第1話:魔女とスローライフ
朝七時。家々の屋根で小鳥が元気に囀る時刻だ。
「飯だぞ、バカ魔女」
カンダレア大獄の留置場監督官ザエルは(夜勤明け)、最近疲れの取れない両目を擦りながら、国宝である《天衣を纏う婦人》像を破壊した魔女――ヒナシア・オーレンタリスが眠りこける独居房の柵を蹴飛ばした。
朝食を載せたトレーを携えるザエルを……舌打ちしながらヒナシアが睨め付けた。
「……今日の献立は?」
気怠そうにザエルがトレーに視線を落とす。
「パン、豆のスープ、それに美味しい美味しい大獄ケーキだ」
「げぇっ!? そのケーキ、洗っていないローブみたいな臭いがするから要りません!」
文句を言うな――ニヤつきながら、柵の下に付いている小窓からトレーを押し込むザエル。ブツブツと文句を言いながらも、しかし腹の減っているヒナシアは石のように硬いパンを千切り、水溜まりのように濁ったスープへ浸した。
「そう言えばな、バカ魔女。魔女宗から連絡が来たぞ、本当に《春暁の夢》に所属していたんだなお前」
えぇっ? 目をカッと見開き、ヒナシアが問うた。
「それで、師匠は何と……?」
ザエルは見開かれた彼女の双眼を見つめ、微笑みながら――首を掻き切るような動作をした。
「『一ゼルも払いません。ヒナシア・オーレンタリスは煮るなり焼くなりして結構です』、だとさ。美味そうだもんな、お前。胸の辺りとか」
粗末に粗末を極めた朝食を終えたヒナシアは、石壁の上に空いた丸窓を見つめていた。
「……私、どうやって食べられるんだろう。やっぱり焼いたり、炙ったりかなぁ……」
思い浮かぶ自らの調理方法に震えるヒナシアだったが、どれも出来上がりは「バカ魔女のステーキ」である為、彼女の料理知識の無さが窺えた。
「あぁ、何で師匠は弟子の失敗を尻拭いしてくれないのかなぁ……」
やはり、火炙りが相応しいのは火を見るより明らかだった。
ヒナシアは一週間前――王宮で国宝を破壊してから――額から血が出るまで土下座を繰り返し、「師匠に賠償金を肩代わりして欲しい」旨を記した嘆願書を、遠方にある《春暁の夢》の本拠地へ送らせた。
数日を経て、嘆願書を受け取った師匠自らが、カンダレア大獄の前に箒に乗って現れ、無慈悲な返事を残して帰宅した。
要するに「破門」である。
「あーあ、私が死ぬと同時に世界が混沌に飲み込まれないかなぁ」
自分では無く彼女を罰した世界を怨む辺り、師匠の下した決断は正しい。
しかしながら――時に人生とは予想だにしない出来事が起きるものだ。
ヒナシアが世界を呪い始めてから一時間後、まだ帰宅出来ていないザエルが二人の衛兵を連れて現れた。
「非常に残念な事だ、バカ魔女」
「何ですか? 今、せめて不味くなってやろうと自らに呪いを――」
嘲笑を浮かべるザエルが合図をすると、衛兵達が独居房の鍵をすぐに開けた。キョトンとするヒナシアに、残業手当も出ないザエルが一言、言った。
「釈放だ、バカ魔女」
二度、三度と瞬きをして……ヒナシアは右胸を抓った。
「痛っ。張りのある肌だから痛っ」
「頬じゃなくて胸を抓る奴は初めてだ。良いから早く出ろ」
「えっ、マジに釈放ですか? 『うっそーん、実は厨房へ行きまーす!』って結末は無いですか?」
「大獄の調理道具は国民の税金で購入している。お前の血で汚れてみろ、税金の無駄遣いだと大騒動だ」
五秒後、魔女は大獄に響き渡るような声で「いよっしゃおらぁぁあああぁあぁ!」と叫んだ。四方の房から「うるせぇぞボケ!」と怒号が飛び交ったが、自由の身となった彼女にとっては勝利のファンファーレも同じだ。
「やはり高貴な私には、こんな汚らしいゴミ共の巣は似合いませんね! 諸々の犯罪者共! 今まで毎日卑猥な言葉を浴びせてきやがって、どうもありがとうございました! キチンと罪を償って、虫ケラに負けないような素晴らしい大獄生活を送って下さいね!」
二人の衛兵は哀れな者を見る目で……魔女ヒナシアを見つめた。魔女の定義を見事に粉砕する彼女に、ある種の恐怖すら覚えた事だろう。
「さぁてザエルさん、早く外に連れて行って下さいますか!」
「あぁ、ちょっと付いて来てくれ。手続きがあるから」
衛兵に挟まれ、ヒナシアは鼻歌混じりにザエルの後を追った。塗装は剥げ、カビも生えた壁面はまるで高尚な絵画のように、床を走る得体の知れない虫は幻想的な神秘生物のように映った。
やがてザエルは「面談室」の前で立ち止まると、ヒナシアに入るよう促した。「はいはぁい」と軽やかに扉を開け、中心に置かれた長机に向かった。机上には一枚の紙が載っていた。
「全く、お前は運の良い奴だな。丁度、王妃生誕五〇周年なんだ。恩赦が出たという訳だ。よし、そこに署名してくれ」
「そうだったんですね……! 王妃、ありがとうございます! このご恩はきっと忘れません! えーっと、……ヒナ、シア、オーレン……タリスっと」
「随分と気軽に署名したな、よく読んだか?」
「え?」
踊るような名前の上で――冷徹極まり無い文章が並んでいるのを、愚かなヒナシアは署名後に気付いた。
・私は、《天衣を纏う婦人》像を破壊した事を全面的に認めます。
・私は、賠償金を一月に五〇〇〇〇ゼルずつ、総計一八〇〇〇〇〇〇ゼルを支払うと誓います。
・私は、賠償金を完全に支払うまで、如何なる理由があってもカンダレア国外に出向きません。
・私は、賠償金を完全に支払うまで、魔杖の所有権をカンダレア大獄に委託します。
・私は、上記の何れか一つでも履行しなかった場合、如何なる処罰も受け入れます。
「このインクって、消せるやつですか?」
「いや、無理だな。魔女が作った特製のインクだ」
「この紙は破れますか?」
「それも無理だな。やはり魔女が作った特製の紙だ。燃えない、濡れない、破れない、だとさ。魔女って凄いよな」
「私も魔女なんですけれど」
「杖が無いだろう。魔術を使えない魔女は唯の女だ。いや、バカ女か。ちなみに、その紙とペンを作ったのはお前の師匠だ」
「はっ!? あのクソババア、次会ったら魔術で燃やしてやる!」
「まぁまぁ落ち着けよ。とりあえず仕事を探せば良いんじゃないか? 魔術を使わなくても良い、普通のやつを。なぁに、すぐ返せるさ。一年で六〇〇〇〇〇ゼル、これを三〇年続けるだけだ。そうそう、履歴書、今度は無くされないように気を付けろよ、ハハハ」
その後、ヒナシア・オーレンタリスは街外れにある格安の宿を取り(財布は返して貰った)、すぐに文房具店へ向かった。
何を買ったか、読者諸賢にはお分かりだろう。
そう、筆記用具と履歴書である。
「何処かに侵略されれば良いのになぁ、この国。それと、あのババアの隠していた財産、誰かに没収されないかなぁ」
元魔女、ヒナシア・オーレンタリスの
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