第16話:魔女と過去

 客の一人が連れて来た警備兵によって三人のソボニール人が拘束されたのは、ヒナシアが彼らを店外に引き摺り出して間も無い頃だった。


「ほら、早く立て!」


「クソッ、離せ! おいコラ、酒場でのいざこざに不介入じゃねぇのか!」


 腹を痛そうに擦るラウゴーに対し、警備兵達は「はて」と周囲を見渡した。


「貴様らが倒れていたのはのはずだが? それに……カンダレア王国軍法第一五条、『争乱の大小に関わらず、これを引き起こした外国人は強制連行の対象となる』――貴様らも軍人ならば、他国の法律ぐらい学んでおくんだな」


 供回りの二人はすっかり意気消沈し、硬く縛られた縄の痛みに時折呻き声を上げていた(縛り方はだった)。しかしラウゴーだけは鼻息を荒げ、店先でホーデンドライを飲みながら高みの見物を決め込むヒナシアに向かって叫んだ。


「テメェ、この魔女崩れ! 憶えておけよ、このままで済むとも思ったら大間違いだぞ!」


「アハハハハ! ダッサ! 縛られて歩く姿ダッサ! 私にぶん殴られたかったらまた来て下さいな、大獄を出られればの話ですが! あぁ、そうそう。食事は最高ですよ? ドブのようなスープと虫の巣みたいなパン、それにクソ不味いカンダレアケーキ! ご賞味下さいな!」


 挑発が大得意なヒナシアの華麗な罵詈雑言に、顔面を真っ赤に染めて怒り出すラウゴー。今にも彼女に飛び付かんばかりに歯を食い縛っていたが、向けられた槍の輝きにその一歩が踏み出せなかった。


 ちなみに、シーミィをはじめ全員が「何で大獄の食事事情に詳しいんだろう」と思ったのは当然の事だ。女には秘密が付きものである。


「グゥウウゥウゥ……! 絶対にぶっ殺してやる、何年掛かってもテメェを殺してやるからな! どんな手を使ってもだ!」


「ピィピィ醜男が叫んでるけど、そろそろ帰るとしますかな」


 遠ざかりながらも強烈な怨嗟を送るラウゴーを無視し、ヒナシアは店内にジョッキを戻しに行った(ちなみに窓枠の修理費はラウゴー達が支払う事となった)。ラーニャは帰ろうとするヒナシアを引き留めようとしたが、赤ら顔のヒナシアはかぶりを振るばかりだ。


「ヒナシアさん……明日は仕事休みだって言ったじゃないですかぁ。もうちょっといて下さい……お礼も出来ていないのに……」


 お礼だったら――ヒナシアはシーミィの方を見やった。


「シーミィさんにして下さい」


 俄にシーミィが「何を言うのです」と否定した。


「私、お礼される事など全く――」


「助けてくれたじゃありませんか。あのまま軍刀でぶった斬られたら、私は今頃お花畑に行っていますよ」


 目を見開き、フルフルと首を振るシーミィ。しかし構わずにヒナシアは店内を見渡し、心配そうに見つめてくる一同に向かって頭を下げた。


「いやはや、今夜はすいませんでした。今となって考えれば……倒すは二流、戦意を殺いでこそが一流です。私はちょっとだけ使ものですから、あんな風に倒しましたが……。本来なら、シーミィさんのように、防衛に徹して『敵わない』と思い知らすべきなのです」


 でも、と警備兵を呼んだ客(花屋のタゲールという男だった)が反論した。


「ああでもしなければ、この店がどうなった事か……。店長は魔女だから手を出せないし、そこのシーミィさんとやらも魔術で戦う事が出来ない。アンタがいたからこそ、この場は収まったんだ」


