第23話:魔女と従者

 外と内部とを別つ巨大な扉、それはバクティーヌで最も広大で豪奢な伏魔殿への入口だった。扉の両側には係員が常に控え、出入りする客に慇懃な一礼をゆっくりと行う。出入り口にはアーチ状の看板が据え付けられ、これもまた立派な装飾文字によってこう書かれていた。


『私達は、全てに賭ける』


 屋内は様々の音声で溢れかえっている。


 勝敗に一喜一憂する利用客の歓声、高品質の生地を用いた制服に身を包む目付役ディーラーの掛け声、四方で銀色の小球の音、通路を行く者の足音が――。大きな膜と成り代わり、新たに訪れる利用客の肌を包み、そして叩いた。


 鉄火場に渦巻く空気は、明らかに屋外のそれとは違っていた。大量の人間が酸素を消費するから、単純に屋外だからといった短絡的な理由とは、天上に輝く星と星の実際距離よりも掛け離れている。


 ヘイラの間。初代カンダレア国王に仕えたとされる魔女の名を冠するこの施設は、高純度の「欲求」で満ち満ちていた――。




「お……おぉ……」


 出入り口から数歩の辺りで、ヒナシアは思わず足を止めた。ルーレット卓の上を除き、屋内はあえて煌々と照明を点けず、少しだけ薄暗かった。引っ切り無しに華麗な礼服を纏った女性係員が通路を往来し、酒や軽食を運んだり、区内通貨を満載した木箱を台車に載せて歩いて行った。


「如何でしょう、ヒナシア様」


 屋外よりも若干大きな声でオリオが問うた。


「区内で最もお客様から評価を頂いているここ《ヘイラの間》は、まさに『愉楽の到達点』で御座います」


 彼方をご覧下さい――霞んでしまいそうな遠方を見やるオリオ。ヒナシアは惚けた表情で背伸びした。


「バクティーヌで唯一、賭博場に連結した旅館の入口です。ご宿泊されたお客様は彼方からお越し下さる事で、ご足労無くルーレットをお楽しみ頂けます」


 、何とも怠惰で何処までも刺激的な言葉だった。


 初恋の楽しさに思考を支配された乙女が如く……ヒナシアは唯、次々と語られる施設内の説明に頷くか、或いは「ほぇー……」と感嘆するしか出来なかった。


「……駆け足となってしまい申し訳ありません。以上がヘイラの間の簡単なご説明でしたが、この後はどうされますか?」


「こ、この後……?」


 にこやかに微笑むオリオ。時折擦れ違う係員に目礼した彼は、最早目を細めるだけで貴族的な礼儀作法になり得た。


「えぇ。他の施設をご案内致しましょうか、それとも、?」


 即座に――胸元で待機していた財布が、ドクドクと脈動する感覚をヒナシアは覚えた。


 口を開けば腹が減ったと騒ぐ常連に料理を運んだのも、重たい荷物を自転車で配達して回ったのも、欲しい本も飲みたい酒も何もかも我慢したのも……。


 全ては、賭博をする為だった!


「……っ」


 深呼吸をしてから、ヒナシアは大きく手を挙げ――。


!」


「畏まりました」


 八〇〇〇〇ゼル倍増作戦を開始した。興奮や緊張が高まった時、口が回らなくなるのは彼女の性質だった。




 申し訳ありませんが、案内館の者は奥までご一緒出来ません故、出入り口でお待ち致します。ご安心下さい、が終了次第ヒナシア様にご連絡差し上げます。ルーレットの手順や賭け方は、専門の係が換金所に待機しておりますので、お声掛け下さい。


 それでは、ヒナシア様の大勝をお祈りしております。いってらっしゃいませ――。


「とは言われたものの……やっぱり緊張しますなぁ」


 キョロキョロと辺りを見渡すヒナシア。説明を受けた通りの道を行けば、ゼルと区内通貨である《モン》を交換してくれる換金所があるはずだったが……。


「うへぇ……人が多いなぁ」


 とにかく、往来する人間の数が尋常ではなかった。身体を右に捩り、左に捻り、立ち止まって再び歩き出しを繰り返す内に、彼女は人の熱気に当てられたのか、額に薄らと汗を掻いた。


 軽い体操じみた移動もようやく終わりに近付く。前方に「換金所この先」と書かれた看板を認めた。自然とヒナシアの歩速も上がった。


「ふぁー着いた着いたぁっと。街を歩くより疲れたなぁ…………すんませーん!」


「いらっしゃいませ。換金ですか?」


 美人の係員が微笑み問うた。「まぁ、私程ではないけど綺麗だな」とヒナシアは内心褒めた。


「はい、八〇〇〇〇ゼルを換えて欲しいんです。それと、色々教えてくれる係員さんがいるって聞いたんですけど……」


 とりあえずも何も無い。彼女はこの八〇〇〇〇ゼルを失った瞬間、次の給料日まで禁欲生活を余儀無くされるのだ。


「畏まりました。すぐにを手配致します」


 従者――何と良い響きだろう! ウフフ!


 多額の借金に雁字搦めとなっている女がよく言ったものだ。係員から八〇〇〇〇モンを受け取ったヒナシアは(色取り取りの硬貨に似ていた)、従者を待つ間に「そう言えば」と質問した。


「その従者って何をしてくれるんですか? 遊び方を教えるだけ?」


「はい、主には遊戯方法のご説明やモンの計算です。他にはお飲み物などをお持ちしたり、個人馬車の手配もお受けしますよ」


 係員曰く、常連客は気に入った従者を次回に指名する事もあるという。付き合いを深めればそれだけ「痒いところに手が届く」ようになり、その分、勝負にも一層集中出来るという訳だ。


「便利ですねぇ……でも、その、アレですか」


「アレ、とは?」


 アレですよ、アレ……ヒナシアは財布を突いた。


「あぁ、料金ですか。


 ホッと溜息を吐くヒナシア。折角貯めて来た種銭である、思い掛けない出費は避けたいものだ。


「あ、あのう」


 背後から声がした。薄黄色の髪を翻してヒナシアが振り返ると、黒いお下げ髪の少女が照れ臭そうに立っていた。


 女か……ヒナシアは露骨にゲンナリしたが、落ち着いた従者の服を着込む少女は意に介さず、「きょ、今日は――」と勝手に挨拶を始めた。


「よろしくお願いします、です! 私、ハニィって言います! すんごい頑張るんで、その、お願いします!」


「…………はぁい」


「さぁさぁさぁ! こっちです! 手を繋ぎますか!?」


「いや、大丈夫でーす……」


 格好良い男と歩きたかったなぁ――うら若いヒナシアのぼやきも、しかしながら妙に垢抜けないハニィには伝わっていないようだった……。

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