私の願いは、君の…
ジャー
「…お手洗い、お貸し頂き、ありがとうございます」
先ほどまで嫌な汗が止まらなかった私は、原因たる不安要素を文字通り洗い流す事ができた解放感で、思わず言葉が丁寧になってしまう。そんな私に対して、響は一瞬、怪訝そうな顔をするが、先ほどのやり過ぎた悪戯を反省してくれたのか、ばつが悪そうな顔をして言葉を返す。
「別に良いよ、礼なんて。俺も、その、悪ふざけし過ぎたし…」
響はそう言って、珈琲を口に運ぶ。
…響、これで何杯目?もう『好き』を通り越して、『中毒』のような気もするけど。
そう思いつつも、私も再び響が淹れてくれた珈琲を飲む。
美味しい。飲み過ぎは胃に良くないって聞くし、さっきのような危機を生む可能性もあるけど、
「止められないな、これ…」
「わかる?俺も永遠に飲んでいられる…」
そう言って、お互いに目を合わせた後、ぷっ。と吹き出して、笑いあう。
彼の好きなモノがまた一つ、知ることのできた嬉しさと、今度は歌の姿で響と珈琲が飲みたいという楽しみが生まれ、私は自然と笑顔になっていた。
※
「ふー、終わった。ここまで勉強すれば、試験、何とかなるだろ…」
そう言って、机に頬をくっつけながらコタツに身を預け、だらんとする響。
全ての力を出し切った彼の口からは魂が半分出かけているように見えた。
「お疲れ様。響の言う通り、これだけできれば今回の試験は何とかなると思うよ。あとは忘れないように、当日まで復習していこうぜ。俺も手伝うからさ」
「マジか…、助かるー。ほんと、歌だけじゃ無くて、奏にもお礼しないとな」
「いや、良いよ。そんなの…、と言いたい所だけど、オッケー、響。今回は素直に礼を受け取るよ」
だからそんなジト目で睨むなよ…。すいませんね、人に素直に甘えられない性格で
「うむ。よろしい。で、何が良い?俺にできる事なら何でも良いけど…。あっ、エッチなのはダメだぞ!」
「…俺がお前にエッチなお願いをすると思う?まぁ、良いや。そうだなー、響に頼みたいことかぁ…」
そう言われて色々考えるが、パッと思い浮かばない。
うーん、歌の時はお弁当だったけど、今回は何にしよう…。ん、待てよ?お弁当…、あっ、そうだ!
「…お弁当」
「へっ?」
響はだらんとした姿勢のまま、不思議そうな顔をする。どうやら聞こえていなかったみたい。今度はビシッと彼を指さして、再び、お願いを口にする。
「一週間!俺は学校で響の弁当を食べたい!」
「…」
私のお願いを聞いて、キョトンとする響。それを見て、背中に変な汗が流れる。
あっれー?割と良いお願いだと思ったのに。ダメだったかな…。いやでも、他に良い案も浮かばないし、あとはどんなお願いが良いのか…
「ぷっ、何だよ、それ。お前も歌と同じような事言うんだな」
そう言ってクスクス笑う響。そんな彼を見て、何だか恥ずかしくなり口を尖らせる。
「な、何だよ。良いだろ、別に…。他に思いつかなかったんだよ」
「いや、悪くは無いけどよ。姉弟揃って、俺の弁当をご所望とは思わなくて、つい、な…」
ケラケラと楽しそうに笑う響。
もぅ、そんなに笑うこと無いでしょ!悪かったわね!腹ペコお嬢様で!
うー、でも、からかわれてでも響のお弁当は食べたいし…。あー、もう、どうしよー
「作ってやるよ」
「えっ?」
頬杖をついて、悪戯っぽく笑う響。その顔を見て、何故か胸が高鳴る。
だって、そこにいたのはいつもの気だるげな目をした彼じゃなくて、
楽しそうで、優しい顔をした、ちょっとカッコいい響が、そこにいたからだ。
「弁当、食べたいんだろ?俺が作ったやつでよければ、腕によりをかけて作ってやるよ」
「…」
「奏?」
「…うん。食べたい。響の、響の作ったやつが良い。だから、試験頑張ろうな!」
いつもは何となく、我欲を飲み込んでしまう私だが、今日は自分でもびっくりするぐらい素直に我儘が言えた。そんな私を見て、響ははにかんで笑う。
「おぅ、もちろんだ」
彼の笑顔を見て、心が温かくなり、嬉しさで少し泣きそうになってしまう。
だって、彼に出会ってから、ずっと助けて貰いっぱなしだった私が、やっと、少し響に恩を返せた。そう思えたから。
でもね、響。君は知らないけど、あの日、あの時、歌として君に出会った時、私はまた君に助けられたんだよ?