 彼の言葉に皆が同意し、ヒナシアの活躍を褒めそやしたが……。


「いいえ、私よりもシーミィさんです」


 頑としてヒナシアは譲らなかった。それから彼女はラーニャに「今度はお金を持って来ます」と微笑み、全員に「お休みなさい!」と手を振って退店した。


 適量の酒と久しぶりの運動でご機嫌なヒナシアを――後ろから急いて追って来た者がいた。


「待ちなさい、待ちなさいったら!」


「……うん? おや、シーミィさんでしたか。急に走ったら吐きますよ」


 シーミィはヒナシアの手を取り、「どういう事ですか」と息を切らしながらも問うた。


「どういう事……?」


「ソボニール人との件です! 誰がどう見ても、事態を集束させたのは貴女でしょうに! それをどうして……どうして私の手柄だと言うのですか!?」


 惚けた表情のヒナシアに苛立ったのか、シーミィはキッと彼女を睨め付けた。


「……悔しいですが、私の体術、武器術は彼らのような軍人に敵いません。魔術を使わなくては……なのに、貴女は魔術も使わず、素手で倒してのけた!」


「だから何だと言うのです?」


 ヒナシアは首を傾げ、それから「うーん」と困り顔で続けた。


「貴女は、バクティーヌでの警備隊長という、国家事業……それも敏感な仕事に就いているだけでなく、節制と禁欲がの魔女宗を出ているでしょう」


「……それがどうしましたか」


 それですよ――ヒナシアは大きく頷いた。


「酒場通いなど、《薄明の夢》では……いいえ、普通一般の魔女に対する常識から言ったら行為です。フードを被って、コソコソと……でも、私はそれを否定する気はありません。魔女も人間です、溜まった鬱憤や疲れをお酒で癒す時だってあります」


 そうでしょう? 問い掛けられたシーミィは黙したままだった。


「岩石みたいに頭の固い貴女です。さぞ酒場通いは気が咎めたでしょう。私のように何処でも出歩き、酒をかっ喰らう事の出来る立場には無い……。そんな貴女が唯一、立場を忘れる事が出来るが――あの酒場だった」


 ヒナシアは道端に置かれた木箱に腰掛け、シーミィを傍にソッと座らせた。


「毎度毎度、『バレていないか』なんてドキドキしながらお酒を飲んで、それでも癒されて。万が一魔女だってバレたら、聖域を失うだけじゃない、職場にも迷惑が掛かるかもしれない。『魔女とはこうあるべきだ』って固定観念のせいで」


 夜風に吹かれる薄黄色の髪が、不思議な神秘性を持つようだった。


「それでもシーミィさんは固定観念を汚さないように……頑張った訳です。その頑張りを、聖域を、何もかもを投げ捨てて――。並大抵の覚悟じゃ、そんな事出来ませんって」


 よーいせっと――木箱から飛ぶように立ち上がったヒナシアは、俯くシーミィを元気付けるような明るい声で言った。


「だーかーら、あの一件で一番活躍したのは……いいえ、……という事なんですねぇ。どうです? 私もそれっぽい事言えるでしょう?」


 笑うヒナシアに対し、シーミィは弱々しい声で「教えて下さい」と呟いた。


「…………正直、私は貴女を魔女の風上にも置けない人だと思っていました。でも、大きな間違いでした。飄々としているようで、それでいてヒナシア・オーレンタリスという魔女の核となるを持っている。教えて下さい――」


 シーミィは素早くヒナシアの手を取り、潤んだ目で見つめた。


「貴女を貴女たらしめるそれは、一体何なのですか? 私は多くの魔女に出会って来ました、見習うべき者もいれば、同属として恥ずべき存在もいた! 私は、貴女に純粋に――憧れます。教えて下さい、貴女はどうして……そんなにのですか?」


「……それって、魔術や格闘術の話じゃないですよね? 強い、強い……難しいなぁ」


 お願いします、とシーミィ。握った手に力が籠もった。


「私、貴女の事が知りたいのです。どのように生き、学び、ここまでやって来たのか。杖無くしてなおも感じられる『魔力の匂い』……を知りたい!」


 過去――この単語を耳にしたヒナシアは、一瞬だけ眉をひそめ……すぐに笑みを浮かべた。


「シーミィさん。私の過去を聞いたところで……一ゼルにもなりませんし、楽しくも何ともありません。貴女は充分に立派な魔女です、それだけは保証します。私は唯の魔女、鹿なのです。それに……私、強くなんかありませんよ。もし、そう見えたのでしたら――」


 シーミィの小さな手を包み込むように握り、ヒナシアは言った。


「強い振りが上手なだけ、ですよ」


 お休みなさい、シーミィさん。ヒナシアは目礼すると、立ち尽くすシーミィの元から離れて行った。


 一人残されたシーミィは、時折吹く夜風に髪を撫でられながら、ヒナシアが口ずさむ「聞き慣れない歌」から……彼女の語られぬ過去を探ろうとした。


 それは柔らかな調子で聞こえ――。


 子守歌のようだった。

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