第3話:魔女と幼馴染み

 久方ぶりに出会った友人を前にした時、不思議と人間はどうでも良い事ばかりを訊ねたくなりがちだ。ヒナシアはこの法則にキチンと従い、つい最近、体重が増えた件について熱く語り出した。


 そしてここは職業安定所。ヒナシアのような人間は、例えば床を磨いている内から土足で現れる客人の如く……。


 唯の邪魔者である。


「ていうか、仕事探さないなら帰ってくれる? それと、半年前に貸した一〇〇〇〇ゼル、返してよ。借りたお金を返さないのに、自分だけ仕事を見付けようだなんて甘いよ」


「急速に突き放すじゃんこの魔女……すいません、今手持ちが無くて……初任給で払いますから、実入りが良くて楽で週休三日の仕事を下さい……」


 身の程知らずな希望を無視したアゼンカは、ヒナシアの書いた「求職者情報」に目を通し始めた。ヒナシアの背中に汗が滴った。


「ここ、おかしくない?」


 相談員が目を留めたのは「特技」の欄であった。当然である。


「な、何かありましたか……?」


「『魔術全般』が特技だって書いているけど。杖は? 持っているの? まさかとは思うけど、私の知らないところで《杖持たず》になれたって訳では無いよね?」


「……いいえ。今は杖が無いです」


 魔女が魔術を行使する際、各自手製の魔杖まじょうが必須となる。魔女としての最初の修練は、「杖の作成」であると相場が決まっていた。この杖無くして、彼女らは魔女として生活出来ないし、誰も魔女であると認めてくれなかった。


「無いよね。無いって事は魔女じゃないよね。魔女じゃないって事は魔術を使えないよね。使えないって事は特技じゃないよね」


「…………」


「特技じゃないって事は、嘘を吐いている事になるよね」


「うっ、うぅ……」


「泣いても杖は返却されないよね。ヒナシア、貴女は何が得意なの?」


「……短距離走」


 アゼンカはガラスペンを手に取り、「魔術全般」という文字の上に大きくバッテンを書き、横に「無し」と記した。


「これまで、何か仕事をした経験は――無いね」


 修練で忙しかったもん……ヒナシアはチリ紙で鼻をブブーッと汚い音を立ててかみ、「アゼンカこそ」と反論した。


「ここに就職する前は何もしていなかったでしょうに。運良く、或いはどうか知らないけど、そうやって就職出来ただけでしょうが――」


 していたよ、とアゼンカは気軽に答えた。


「薬瓶の回収と御用聞き。調合の手伝いもしていたね。私、誘ったのに忘れたの? 『怠いから嫌だ』って言ったのはヒナシアだよ」


 何を言っても勝てないヒナシア。全てがお粗末な女であった。


「でも安心して。五〇年間仕事もしないで、親の遺産を食い潰した人も就職させた経験があるし」


 何とも頼もしい言葉である。実際、安定所内での「就職させた人数」の順位は一位であったアゼンカは、つい先月に多額の勤勉手当を与えられていた。


「アゼンカが借金を肩代わりしてくれたら、話は丸く収まるんですけどねぇ……」


「私の目に物凄く鋭いかどが立つよね。……ほら、食堂とかの事務もあるよ」


 募集内容一覧、と書かれた分厚い本を棚から取り出し、その一ページを愚かなる元魔女に見せてやるアゼンカ。


「経験不問、賄い付き。月給は一四五〇〇〇ゼル。週休は毎週二日だけど、繁忙期は隔週二日に変わるね」


「うぅーん……住宅手当はちょっぴりだなぁ、通勤手当も少ないですよね」


「どの立場から言ってんだって話だよね。でも離職率は低いし、店長さんと話した事があるけど良い人だったよ」


 不満げに口を尖らせるヒナシアは、「何と言いますかぁ」と陽気な声で言った。


「もっとパァーッと稼げるやつは無いんですかぁ?」


 無言でアゼンカは立ち上がり、棚から「緊急案件」と赤文字で書かれた本を取り出した。


「年収確約、ってのがあるよ」


 そうそうそれそれ! 俄に身を乗り出したヒナシア。


「そういうやつですよぉ! どんなのですか? 多少の残業は目を瞑り――」


酸噛竜さんこうりゅうっているじゃない? それの飼育実験補助」


 強酸性の水場を好み、常に全身から合金をも溶かす「汗」を流し、を求めて世界各地を彷徨う、凶暴極まり無い竜種――それが酸噛竜である。


 以前、隣国のジャレイル公国は不幸にも国土に居着いてしまったこの竜を討伐すべく、大規模な犠牲を払ったのは有名である。カンダレアはその時に発見された幼体を捕獲し(竜種の多くは単為生殖が可能であった)、第二第三の悲劇を生まぬよう調査実験をしている――という顛末であった。


「……いや、それはちょっと……」


「その飼育をして欲しいらしいよ。殉職率はだけど、二年も生き残れば借金は払えるんじゃない? それに、ヒナシア強いじゃん。まあまあ。紹介状、出そうか?」


「えっ、アゼンカは友達ですよね……?」


 要するに――アゼンカは呆れながら本を閉じた。


「短時間で稼ぐには危険と特異な技術、或いはが必要って事だよ。明日もここはやっているし、私だって出勤するから……ゆっくり宿で考えなよ。先は長いんでしょ?」


 後で二階に行くと良いよ……優秀なる相談員アゼンカ・デキオンズは続けた。


「二階はね、安い住居の斡旋も行っているの。ヒナシアだって女なんだから、宿暮らしじゃ色々と大変だよね。……はい、これ私の名刺。これを見せれば、条件の良い物件を紹介して貰えるはずだから」


 古時計を見やるアゼンカ。相談は一人一五分と決まっていた。


「もうこんな時間か。じゃあね、ヒナシア。仕事決まったら、一緒にお酒飲みに行こうね。……大丈夫、独りぼっちじゃないから――」


 この国には、私がいるんだよ。


 ぎこちない笑みを湛えるアゼンカに目礼し、ヒナシアはゆっくりと歩き出す。階段を上がる前にトイレへ向かうと、個室の鍵を掛けて――。


「……ふっ、ふぅ……うぅ……!」


 無二の友、アゼンカの優しさに泣いたのである。

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