第2話:魔女と就活

 ヒナシアが暮らす事になったカンダレアをはじめ、一定の領土、人民を抱え持つ国には職業安定所――通称「コンニチワーク」――が数ヶ所ずつ設置されていた。


 一生行く事は無いだろう。だって私は魔女だもんっ……と、三ヶ月前に建物を見て嗤っていたヒナシアは、果たして履歴書を携え、嫌々ながらも安定所通いの日々を始めた。


「うっわぁ……めっちゃ並んでいるし……」


 明日は我が身を地で行く女。行列に並ぶのが大嫌いな性格であった為、朝八時から虫だらけの宿を出発し、最寄りの安定所へ向かったのだが……。


「あの、今何人待ちですか」


 分厚い眼鏡を掛けた所員の男が、ジロジロとヒナシアの服装を観察しながら言った。薄手のニットにホットパンツというファッションは、余りに就職活動を嘗めていた。


です。ここは初めてですか?」


「はぁ…………はい、初めてです」


 じゃああそこに行って下さい――男は大変気怠そうに、ツンツンと遠くの机を指差した。


「個人情報を登録するので、書類を何枚か書いて貰います」


「え? いや、履歴書持って来ているんですけど……」


 珍しい昆虫を見付けたような顔で男が返す。


「履歴書は私共から紹介状を受け取った後、就職したい企業さんに送るものですから。本日持って来られても『あぁそうですか』としか言えません」


 ヒナシアの目がになった。必死になって記入した時間を返してくれ――叫びたくなったが、叫んだところで摘まみ出されるのがオチなので、グッと堪える元魔女。


「が、頑張って書いたんですけど」


「あぁ、そうですか。ではあちらで書類に記入をお願いします」


「自己宣伝も頭を痛めて書いたんですけど」


「あぁ、そうですか。次の方どうぞ」


 果たして彼女は空想の中で男の眼鏡を踏み砕きながら、書類に必要事項を記入していく。勿論、特技の欄には「魔術全般」と記載した。


 一五分後、憎たらしい男の元へ書類を持って行くと、殆ど目も通さずに小さなカードを渡して来た。


「えっ、読まないの?」


「私は読みませんよ、読むのは相談員です」


「そこに座って、カードを発行して、調子こいて文句言って終わりですか?」


「警備兵を呼びましょうか」


「すいませんでした、ありがとうございます」


 時には下手に出るのも処世術の一つだ。ヒナシアはそれを理解しているし、発揮する事も出来る。伊達に《春暁の夢》出身ではないのだ(破門をされたとしても、だ)。


 さて、晴れて安定所の利用許可が下りた。担当の相談員が呼びに来るまで、ヒナシアは近くに置いてあった職業訓練のチラシを眺めていた。


「ふぅーん、大変だなぁ一般人は……」


 魔術を使えないヒナシアも立派な一般人である。早急に自身の立場を省みる事が、唯一の借金返済への近道と言えよう。


 ああでもないこうでもない……と文句を垂れ流し、だが一応は持って帰ろうとチラシを片っ端から取り、お気に入りの手編み鞄に入れていくヒナシア。


「受付番号五七番さん、三番窓口にお越し下さい」


 待つ事三〇分。とうとう彼女の順番が来た。


「五七番? あっ、はぁーい!」


 ジロリと利用者に睨まれるも、しかし彼女は一向に気にしない。視野の狭さは一級品である。急いて三番窓口に向かったヒナシアは――。


「っ、あっ……?」


 担当の相談員と目が合った瞬間、氷結の魔術を受けたように……その場で硬直した。


「こんにちは、ヒナシア。


「あ、アゼンカ……どうしてここにいるんですか?」


 まぁ、とりあえずこっちに来なよ――相談員、アゼンカ・デキオンズは温もりを一切感じさせない、作ったような笑みを浮かべてヒナシアを促した。


「どうぞ、座って下さい」


「あっ、すいません。その、実は仕事を――って! 何でここにいるのか訊いているんですよ!」


 小声で怒鳴るという器用な技を持つヒナシアに、アゼンカはまたしても作り笑いをしてみせた。


「気持ち悪いんですよ、その笑顔! 修練生の頃から全く変わらないですね!」


 ヒナシアと同じく――アゼンカ・デキオンズは《春暁の夢》出身の魔女であった。氷雪の魔術を得意とし、ヒナシアと違って勉学も長けていた彼女は、師匠からアッサリ許しを受けた。ヒナシアよりも半年早く就職活動を始めたアゼンカは、偶然にもカンダレア王国の職業安定所に入職した……という顛末である。


「全然笑顔を見せない頃の方が可愛げがありましたよ!」


「今の方が可愛いと思うけど…………まぁ良いや、それでヒナシア。どんな仕事に就きたいの?」


「やっぱり事務職が良いかなぁって、いやいや待って下さい待って下さい。どうして、あのが、こんな、情け無い事に、なっているのか! 知りたくないんですか!?」


 かぶりを振って青白い髪を揺らすアゼンカ。


「王宮での一件は耳に入っているよ。師匠からもが来ているし」


「は? あのクソババア……そういう時は手が早いな……!」


 でもね――作り笑いはせず、ヒナシアの記憶に残る「無表情」顔でアゼンカが言った。


「ヒナシアがどんな境遇に落ち込んでも、カスのように落ちぶれても、私は友達だよ」


「えっ……急に素敵な事言いますね。抱き締めて良いですか?」


「それは止めて」


「あ、はい」


 五秒前まで小説に感動し、この世の素晴らしさを讃えていたにも関わらず、五秒後には増加する犯罪について真剣に論議が出来る――アゼンカは器用な魔女であった。

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