に落ち、黄色いガスと共に周囲を溶解した。


 軋むような音を立て、洞穴のような大口が開かれた。続いて喉奥から閃光が一度、そして二度――。


「起動」


 ヒルベリアの指示と同時に、くぐもったような結界の起動音が響き渡る。途端に小山のような巨体を誇る酸噛竜が、ベタリと地面に這い蹲った。爛れた背中には光り輝く魔縄が幾重にも重なり、地面と据え付けられる格好を取った。


「総員、退避」


 それから間も無く、ボンと竜の口から黒煙が上がった。不発に終わった竜吹砲の暴発である。むず痒そうに巨体を揺らす酸噛竜は、恨めしそうに遙か上空のヒルベリアを見上げた。


 臆する事の無いヒルベリアは、胸元から杖を素早く取り出す。その先を地上の標的に向け――局地的にを作り出す《断空絶間》を発動させた。本来は貴金属の酸化、腐食を防ぐ為に考案されたものだったが、そのから習得資格が必要になった……という経緯がある。


 ヒルベリアは黙して酸噛竜を見下ろした。他の魔女達も声を発さず、吼える竜を見つめていた。


 幾ら巨大かつ強力な竜種といえども、空気を断たれては衰弱する一方であった。恐るべき魔術が発動してから二〇秒程が経った頃、酸噛竜は全身から強酸性の汗を噴出した。魔術の有効範囲外まで飛び散ったそれは、次々と地表を融解していく。途端にガスが立ち込め、上空の魔女達は一時、視界が奪われた。


 俄に――黄色の霧中で、稲光に似た閃光が二度、三度と走った。


「っ、戦隊長! 何を――」


 通達役の制止にも関わらず、ヒルベリアは杖の先から地表に向け、攻撃用光弾を射出した。これによって《断空絶間》の効果は解かれ、着弾による爆発音が響いた。


「戦隊長! どうされたんですか!? 起爆性の攻撃は禁止だと先程――」


「やられましたわ……!」


 冷静沈着で有名なヒルベリアが眉をひそめ、「ご覧なさい」と杖で地表を指した。通達役が目線をやると――。


「…………い、……!」


 何故、何故ですか!? パニックを起こした通達役は地表をくまなく捜すも、果たして姿


「そんな……跡形も無く姿を眩ませるなんて出来っこありません! 土中でしょうか、でも一瞬で穴を掘る事は――」


「いいえ、土中は有り得ませんわ。成体になると地表でしか生活しませんし、第一穴を掘る爪が抜け落ちるでしょう……考えられる事は唯一つ――」


 時間がありません、本部に繋いで下さい! ヒルベリアは通達役に叫んだ。


「此方はヒルベリア、此方はヒルベリア! 状況悪化、状況極めて悪化! 成体の酸噛竜が消失! 追跡及び処理対象追加、全国民の迅速な避難を早急に求む!」


 相手方の返事を待たず、急いてヒルベリアは続けた。


「本件の元凶突き止めたり! 酸噛竜暴走の元凶、これと断定せり! 繰り返す、本件の元凶は魔女と断定せり!」

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