僕の悩みは君の歌声で消えてしまったよ

「~♪」


「うん、まぁ良いだろ。よし、凛。合格」


「はい、ありがとうございます」


 音楽の授業は奏の予想通り『歌』の授業だった。その内容は皆の前に立って課題の曲を歌い、律の先生の判定で合否を決める。

 といっても、律先生のお耳は非常に高性能なため明らかにふざけた歌い方をせず、『今のが、本人の全力!』という事がわかれば、だいだいは合格判定出すといった緩い授業だった。そのため、クラスの皆も前に立つまではメチャクチャ緊張しているが、終わった後は安堵の表情を浮かべ、あとは寝ないように頑張るだけのそんな授業だった。


「お疲れ様。砂山さん、歌上手だね」


「えっ、そんな事ないよ。単にカラオケ行きまくっているだけだよ」


 横の席で安心して自分の席に戻ってきた砂山に奏が声をかける。砂山は両方の掌を広げてぶんぶんし、わかりやすいくらいの照れ隠しをする。

 まぁ、奏の言い方も嫌みが全くない純粋な賛美の言葉だから、こいつにこんな事言われればそうなるわな…。確かに、砂山も上手いほうだったが。


 一方、俺の方は緊張で少し胃が痛くなっていた。こんな緩い授業でこんな思いをしているのは、もはや俺だけだろう…。

 はぁ、低音かぁ。大丈夫かな…


「響、大丈夫か…?何か試験前の時と似たような顔をしているけど」


 俺の異変を察知した奏が心配そうな表情で俺に声をかける。

 うぅ、今は君の優しさが逆に辛い。

 少し無理をして笑顔をつくり、言葉を返す。


「あぁ、何とか…。でも、大丈夫。この授業、一生懸命歌えば律先生も不合格にはしないから」


「いや、俺は合格うんぬんより、何かお前が無理しているよう気がして―」

「次ー、響。前ー」


 律先生の透き通った声が俺と奏の耳に届く。

 若干吐き気まで催してきたが、それを堪え、机から立ち上がり、前に向かって歩き出そうとするが


 クイッ…

「奏?」


 突然、奏が俺の制服の裾を掴み、軽く引いた。

 そして、表情に憂いはあったが、こいつは俺の為に言葉紡いでくれた。


「大丈夫だよ。響が怖がる理由、俺にはわからないけど…」



「響の事だから一生懸命頑張ってきたんだろ?だから、大丈夫!」


 …こいつは俺の趣味を知らない。だから、俺が実を言うと今日の日の為に自宅でボイトレをしていたなんて知っているはずもないのに。

 それでも、こいつは俺の頑張りを察してくれていた。こんな事を律先生以外にわかってくれる人間がここにもいた。それだけが、ただ、嬉しかった。


「うん。さんきゅ」


 俺がそう答えると、奏は朗らかに笑って手を放す。

 その顔を見た時、もう胃は痛くなかった。



 皆の前に立って背筋を伸ばす。いつも違う俺の雰囲気にクラス皆の視線も心なしか集まっている気がした。律先生に視線を送ると、先生は少し笑って黙って頷く。その顔も俺に勇気をくれる。


「良し。じゃあ、奏。テスト開始」


 曲が流れ、口を開いて声を出す俺。



 結果だけ言うと相変わらず低音での歌声は、俺にとっては『まぁまぁ』の結果だった。


 ただ、歌い終わった後の律先生の満足そうな顔と席に戻ってきた時の奏の


「なんだよ、響。上手じゃないか!」


 の一言を聞いて、隠れて練習した時間は無駄じゃなかったと思えた。




「良し。最後、奏。前」


「あっ、はい」


 自分の名前が呼ばれた奏は席から立ち上がり前に向かおうとする。期待の新入生の歌声はいかほどのものか、みんなの視線も奏に集中するが、そんなものはどこ吹く風で奏は俺に笑いかけて、