だから、この間と今日のお礼だけじゃ、ぜんぜん返し足りないんだ…
カーテンの隙間からオレンジ色の光が差し込む、部屋の中。
潤んだ瞳から零れた一筋の嬉し涙を、その光の眩しさのせいにして、私は目元を拭う。
そして、彼に倣って笑顔を返し、心の中で呟いた。こんな恥ずかしい事、本人に言える訳無いから…
だからね、響。私が君に恩を返せるまでで良いから
『私は君の隣に…、ずっといちゃダメかな…?』
※※※
「あー、胃が痛ぇ…。何でだか分らんが、毎回試験の朝はこうなるんだよな…」
試験当日の朝。学校に向かう坂道の途中で響はお腹を摩りながら、白い息を吐いた後、ぼやいていた。
「いや、響の場合、珈琲飲み過ぎなのも原因だと思うぞ…。お前、ちょっと引くレベルでカフェイン摂取していたじゃないか」
今日の試験日まで、ずっと一緒に勉強していた私も、彼の淹れる美味しい珈琲には大変お世話になった。響が休憩の度にドリップしてくれるので、私も結構飲んだ記憶があるが、それでも、響の摂取量は異常だった。私が一杯飲み終わるころには、もう二杯目に口をつけているなんてことはザラで、しかも、その量も試験日が近づくにつれどんどん増えていた。そのせいで私の制服は、今もほんのり珈琲の香りが漂っていた。いくら好きだとしても、あれだけ飲んでいれば、そりゃあ、体に異常が出るよ…
「いや、だって試験勉強している間はストレス溜まるから好きなものぐらい体内に入れたいなって…、あぁ、やめて、そんなジト目で見ないで!」
朝から緊張感の無い響を呆れて見ていたが、
「ぷっ!あははははっ!俺達、試験結果によっては家追い出されるかもしれないのに。なんか響を見ていると肩に入っていた余計な力が抜けていくよ」
「それは褒めてんの?けなしているの?」
今度は響がジト目で見てくる。冬の寒さでかじかむ手を吐息で温めた後、笑顔を作って響に言葉を返す。
「もちろん。褒めているに決まっているだろ?俺だってこの学校で受ける最初の試験。自信はあっても、一人だったら…、こんなに笑って登校できなかったと思う」
「だからさ、お前が今日、ここにいてくれて良かったよ。ありがとな、響」
ほんと、君のおかげだよ、響。まさか、初めての学術試験がこんな気持ちで迎えられるなんて思ってもみなかったんだ。君がそうやって笑わせてくれるから、私は色んな事に勇気が持てる。
「あれだけ、一緒に勉強したんだ!絶対、ぜーったい、大丈夫!だってさ、俺―」
「もうお前と一緒に笑いながら昼飯食べているところしか浮かんでないぜ?」
私の言葉を聞いた響はいつものようにため息をついた後、『あー、もう!』と言って頭をかいて、
パンッ
頬を両手叩いた。
「うん、奏の言う通り。あれだけ、お前と一緒に勉強したんだ。絶対、大丈夫だ。良し、奏!」
そう言って響は握り拳を眼前に突き出してくる。
あぁ…、これドラマとか漫画で見たことある。まさか、こんな事、偽りの学園生活でできると思っていなかったな…
「一緒に笑って昼飯食うぞ!」
「あぁ、もちろんだ!」
コツンッ
そう言って私も握り拳を作って『グータッチ』する。
思った以上にザ・青春という感じがして、どこかくすぐったくなる。
「結構、恥ずかしいのな…これ」
「言わないで、やり始めた俺はもっと恥ずかしい…」
そう言ってクスクスと笑いながら、坂道を登る、私と響。
…うん。もう大丈夫だ。二人とも絶対、大丈夫。
本当は怖かった試験当日。私の中のあった不安は笑い声と共にかき消されていた。
※※※
試験結果発表当日。壁に貼り出された試験結果は
響は学年順位で上位判定。
私は学年順位でTOP10入り。
試験結果を見せ合った響が
「えっ、奏ってここまで頭良かったの!?」
と目玉を飛び出しそうな顔をしていたが、私たちは見事、目標達成できたのである。
その結果に歓喜した私達は貼り紙の前で思いっきりハイタッチした。
加減せずにぶっ叩いた響のお陰で、右手が真っ赤になり、思わず涙目になったが、その痛みすら、その日はとても嬉しかった。
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