第26話:魔女と必勝法(幻想)

 例えば、眼前で誰かが後頭部を思い切りに叩かれた時(聞き分けの悪い子供では無く、がだ)、人は十中八九――唖然とするだろう。偶数が狙い目の一五番台ルーレット卓に着いた利用客も例に漏れず……。


 ポカンと口を開いて驚嘆していた。慇懃な目付役も同じくだった。


「いきなり頭を殴るだなんて! ここは何処ですか!? 戦場ですか、あぁそう戦場ですか! 従者の癖に生意気ですよ!?」


 嘘のように叩かれた女、ヒナシア・オーレンタリスは褐色の頬を紅蓮に染めて立ち上がる。椅子が後方に吹き飛んだ。一方、レンタル従者のハニィ・フォーは双眼をギロリと剥き、愚かな女主人に怒鳴り付けた。


「従者だから止めるんですって! ほら、卓上を見て下さい!」


 ヒナシア含め、一同の視線が卓上に築かれた硬貨の尖塔を見やる、それは「二」と「三六」の区画にあった。「二」の尖塔が人知れず倒壊し掛けた為、ヒナシアの隣に座っていた男が慌てて支えた。


。何が問題あるんですか」


「それが問題だっつぅーのぉ!」


 従者らしからぬ声で地団駄を踏むハニィ。「三六」の尖塔が崩れ掛けたが、先程の男がすかさず支えてくれた。優しい男である。


「貴女はルーレットが初めてなんでしょう!? どうして少しずつ、例えば一〇〇〇モンをとか、偶数奇数を当てる枠に賭けるとか、そういう安全策を採らないんですか!?」


 ヒナシアを除き周囲の人間は皆一様に頷いたが、当の本人は「はっ!」と憎たらしさ満点の笑みでハニィに詰め寄った。


「何を言い出すかと思えば、そんな根性無しの戯れ言とは……私もビックリし過ぎて!」


 近くの男達が「そんな表現あったか?」「知らん、地方の人間なんだろう」と囁き合う。しかしヒナシアの耳には届く訳も無かった。


「私には時間が無いのですよ、時間が! サッと賭けてサッと儲けて、サッとおさらばしなくちゃならんのですよ! それに、偶数は続きやすいと教えてくれたのはハニィさんでしょうに!」


 これが目に入らぬか、と言わんばかりにハニィの手帳を持ち主に見せ付けたヒナシア。確かに開かれたページからは、偶数の出現が続きやすい事が見て取れたが――。


 バカ張りして良いとは言っていないだろう……。この言葉が一同の頭を過ったに違い無い。少なくともハニィはそうだったらしく、「ハァアァアア……」と肺の空気を全て出し切るような長い溜息を吐いた。


「……ヒナシア様、貴女はちょこっと、いえ、物凄ーく……常識外れの考えを持っているんじゃありませんか?」


「それ、褒め言葉ですか?」


 この質問によって、私は常識の外に生きていると周囲に知らしめたヒナシア。


「まぁ何でも良いですけど。大体は、いいえ、一〇割の人間は、初めてルーレットを遊ぶ時はお試しというか、少額を賭けて様子を見るものなんです。それが何ですか、いきなり一点賭けに四〇〇〇〇モンも突っ込むなど……。アレですか、貴女はか何かで、好きに出目を弄れるとかそういう類いですか」


「あれ、良く気付きましたね。私、魔女なんですよ。今は魔術使えないけど」


 えっ、本当に魔女なんですか? などとハニィが驚く事は無かった。今となってはヒナシアの言葉全てが「痴れ言」に限り無く近しいものとなり、出会った当初は初々しい少女然としたハニィも……。


 人生に疲れ切った老女の如き加減であった。


「……ちなみに、四〇〇〇〇モンが手違いか何かで一四四〇〇〇〇に増えたとして、ヒナシア様はどうするんですか」


 そんなの当然! ヒナシアは卓上を指差した。


「次はをこんな感じで賭けます。そしたらもっと実入りが増えるでしょう?」


 ハニィ、目付役、利用客は揃って声を失った(殆どの者は引き続きだが)。


 一戦目に勝った時、賭けた額を二倍にして二戦目に突入する。二戦目も勝った場合、更に賭け額を倍にして三戦目に挑む――俗に言うを自然と体得していた女、ヒナシア。


 全く単純で破壊力に長けたこの図式を思い付いた時、ヒナシアは自らの頭脳に魔力的天啓が訪れた気がした(気のせいだ)。勿論、このパーレー法を実践し続ければ(賭けに勝利し続ければ)、ものの一〇分足らずで彼女はこの先数ヶ月を成金気分で暮らす事が出来る。


