第4話:魔女とギャンブル
「ヒナシアちゃん、五番さんの出来ているよ!」
「はぁーい!」
「ヒナシアちゃん、続いて六番さん九番さんのもお願いね!」
「はいはぁーい!」
「おぉーい、姉ちゃん、水くれ水!」
「水ならそこにあるでしょうに、自分で入れて下さい!」
「こっちも水くれや!」
「だぁから水はテメェで入れろって言ってまーす!」
「おーおー、水だけに冷たいな姉ちゃん! ガハハハハ!」
「アハハ! つまんな! カンダレア人、つまんな!」
無駄に明るい太陽がカンダレアの国土をカンカンに照らす、ある日の正午。
かくして幼馴染みのアゼンカ相談員から、食堂の事務を斡旋して貰ったヒナシア・オーレンタリス(元魔女)は、何故か店内でエプロンを纏い、店長が拵える料理を次々に配膳していた。
幸か不幸か――ヒナシアを雇い入れる事となったムルダン食堂の売り上げは、彼女が働き始めた頃よりも四割の向上を見せていた。
人の良い店長のムルダンは(一〇回程、無銭飲食を許している)、後にコンニチワークの所員が「ヒナシアの様子」について訪ねて来た時、こう語った。
「いやいや、良い子ですよ彼女は。最初、帳簿を見た瞬間に椅子から転げ落ちた時は参りましたが、あれですね、彼女は接客向きと言いますか、とにかく前に出した方が輝く子ですね」
ムルダンの采配が功を奏したのか、それともヒナシアに接客業の才能があったのかは不明だが、日に日に利用客は増えていた。使う事も無かった店前のベンチが埋まり、ズラリと行列が出来る日も珍しくは無かった。
「おい姉ちゃん、あんた、魔女なんだって?」
一日で最も忙しい
「そりゃあ勿論、かの有名な《春暁の夢》出身、偉大な魔女ヒナシア・オーレンタリス様ですよ」
「しゅんぎょう? 知らんなぁそんなのは。それにしたってよぉ、あんたはどっからどう見ても、魔術を使えるたぁ思えないなぁ」
自家製キノコ炒めを平らげてから、ヒナシアは自慢気に、何処か悲劇のヒロインを気取るような風に答える。
「まぁ……色々と魔女にもある、という事でしょうかね。人には言えない、神秘に満ちた理由を――」
「借金だろ、姉ちゃん」
ブフゥと水を吐いたヒナシア。ロームズはゲラゲラと笑い、「当たった当たった」と手を叩いて喜んだ。即座に「違います!」と否定するも、髭男は聞く耳を全く持たない。
「こりゃあ今日は勝てるぜ、どうも朝からツイていると思ったんだよぉ」
また行くのかい――濡れた手をエプロンで拭いつつ、店奥からムルダンが現れた。
「あんまり控えないと、奥さん怒るぞ? この前も道端で言われたんだよ、『主人が行きそうになったら止めてくれ』ってね」
「無理無理。こりゃああれだよ、病気なんだな。もう頭ん中で金がチカチカチカチカ……するとだ、フラーっと足が向いちまう」
デザートの木苺プリンを食べながら、ヒナシアは「病院に行くんですか?」と尋ねた。ロームズは袖を捲って力瘤を見せると、「身体はピンピンしとるのよ」と笑った。
「じゃあ何処に行くので?」
ロームズはオホンと咳払いして、ニヤリと口角を上げた。
「紳士淑女の社交場よ」
あぁ! ヒナシアは手を打った。
「舞踏会ですね! 私も修練の合間にクソバ――師匠から教えられましたよ。王宮でやるんですか?」
「違う違う、そんな面白くも何ともねぇ踊りとは訳が違うぜ。要するにだな――賭博場よ」
ロームズの双眼が怪しく輝き、キョトンとするヒナシアに続けた。
「えらーい魔女のヒナシア様には御法度の場所だったかな? ガハハハハ!」
ふと、ヒナシアは《春暁の夢》が所有する講堂、通称「睡魔の巣」で受けた授業の記憶を蘇らせた。
――さて、可愛い小鳥さん達。世の中には、例えば清らかな聖泉や、知識の宝庫である図書館ばかりでは御座いません事よ。賭博場という、それはそれは恐ろしい施設がありますの。
『魔女として生きる』の五七ページを開いてご覧なさい。……皆が笑顔でお金を掴んでいる絵が描かれていますでしょう? この人達は、世にも恐ろしいお金の呪術に掛かっていますわ!
お金は賭けるものでは御座いません事よ! お金は汗水流して働いて、初めて貰える貴重で尊い存在ですのよ。五分で大金を稼いだとします、一〇分後には全てを失っていますわよ! 賭博場とはそういうところですわ! 楽して稼ごうだなんて、魔女の風上にも置けない事ですのよ! 私が赦しません! キィイィイ!
そんな事も言っていたなぁ……ぐらいの記憶しかないヒナシア。当たり前である、座学の六割は睡眠学習(無益)によって補っていた。妙に賭博場の事だけ憶えているのは、師匠が不思議にヒートアップしていたからに過ぎない。
「ロームズさん、あんまりヒナシアちゃんをからかわないでくれよ。この子は賭博なんて縁の無い子なんだから」
賄い代わりのパンを齧るムルダンに、しかしロームズは「さぁてな」とかぶりを振った。
「俺は長年、賭博場に出入りしていたから分かるんだ。強い奴、弱い奴、そして何より……博打を愛する奴の顔がな」
見立ててやろう――ロームズは一息で酒を空にすると、バンダナを巻いたヒナシアの両目をジッと見つめた。
「ロームズさん、鼻毛出ていますよ」
「うるせぇな! ふむ……ふっ、フフフ、ワッハッハッハ!」
「急に笑うじゃん、このおっさん」
ロームズは一頻り笑った後、ムルダンの方を見やって「店長、これぁ参ったな!」と言った。
「な、何がだね……?」
「金を賭けて三〇年、ロームズ・ラウエルが保証する! この魔女の顔は――」
博打をする為に生まれて来た奴の顔だ!
ロームズの断定に気を悪くした店長は、ヒナシアの名誉を回復しようと努めた。
「止めてくれロームズさん! この子はね、訳あってお金を貯めているんだよ、礼儀正しい……かどうかは分からないが、とにかく元気で良い子なんだ。ヒナシアちゃんの為に、謝って欲しいぐらいだ!」
「悪いが店長、こればっかりは嘘を吐けねぇ。顔の部位がどうとか、そういうんじゃねぇんだ。放たれる『気』ってのか? とにかく他の奴らとは比べもんにならねぇぜ」
「悪酔いが過ぎるぞ! 困ったもんだよ、全て奥さんに報告するからな――」
「おいおい! そりゃああんまりだぜ――」
ムルダンとロームズの応酬を他所に……ヒナシアはペタペタと頬を触っていた。
いつも通り、モチモチのスベスベだ。何も変わらない、私のほっぺただ。
そう思った彼女は、しかしながら――。
胸の奥がジンワリと、まるで熱い飲み物を飲んだ時のような感覚を、ハッキリ覚えていた。
時に、運命とは否定し難い「神秘性」を纏い、すぐ傍に佇んでいるものだ。
この日……ヒナシアは初めての給料日であった。
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