君の部屋で飲む、私の珈琲は少し苦い…

「お、お邪魔します」


 響の自宅に恐る恐る入る私。それを見ながら響は怪訝そうな顔をする。


「何でそんなに緊張しているの?もう一回入った事あるじゃん」


「いや、そうだけど…」


 確かに私はこの部屋に来た事がある。

 でも、前回は『来た』というよりは『連れてきて貰った』だ。しかも、風邪でぼーとしていて、食べて寝た記憶しか残っていない。

 でも、今回は違う。私は今、男の子の部屋に『お呼ばれ』している。


「…」


「何、ぼー。と突っ立っていんの?コタツ入れよ。寒いだろ?」


「えっ?あぁ…、ありがとう」


 響にそう言われて、もそもそとコタツに足を入れる。冬の寒さで冷え切った足がぬくぬくとしてくる。コタツの暖房能力の高さに思わず、頬が緩んでしまい、机に顔をつけて体を丸めてしまう。


「うへー、あったかーい」


 今の私、とてつもなくだらしない顔をしているんだろうな…。響はふっ。と笑い、私に問いかけてくる。


「そりゃ良かったな。えーと、珈琲で良いか?奏は牛乳と砂糖いる?」


「えっ?良いよ、そんなの気にしないで」


「そういかないだろ。勉強教えて貰うんだから。で、どうする?それとも珈琲以外が良い?」


「えっと、じゃあブラックでお願いします」


「ほい、了解。ちょっと待っていてくれ」


 そう言って響は手際よく珈琲ドリップの準備をする。響が棚から取り出した袋は見たことないメーカーのものだったが、『有機栽培の豆』という文字だけは分かった。それを見て、もしやと思い、響に質問する。


「ねぇ、響って珈琲好きなの?」


「えっ?まぁ、普通だよ。毎日飲んでいて、飲まないと落ち着かない…」


 …響。それ世間では『大好き』って言うんだよ。

 珈琲のドリッパーに静かにお湯を注ぐ、響。部屋に珈琲の良い香りが漂う。

 香りが漂った部屋を見渡し、私は再び響に問いかけた。


「響の部屋って綺麗だよね。何か整理整頓のコツでもあるの?」


 響は珈琲のドリップを眺めながら、頬をかいて、照れくさそうに答えた。


「んー、そうか?普通じゃないか、こんなの。使ったものをちゃんと戻す。を徹底していれば、これくらいは維持できるぞ。それに俺の場合、この部屋で色々やる事あるから汚いと落ち着かないんだよ…」


「いや、普通はそれが徹底できないからみんな苦労している訳で…」


 響の部屋はお世辞抜きで本当に綺麗だった。床にモノが散らばっているなんて事は無く、必要な物はわかりやすい位置に配置されており、更に机や本棚には埃一つ無かった。確かに部屋に入る前に『ちょっと片づける』とは言っていたものの、短時間でこれほどのクオリティが出せるという事は常に整理整頓している証拠だ。

 そんな、響の部屋を『月』とすると、今の私の部屋は『鼈』。いや、それだと鼈に失礼だな…。むしろ、鼈の足についている『泥』だ。それほど、今の私の部屋は混沌としている。

 だって仕方ないじゃん。まだ荷解きすら終わってないんだもん。


「響。女子力高いよな…。将来、良いお嫁さんになるよ」


「…全然、嬉しくないな。しかも、お前の方が顔可愛いからな?」


『可愛い』という言葉を聞いて、恥ずかしくなって机に突っ伏してしまう。

 響に女子力の差を見せつけられた悲しさとそんな響に可愛いと言われた恥ずかしさで、珈琲が来るまで顔を上げることができなかった。




「で、ここの式はこれを代入すれば解ける。どうだ?そんなに難しくないだろ」


「あぁ、なるほど。さすが、奏先生。お姉さんに負けず劣らずの分かりやすさだな」


「えっ、姉?」


「えっ、お前、姉貴いるんじゃないの?」


 響にそう言われて、少し考える。そして、自分の失言に気づくのに数秒かかってしまい、慌てて返答する。


「あ、ああ!歌の事?そっか、響には俺から言っていなかったもんな。姉貴がいるって、あははは…」


「いや、まぁ、そうだけど…。自分の姉、忘れるとか大丈夫か、奏…。お前、まだ風邪完治してないのか?」


 そう言って響は本当に心配そうな顔をしてくる。

 そりゃそうだ。自分の姉の存在忘れるとか、頭可笑しい子だもんね…。マジで失態だわ…。


「あ、あははは…。ここ最近、勉強し過ぎて疲れているのかも…。ちょっと休憩しよう」


「そうだな。俺も疲れたし。あっ、そうだ。珈琲おかわりするか?」


「うん。お願い」


 そう言って響にカップを渡す。響は立ち上がって再び珈琲を淹れに行ってくれた。緊張が解けて、再び頬をコタツの机にくっつけて突っ伏す。

 はぁ…、もうなにやってんの私…。まだまだ、『奏』としての自覚無いんじゃない?まぁ、でもあんなに早く『歌』の姿で響に会えるとは思わなかったからな。


 そう。先週の土曜日。私は『歌』の状態で響と出会ってしまった。


 そもそも、私があの図書館にいた理由はズバリ響と同じく試験勉強をするため。現在、部屋が非常にカオスな状態になっている私は、集中して勉学に取り組めるように、図書館で勉強しようしたのである。そして、あの図書館を選んだ理由は『天読学園』の生徒がほとんどいないだろうと思っていたからだ。多くの生徒はあの図書館よりも少し先にある新しくできた県営のお洒落な図書館に行くので、あの場所を利用するのは静かな環境を好む人だけなのだ。正直、私もそっちに興味はあったものの、今はテストに力を入れたかったので、あの場所を選んだのに