「私はですよ、とんでもない倍率を誇る魔女宗出身の女ですもの、に負ける訳がありません」


 またしても男達が「魔女になりたかったらしいな」「可哀想に……」と囁き合う。彼らの中で魔女とは「ヒナシアのような女は縁遠い人種」であろう。


 果たして――ハニィは買って来た飲み物を卓上に置き、「お疲れ様でした」と深く一礼し、回れ右をして歩き去ろうとした。


「ちょいちょい! まだ従者の任は解いていませんよ! 何処に行くというのですか!」


「貴女には付いて行けませんし、付いて行く気もしません! 何処の世界に初心者で――ハッキリ言ってをする人がいるんですか!」


「あ、バカって言った! ちょっと目付役さん、あの女、客に向かってバカって言いましたよ! 取り締まるかぶん殴るか引き裂くかして下さい!」


 どうにもヒナシアの出す選択肢は血生臭いものが多い。目付役は大変に困り果てた様子でハンカチを取り出し、額に滲む汗を拭いた。一方、ハニィも負ける事無くヒナシアに食って掛かり、「それが女性の言葉ですか!?」と地団駄を踏んだ。


「貴女はなだけでなく、大人の言葉遣いも出来ないんですね! 何処の田舎者でしょうかね!」


「ケチぃ? なーにがケチだってこの小娘! 私の何処がケチだと言うんですか!」


「ケチもケチ、大ケチじゃありませんか! の一つも渡さない、私の教えた情報をまぁまぁ自分で調べたかのように使って!」


 心付けですってぇ? ヒナシアが眉を大いにひそめて言った。


「従者はだって教えて貰いましたよーだ。大体ですよ、心付けが欲しかったらちったぁ可愛らしくしたらどうです? 早朝からクソみたいにピーチクパーチク鳴いている鳥のようにうるっさいたらありゃしない!」


「私は充分可愛いんですけど? というか来られるお客様は皆、みーんな心付けをタンマリ払ってくれるのが常識なんですよ、貴女みたいに自称魔女の常識知らずは分からないでしょうけどね!」


「キィイイィイィ! 魔杖があったら焼き尽くすところですよぉ……!」


「やってみろってもんですよ、炎がちょっとでも出せたら裸で踊ってあげましょうか? 無理でしょうけど!」


「こ、こらハニィ! 好い加減にするんだ!」


 目付役がハニィを羽交い締めにして連れ去ろうとする。魔力が無くとも口から火炎が出そうな程に怒るヒナシアが「待てコラァ!」と叫ぼうとした瞬間、遠くから「握手会が終わったら連絡する」と約束していたオリオ・ボドレーマンが歩いて来るのを認めた。


「あっ、え、もう!?」


 ヒナシアの視線に気付いたらしいオリオは、頭上で大きくバッテンを作った。途端にヒナシアは「ヤベぇ!」と積み上げた八〇〇〇〇モン分の硬貨を掻き集め、「モンに変えて下さい!」と目付役を急かした。


「えっ!? お、お待ち下さい――」


 解放されたハニィは「ふんっ!」とそっぽを向き、何処かへと去って行った。そんな彼女を追い掛けて蹴りの一つでも見舞いたいヒナシアは、しかし目付役を急かす事しか出来ない。


「お待たせしました、八〇〇〇〇モンです」


「よっしゃ! また来まぁーす! そこの小娘、夜道に気を付けろよコラァ!」


 ドタドタと去って行くヒナシアを見つめ……。囁き合っていた男達は顔を合わせ、首を傾げた。


「何だったんだ、今の」


「……顔は良いんだけどな」


「あぁ、残念だな……」


「えーっと、お客様。大変お待たせ致しました。どうぞ、お賭け下さい」


 目付役の一言でやがて利用客も席に着き、ようやく落ち着きを取り戻した一五番台でルーレットを再開した。


 時に、ルーレットの出目は何らかの運命性を持っているように振る舞う。


 次局――出た目は《赤の三六》であった……。

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