第22話:魔女と撤退

「っふぅわぁー……! いやぁ出た出た、臓器まで出ちゃったかもですなぁ」


 青空に映える淡色の花が如く、清々しさを見る者に与える満面の笑みと――何処までも汚らしい、何かが臭ってくるような独り言を呟くヒナシア。彼女は今、案内館の外れにある化粧室から堂々退場して来た、という訳である。


「握手会は…………よし、まだ始まっていませんね」


 ホッと一息吐いたヒナシアは、しかしながらアゼンカ達の元へ戻る気など更々無い。握手会が長引けば長引く程、諸々の都合が良いからだ。胸元の財布を開いてみると、しっかりと――手付かずの八〇〇〇〇ゼルが、主人の笑顔を認めて手を振るようだった。


「あのぉ、すいません」


「おや……でしたか。シーミィとはぐれてしまわれましたかな?」


 ニコリと微笑む長身の老案内員――オリオ・ボドレーマン――は、「申し訳ありません」とヒナシアに一礼した。陽光すら吸い込みそうな漆黒の礼服が、明るい館内で実に映えた。


「すぐにシーミィを呼び戻し――」


「あぁあぁああっと駄目駄目! 呼ばなくて良いです、お願いです!」


 オリオは少しだけ目を見開き、「畏まりました」と笑った。バクティーヌで働き始めて四〇年、彼は来る日も来る日も接客を行い続けたが為に……。


「そうなりますと……お嬢様。握手会はまだ時間が掛かります故、少し……


 来訪者の要求を手に取るように――見抜く事が出来た。


「……っ! はい!」


 泣き出しそうな程のヒナシアの笑顔は、一晩では語れぬ記憶を刻んでいる為に皺の目立つ、オリオの目をソッと細めた。




 宜しければ、区内の簡単なご説明を致しましょう――白髪を整髪料でカッチリ固めたオリオは、目を輝かせるヒナシアを連れて、主な賭博場を紹介して回った。道すがら、お喋りの大好きなヒナシアが次々に話題を振っては、時には感動するように、時には軽妙な洒落を効かせてオリオが返した。


「なるほど、ヒナシア様はシーミィとお知り合いなのですね」


「はい、前に一回来た事があって、その時に知り合いました。なかなか酷い目に遭いまして……」


 オリオは低く笑い、「如何せん、彼女は真面目が過ぎる事があります」と言った。


「いやもう、本当にそーなんですよ。ちょっと私が魔――普通の女じゃないからって、『貴女は出禁です!』はヤバいですから!」


「ハッハッハ。久方振りにが見えて、幾分か興奮してしまったのでしょう。赦してやって下さい」


 えっ!? ヒナシアが歩みを止め、「どうされましたか」と振り返るオリオに恐る恐る訊ねた。


「し、知っていたんです……か? 私が……可愛い魔女だって事……」


 勿論ですとも――オリオはゆっくりと頷いた。


「一時期、ヒナシア様が区内出入り差し止めとなられた際、シーミィから状況や特徴の説明を受けておりましたから。彼女は他人の顔や特徴を記憶するのに長けておりますので」


「あのチビ……! そ、そう言えば特徴って、どんな風に聞いたんですか?」


 ヒナシアが再び歩き出す。彼女の動きに数瞬も遅れぬよう、オリオも彼女のやや前方に位置取って案内を再開した。


「利発そうな顔立ち、健康の粋を極めたるが如き褐色の肌、生命の躍動を感じさせるような服装に、魔杖を持たずとも放つ魔力の香り……最後は、私めには分かりませんが」


 何とも耳に優しい「出禁となった魔女の特徴」を聞き終え……ヒナシアはまさに鼻高々であった。口元は「ふへへ」と嫌らしく歪み、まるで自身が大女優にでもなったのではと勘違いしていた。


『後程似顔絵を配りますが、とにかく、憎たらしい顔、南方由来に思える褐色の肌、知能より発達に栄養を注いだとしか思えない身体と恥知らずな格好、魔女の癖に杖を持たない不可解さ、そして妙な魔力! ちょっとでも似ている、怪しいと思ったらすぐに私に言いなさい! 良いですね!』


 案内員一同にシーミィが説明した特徴はこの通りだったが、オリオの気を利かせまくったを聴いてしまったヒナシアは……。


「ふぅーん…………まぁ、間違いじゃないですけどぉ……後でシーミィさんに、何か買ってあげようっと」


 無理矢理に澄ました顔となり、歩き方も普段と比べて何処か柔らかさが目立った。幸福な女を横目で見やり、オリオも嬉しそうに微笑んでいた。


 完璧な紳士との楽しく心地良い会話を堪能したヒナシア。夢見心地の彼女を待っていたのは、「バクティーヌとはここである」とまで評される、小国の城にすら見紛う立派な施設だった。


「さぁヒナシア様、前方にあるのが区内一の敷地面積を持つ、《ヘイラの間》……或いは《ルーレット館》とも呼ばれております」


「おっ、おっきぃー……こんなの初めてです……」


 ポカンと口を開くヒナシア。感動を感動で塗り替えられるという「感動の波濤」に、最早彼女の小さな口は動作が鈍ってきた。


「ルーレットの卓は全部で二〇台御座います。ご覧になりますか?」


 コクコクと頷くヒナシア。やがて彼女はオリオが開いた魅惑の世界、その向こうへと吸い込まれて行った……。

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