『よりにもよって、いたのが響だったんだもん…』


 まさか、鉢合わせた天読学園の生徒は私のクラスメイトで横の席の同級生『雨晴響』。今、一番仲良くしたい人物であり、一番私の男装がばれたくない人間でもある。それに出会ってしまうとか、私はコメディ漫画の主人公なのかな?ははは…。


 チラリと響を見ると、響は珈琲のドリップを真剣な表情眺めていた。

 ほんと、前髪上げて、ああいう顔をしていれば、女の子にモテそうなのになぁ、ふふふ。


 女の子。そう思って考える。響にはあの時、『歌』という女の子はどう見えたのだろう。


 本当は響に『歌』の事を話すのはずっと先、いや、むしろ話さないでいようかと思っていたぐらいだった。

 この学校でやるべき事がある私は何としても『奏』として、学園生活を送らなければならない。でも、ずっと嘘の生活を続けるのは…正直、辛い。だから、休日くらいは『女の子』で過ごしたかった私は、知っている人が少ない、あの場所に行ったのに、響はそこにいた。あの時、私は彼に会えて嬉しかったけど、同時に、怖くもなった。私という存在が知られてしまえば、きっと私はこう思ってしまう。


 嘘つきな『奏』としてではなく、『歌』として響に会いたい―と。

 だから、あの日を最後に響に会うのは止めようと、そう思って、


「バイバイ…」そう言ったのに…



「あのさ、また、会えるかな!?やっぱり俺、歌に今日のお礼がしたい!!」



 響の言葉が頭から離れない。思い出して何故か顔が温かくなる。

 彼はまた『歌』に会いたいと言ってくれた。もうその言葉を聞いた時、私は自分が抑えられなくなっていた。

 だって、響はその日だけで終わらせるはずだった『歌』という女子高生を


 再びこの世界に呼んでくれたのだから―


『だからね、響。貴方に勉強を教えるのは、風邪のお礼がしたいって理由だけじゃないよ…』


『私は歌としてまた貴方に会いたいんだ』


 響に勉強を教えることは、私の願いを叶えるためでもある。自分でも我儘だなって思う。そして、歌として過ごせば、過ごすほど、いつかボロが出てしまう。そう思うこともある。


 でもね、神様。私は後悔しないし、頑張るよ。

 だって、その我儘を叶えるためなら、どんな努力もできる。そう思うから




「ほい、珈琲…って、奏、何で泣いているの?どっか痛いのか?」


「えっ、あ、ほんとだ。いや、欠伸だよ、欠伸。心配すんなって…」


 あぶなー。あの時の嬉しさがこみ上げてきて、思わず涙流していた。

 もう、涙腺緩いなぁ、歌は。あっ、今は奏か…。まぁ、どっちにしても気をつけないと…

 目元を拭いながら、慌ててマグカップを受け取り、口をつける。


「あっ、おい!奏」


 珈琲の香りと口に広がる優しい苦みが、乱れた心を落ち着かせてくれた。

 美味しいな…、この珈琲。何か心まで温かくなる。


「もう、大丈夫だよ。ありがとう、響」


 そう言いながら私は響に笑顔を向ける。

 しかし、響は腕で口元を隠し、理由はわからないが、顔と耳が赤くなっていた。

 …どうしたんだろ、響。私、なにか変な事したかな?


「えっと、響。どうかした?この珈琲、美味しいよ?」


「お褒めに預かり光栄です、奏さま。しかしですね、一言申し上げさせて頂いてよろしいでしょうか?」


「えっ?あっ、はい」


 なになに?急に改まって。変な響…。何か珈琲に変なモノで入れちゃったのかな?

 とマグカップに視線を移して、固まる。

 私が持っていたマグカップは『青色』のモノだったからだ。


 さっき、使っていたマグカップって、『赤い色』だったよね…?


 ゆーっくり響を見ると、それに気づいた響はコホンと咳払いして、目を瞑りながら私のマグカップを指差す。


「それ、俺のマグカップです…」


 その一言で顔の温度が一気に高くなり、あまりの恥ずかしさに目が潤んできた。響のマグカップを返却し、彼の手からそっと自分が使っていた赤いマグカップを受け取る。自分の恥を飲み込むように私は再び珈琲を口に運ぶ。先ほどと同じく美味しい事には変わりが無いが、さっきよりも苦く感じた。


「すいません…」


「いや、良いけど…」


 そう言って響も珈琲を口に運ぶ。

 恥ずかしさの中で自分の間抜けさを改めて認識し、この先、響にこの嘘を隠し通せるか、不安になった。

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