「今度は俺の番だな。俺も響の頑張りに負けないように頑張ってくるよ」


 と一言。

 ホント、青春漫画の主人公かよ、コイツ。普通、こんなセリフが笑って言えて、しかも、似合う人間そうそういないぞ。

 しかし、さっきの励ましの言葉の礼もしたかったので、俺は小さい声で


「おう、頑張れ…」


 と照れ隠しの頬杖つきながら、一言。

 それを聞いた奏はニッと笑い、前に歩いていった。その様子を見ていた砂山がちょっと顔を赤くしながら、俺にジト目で問いかけてくる。


「ねぇ、あんたたちマジで付き合っているの?仲良過ぎじゃない?」


「んなわけあるか!?まぁ、この短期間で接点が増えたのは否定できないが」


 ふーん。と言いながら、ニヤニヤした笑顔を作る砂山。

 くっ、腹立つ…。しかし、『付き合っている』という言葉は全力で否定した俺も


『仲が良い』の一言は何となく嬉しかった。




 皆の前に立った奏は『ふー』と小さく息を吐き、チラリと律先生を見る。律先生は目線でその合図を察し


「良し。では、星空奏。テスト開始」


 そう言って曲を流す。奏は俺の方をまっすぐ見てきた。その目は


『見ていて、響!』


 そう言っているようだった。そして、




 奏の歌を聞いて、俺は驚愕する。




 奏の歌声はどう表現して良いかわからなかったが、あえて簡潔に言えば


『心に響く中世的な声』


 その奏の女性とも男性とも言えない特徴的な歌声を聞いている間、俺は時が止まったよう気さえしていた。


 いや、俺だけじゃない。全員が奏の歌声に耳を傾けていた。

 それはあの律先生も含めてだ。

 誰もが、奏を見ていた。

 もうこの時間は奏のものだった。


 皆の視線を一身に受けた、奏は笑顔で、額にキラリと汗が輝くくらい、一生懸命歌っていた。

 その顔は本当に楽しそうで、幸せそうで、『歌が大好き』だという事が一目でわかる表情だった。


『奏、すげぇ…』


 その時、俺の心に沸き上がったのは少しの『悔しい』という気持ち。

 でも、それ以上に。


 このクラスの中に俺と同じくらい、いや、それ以上に『歌が好き』という人間がいたことの『喜び』だった。

 そして、それが奏であったということが、どうしてか飛び上がりたくなるほど、嬉しかった。


 曲が終わる。わずか数分の時間だったが、これほど早く感じ、これほど終わりが惜しいと思った時間を体感したのは久しぶりだった。

 一曲全力で歌い切った奏の顔は晴れやかだった。しかし、夢中になって歌っていたことにやっと気づき、顔を赤くして俯く。


 パチパチ…


 どこかで拍手が上がる。

 手を叩いていたのは、俺だった。

 自分でも気づかなかったが、スダンディングオベーションして奏の歌を讃えていた。この歌にはそれだけの価値がある。純粋にそう思えたから。


 パチパチパチ…


 徐々に増える拍手の音。中には俺と同じく立って拍手する奴までいた。

 奏はキョトンとしながら目の前で起きている出来事を見ていたが、次の瞬間―


 ワァッ!


 クラス全員が大きな拍手で奏の歌を讃えた。


 音楽室に響くいくつかの指笛、

 奏の歌を褒める『凄い』『カッコいい』など賛美の言葉の数々、

 中にはちょっと泣いているやつもいた。…この俺もその内の一人だった。

 もうそれは、ただの音楽の授業で歌う歌声で、起きる出来事ではなかった。

 それほど、奏の歌は皆の心に響くものだったのだ。


「奏」


 拍手の嵐の中、律先生の通る声が奏に届く。奏が律先生の方を向くと


「素敵な歌声だ。良いものが聞けたよ」


 律先生なりの最大級の誉め言葉だった。あんな顔の律先生を見ることができて、なんだか俺も嬉しくなった。

 奏は少し目を潤ませて、


「ありがとうございます」


 そう感謝の言葉を述べて頭を下げ、自分の席に戻っていく。律先生は満足そうな笑顔を浮かべた後に立ち上がって手をパンパン鳴らす。


「はいはい。感動したのはわかったから、静かに。よーし、とりあえず、毎回恒例の今日のMVPを決める投票をするぞー」


 そんなものしなくてもわかるだろうに…。律先生ったら、全く…。いつも厳しいけど、褒めるときは全力なんだからなぁ。

 そんな本日のMVPは夢中になり過ぎた自分を反省するように小さく縮こまっていた。

 まったく、こいつはこいつで…。あの堂々とした態度はどこいったのやら


 でも、俺はどうしてもこいつに一言伝えたかった。

 だって、こいつの歌声を聞いた時、もう小さなスランプはどこかにいって、またこう思えたから


『今すぐにでも歌いたいと―』


「奏」


 奏は静かに顔を上げる。その顔は赤くなっていたが、何かを成し遂げたそんな表情をしていた。俺はただの授業の課題曲でここまで全力を注げる、奏のその強さが少し羨ましかった。

 だから、全力で讃えてやろうと思った。



「お前の歌声、最高だったよ。俺、歌で目頭が熱くなったの、久しぶりだ」



 そう告げて笑顔を向ける。

 だって、その言葉は紛れもなく、俺の本心から出た言葉だったから。その言葉を受けた奏は目元の涙を拭いながら、照れくさそうに笑う。


「そんな、褒め過ぎだって、響。でも…」



「ありがとう。お前にそう言われると、本当に…、嬉しい」



 お礼を言うのはこっちの方だ。奏。

 まさか、本当にお前が俺の悩みを、こんなやり方で解決してくれるなんて、思ってもみなかったんだから…


 澄み渡る青空を背に、照れながら笑う奏の顔を見て、

 俺の悩みはもうどこかに消えてなくなっていた。

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となりの転校生(♂だよな…)がカッコ可愛くて、困っています… 蜂蜜珈琲 @kansyou_houjicha

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