第18話:魔女と許可証

「えっ、てか何でシーミィさんがここに来られたんで? バクティーヌから出たら爆死するはずじゃ……」


「しませんから! というか爆死するなら酒場に行けないでしょうが!」


「そりゃそうか。これは一本取られましたねぇ」


 ヒナシアの粗末な推測の為に微笑を消し飛ばしたシーミィは、不満げに鼻を鳴らしてから手提げ鞄の中に手を突っ込んだ(片隅に花柄の刺繍を施した革製だった)。


「えーっと……確かここに……」


 チラリと鞄の中身を見やるヒナシア。意外にも整頓はされておらず、ハンカチや何かの書類、財布や化粧ポーチを適当に放り込んだだけらしかった。


「鞄の中身、汚いですね」


「黙りなさい! 急いで来たからこうなっただけなんです! ほら、探し物はもう出て来た!」


 受け取りなさい、早く! 顔を真っ赤にしてシーミィが差し出したものは――耐水性加工がなされた書状であった。


「どれどれ………………へっ?」


 ヒナシアの目が種子のように小さくなった。世界中の公文書で使用される《ヴィリアン語》で記された書面には……。


「まぁ、私からの……せめてものお礼、というよりはお詫びです」


 。神代より使われる厳めしい文字が、彼女のバクティーヌ滞在を、更には――。




 ヒナシアの願って止まなかった賭博場の利用を、今、公的に認められた事を意味した。




「…………」


 書状の上から下までを繰り返し読み耽るヒナシア。喜び、或いは不安を全く感じさせない、「無」の表情がそこにあった。


「ほ、本物ですからね。不安なら文書局に問い合わせると良いですよ……いきなりでビックリしたと思いますけど……あ、アレですからね! 賭博に溺れて破滅しろって訳じゃないですからね!」


 ゴクリ、とシーミィは居心地悪そうに果実の子供用ジュースを飲んだ(先に対応したムルダンの判断である)。


「貴女の出入り禁止も昨日解除しました。許可証が無くとも入場は出来ます。それでも……魔女という事がバレたら、色々と面倒でしょう? 簡単に言えば、貴女は大手を振って、そのぉ…………って訳です」


 書状の下部には『この者が絶対の信頼に値する事を、シーミィ・ロンドリオンの名を以て約束する』と、少し丸っこい文字で記されている。ヒナシアは署名の部分をじっくりと眺めていた。


「……読み過ぎですから! それと、これだけは言っておきますよ! あくまで私は魔女の賭博行為に反対です、貴女も聞いた事があるでしょう、へと成り果てる要因の一つに賭博が――」


 要するに――久方ぶりにヒナシアが口を開いた。


「要するに…………」


 ニヤリとヒナシアが妖しく笑った。


、っちゅー事ですね?」


「何だか誤解を生むような発言は止めて下さい! あくまでです、あ・く・ま・で! 、という事ですからね!」


 ゆっくり立ち上がったヒナシアは、眉をひそめたままのシーミィの元へ歩み寄り……。


「あぁああぁありがとおおぉおおございまぁああぁあすぅうううぅうう!」


「ちょっ!? や、止めて下さいって! 痛い痛い! いたたたたた!」


 渾身の力でシーミィを抱き締めた(鯖折りに似ていた)。轟音のような謝辞と絹を裂く程の悲鳴に驚いたのか、一階で皿を拭いていたムルダンが急いた様子でやって来た。


「どうしたんだい――あっ、お邪魔だったね」


「ちっ、違う…………助けて!」


 飲食の世界へ入って三〇年、ムルダンは場の空気を読む事に長けていた。シーミィの伸ばした手はそそくさと階段を下りて行くムルダンに届かず……やがて、ダラリと床を向いた。


「いやぁシーミィさんは最初から話が分かる魔女だと思っていたんですよぉ! あれ、何だろう、胸大きくなりました? 牛乳って凄いですね! やっぱり出来た人は胸もグングン成長するんですねぇ! 人体の歴史をあっと言う間に覆しましたよシーミィさん!」


「う……うる……さい……!」


「とにもかくにも蛙にも(?)、これでクソのような借金生活――ゴホン、理解に苦しむな労働生活とおさらばという訳です! 見ていろ国王の爺、裸婦像如きでよくも私を縛り付けたなぁ! ドカンと稼いでドカンと返して、アッと言わせてやるぞ! ハッハッハッハ!」


「な……何も……」


 分かっていない――シーミィは悔しそうに呟くと、高笑いする魔女(元)の胸の中で力尽きた。




 この日、仕事を終えたヒナシアは近所の書店に駆け込むと(というよりは飛び込んだ。彼女のせいで数冊の本が吹き飛んだ)、即座に旅行・観光コーナーへ向かい、『バクティーヌの歩き方(最新版)』を購入した。


 今や彼女に料理の暇など無い。読書の時間を少しでも多く取る為、近くの屋台で野菜弁当とスープを調達して帰宅すると、一気に平らげて酒を一口飲み(これだけは欠かせない。彼女のルーティンだ)……。


「学ぶという行為は、何と尊いのでしょうね!」


 椅子に座り、背筋を伸ばして「勉強」を始めたのである。


 読者諸賢のお察しの通り、ヒナシアは人生で最も――読書に集中していた……。

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