第5話:魔女とパンフレット

 幾つもの国を別つ大山脈の向こうへ、今日も太陽はノンビリと沈んでいった。


 辺りが薄らと紫色に染まり始めた頃……ヒナシアは右手に給料袋を、左手には賄いの残りを詰めた小箱を携え、トコトコと帰路に就いていた。職場から徒歩一五分の格安アパートは、決して住環境が整っている訳では無かったが……。


 うら若いヒナシアにとって、完全なプライベートの空間を持てるのは非常に嬉しかった。


「ただいまーっと……」


 蹴飛ばせば簡単に破壊出来そうなドアを開け、当然だが誰もいない部屋へ帰宅した元魔女。水を垂らせば明るく、長時間燃え続ける燃明石のランプを点ければ、狭くも楽しい我が家の完成だ。


「ご飯とぉーお風呂だけがぁー楽しみなのよー……っと」


 妙な節を付けて寂しい生活を歌い上げるヒナシア。ここで彼女の住まうアパートの紹介をしよう。


 一、玄関について。最近は生体波動を登録し、登録者しかドアが開かない厳重な施錠システムも販売されているが、ヒナシア宅は勿論、鍵。ごく普通の鍵だ(大家曰く、針金で開くらしい)。


 二、間取りについて。居間、ダイニングルーム、寝室、全て兼ねる「部屋」が一部屋。床は全て木張りだが、ところどころ虫に食われているのが難点か。


 三、風呂・トイレについて。何とどちらもされていた! ヒナシアの暮らす部屋は――アパートの中では――最も新しく、こびり付いた水垢や汲み取り式である事に目を瞑れば、外の共同トイレや公衆浴場通いにならなくて済むという訳だ。


 以上……二階建てのアパート(彼女は二階)、家賃三五〇〇〇ゼル、その一室の紹介であった。


「さぁーてお湯でも張るかぁ」


 ヒナシアは風呂桶を大きなブラシでゴシゴシとやり、湧湯石なる優れものを放り込んだ。コトコトと二度三度動いた石は、やがて適温の湯を噴き出し始める。


「あーあ……杖があれば、こんな石ころに頼らなくっても良いのに……」


 とりあえず文句を言いつつ、衣装箱から下着とタオルを取り出し、入浴が待てずに服を脱ぎ出すヒナシア。頭脳はともかく、魅惑的に育った肢体が露わとなった。


 陽に焼けた訳では無く――元々肌が小麦色であった彼女は、よく他人から「南国の生まれか」と問われるが、ヒナシアは北方の出身であった。


「おっとっと……お酒も冷やさないと……」


 ヒナシアはニマニマと笑みながら、魔術によって作り出された氷――が入った冷蔵箱に、地ビールの瓶を並べていく。


それから五分後、風呂桶には適量適温、完璧な状態の湯が張られていた。雑誌を数冊手に持ち(浴室での読書は彼女の趣味であった)、洗濯籠に下着をポイポイと脱ぎ入れ、湧湯石を天井から吊して湯を発生させる。シャワー代わりであった。


「あぁー。疲れと汚れと穢れが取れるぅー」


 穢れは落ちないだろうが、それでも労働後に浴びる湯は実に気持ちが良い。手際良く身体を洗っていき、洗髪剤にはヒナシア独自の香料をブレンドしたものを使用、玉のような肌(自称)を傷付けぬよう、特別な海綿でマッサージをする。


「やっば……私の身体、魅力的過ぎるぞ……? 顔も芸術的だし、美人罪で逮捕されるのでは……?」


 、外面が高レベルに位置して、初めて美人と呼ばれる事を彼女は知らない。「特定宝物損壊罪」によって連行されるのが相応しかろう。


 自身の身体に惚れ惚れとするヒナシア。やがて泡をサッパリ洗い流し、水面に髪が付かぬように縛れば――待ち焦がれた入浴の時間だ。


「うっ……ふぅ……あんっ……あぁ」


 気色悪い声を上げながら湯に浸かる元魔女の顔は、どうしようもないくらいにだらしない。スープに三日間浸したパン屑のような表情であった。


 風呂桶の縁に足を上げ、ボンヤリと天井を見つめるヒナシアは……。


「…………ふむ」


 のように――頬にソッと触れてみた。吹き出物一つも無い、確かに滑らかな肌は……いつも通りの感触である。




 博打をする為に生まれて来た奴の顔だ!




 石工ロームズの、酒に酔っているはずなのに奇妙な説得力を持った相貌が、俄に思い出された。彼は、異様に厳しい妻に見付からなければ、今日も賭博場の集合体とも言える――《バクティーヌ特別区》に向かうらしかった。


「バクティーヌ特別区……」


 ヒナシアは手を伸ばし、『ようこそバクティーヌへ!』と書かれたパンフレットを手に取った。郵便箱に入っていたものだった。


 無作為無制限に配るにしては、余りに豪華で楽しげな内容に……ヒナシアは時間も忘れて食い付いた。




 カンダレアにお越しの方、既にお住まいの方、故郷を追われたそこのアナタ!


 まさか、紳士淑女御用達、絢爛豪華で愉快適悦なバクティーヌにいらっしゃらない、なんて事は考えていないですよね?


 考えていたというアナタ、すぐに頭をガツンと殴って改めましょう。痛い? 大丈夫です、バクティーヌに来られれば全てを忘れられます!


 そんじょそこらの違法賭博とは大違い、何たってバクティーヌはの、安心安全公明正大な賭博場なのです! 勝ち分を値引かれたり、意味不明な場代を徴収される事は全く御座いません!


 全てが安全、全てが楽しい! 意外と知られていませんが、イカサマの完全撲滅宣言はバクティーヌが初めてなんですよ?


 区内全域が「愉楽」で満ちたバクティーヌ!


 お小遣いでチョッピリ楽しむ人、良し!


 ガツンと賭けて稼ぎたい人、良し!


 とにかく賭博大好きな人、良し!


 美味しい食事に面白さ抜群の観光施設、これだけの利用も当然良し!


 どうでしょう、これでもまだいらっしゃらない? 主要都市から出る無料送迎馬車もご用意しているのに?


 よろしい。では、ここで一つ、賭けをしましょう。


 アナタは必ず――バクティーヌの地へ足を踏み入れます!


 この勝負に勝ったと仰る方は、是非とも区内総合案内館へお越し下さい! 記念品をお渡し致します!


 以上、「我々は全てに賭ける」でお馴染み、バクティーヌ特別区広報係でした!




 全てを読み終え――ヒナシアは呟いた。


「私、?」

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