第17話:魔女と来客

 カンダレア王立銀行本店一階の窓口付近で、気まずそうに彷徨く客を男性行員が見付けた。不審者は若い女性であったものの、性別関係無しに凶悪事件が起きる昨今、放って置く訳にはいかない。


「お客様?」


 背後から声を掛けられた女は、薄黄色の髪を逆立たせて「ひゃい!」と返事をした。強盗を働くような精神状態では無いらしい。


「何か御用でしたら、私が承りますが」


女が手編み鞄の中をまさぐる間、行員は彼女の身形を素早くチェックし……「良客」の可能性はゼロである事を悟った。まだ個人向け国債の月間ノルマが未達成な彼にとって、全く時間の無駄である。


「あの、すいません……これ払いたいんですけど」


 しかしながら彼も勤続一〇年、それなりの脂が乗り始める頃だ。笑顔を崩さずに差し出された紙を丁重に受け取り、恭しく検める。


「えーっと…………『国家特別弁償金納付書』……?」


 国家特別弁償金納付書――地方の村からカンダレア王都の大学へ入り、苛烈な入行試験を潜り抜け、金の「か」の字も知らない客から受けるストレスと上司からの嫌味、同期と比較される日々、そんな状況を果敢に突破して来た彼が……。


 初めて目の当たりにする書類だった。


 彼は失礼を承知で、手持ち無沙汰にパンフレットを見やる女を観察した。




 見えない。それは確かに、を送るようには思えないが……。まさか、まさか彼女がを受け取るぐらいに「危険人物」とは思えない……!




「あの……早く払いたいんですけど」


 流石に観察し過ぎた――行員は謝りながらすぐに女を窓口に連れて行き(、と呼ばれた奥まった場所)、問題の書類を手に『国家的弁償義務対象者総覧』を開いた。国弁書には「ヒナシア・オーレンタリス」と書かれていた。


「…………っ!」


 確かに、彼女の名が載っていた。同時に――名前の横に記載されている「弁償金残額」を確認し……。


…………!?」


 眼球が零れ落ちんばかりに目を見開く行員。このレベルの弁償金を抱える者は、「到底看過出来ない重過失を犯した犯罪人」が多数だった。


「えっ?」


「あっ、いえ……処理に必要な数字でして……」


 彼は会計盆カルトンに置かれた五〇〇〇〇ゼルを震える手で受け取り(気の遠くなる返済スピードだった!)、二重確認どころかまで行い……。


「……確かに承りました。こちらが受理書で御座います、お受け取り下さい」


「どうもです」


 ペコリと頭を下げ、大罪人の女は受理書を鞄に突っ込んでそそくさと帰って行った。


 一体、彼女はこの先何枚の受理書を受け取るのだろうか――行員は何処か夢見心地で総覧を書棚にしまい込んだ。が、すぐに取り出し、もう一度「ヒナシア・オーレンタリス」の欄に目を通した。


 先程は動揺の為に膨大な金額しか目に映らなかったが、すぐ隣に記載されている「事由」の箇所で……彼は一層、その細い眉をひそめた。


「…………国宝の破壊?」




 ヒナシアが所用を足してムルダン食堂に戻ったのは、無限の活力を地上に注ぎ込む太陽が少し傾いた頃だった。


「すんませーん、戻りましたぁ」


「おぉ、ヒナシアちゃんお帰り。待っていたんだよ」


 大皿を磨きながら店長のムルダンが言った。


「待っていた、とは? あぁ、そろそろ店長に昇格という事ですね?」


「入って一ヶ月の子に追い付かれたくないよ……! そうじゃなくて、ヒナシアちゃんにお客さんが来ているんだ。二階で待ってて貰っているから、行っておいで」


 誰だろう? 首を傾げるヒナシア。昼間に訪ねて来る暇な人間は思い付かなかったし、まず存在しないだろう。階段を上がる内に、無慈悲にも「弁償金の増額」を通告しに来た役人の可能性を思い、脱出経路を彼女は思案した。


「仕方無い、土下座でもしますか。一〇〇回もすれば良いでしょう」


 多用する程に行為の価値と、本人の尊厳を削り取る謝罪方法を気安く採用するヒナシアは、ある程度の覚悟と諦めを以てドアをノックした。


「お待たせしました、ヒナシアでーす」


 返事が来るのも待たずに入室した彼女は、来客の正体を知った瞬間――その場で硬直した。


「お仕事中すいません、ヒナシアさん」


「……えっ、えぇー……?」


 椅子に座る、というよりは乗せらているが如き小さな身体。


 纏う本人とは掛け離れた、大人びた暗色の礼服。


 相手の心中をも見透かすような、くすんだ灰色の双眼。


 つい数日前にヒナシアと、結果としてした魔女……。


「お時間は取らせません。実は、ヒナシアさんにお渡ししたいものがありまして」


 バクティーヌ特別区内警備隊長――シーミィ・ロンドリオンが微笑んだ。

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