橙色の世界で君のお姉さんは笑う

「ごめんなさい、響。私のせいで退館する事になっちゃって…。もうちょっと勉強したかったよね?」


 シュンとする歌。どうやら彼女に憑りついていた赤鬼は浄化されたようだ。不謹慎だが、落ち込んで眉をハの字にしている歌が可愛く見えて仕方が無かった。


「いや、正直なところ、あれ以上教えられても、今日はキャパオーバーだったよ。まぁ、試験まで日があるし、今度は奏に先生お願いしてみるよ」


「本当!?良かったぁ。あの子、自分からそういう事言えない子だから、響から頼られるの、きっと待っているよ!」


 そう言って歌は嬉しそうな顔をする。

 そんなに自分の弟が俺と仲良くするのが嬉しいの?良い姉貴だな、歌…


「なら、星空姉弟の教えが無駄にならないように、徹底的に勉強して試験絶対合格してやるぜ!」


「うん!その意気だよ!響!あっ、私、こっちに用事があるんだった。じゃあね、響。ここでお別れ…」


「えっ?あぁ、じゃあな!」


 片手を上げて、歌に別れを告げる。てっきり俺は、歌なら笑顔で返してくれるもんだと思っていたが


「うん…」



…」


 ズキッ…

 彼女の顔はとても寂しそうだった。その表情は『もう二度と会えない』。そう告げている様だった。

 別れの言葉を口にした彼女は俺に背を向けて、歩いて行く。俺も歌に背を向けて、帰路につこうと歩み始めるが、


 ピタッ…


 数歩歩いただけで立ち止まってしまった。振り向くと彼女の背中は夕日に溶けそうなくらい悲しそうな雰囲気を漂わせていた。それを見て感じた。


『理由はわからないけど、このまま、分かれてしまえば、もう二度と歌には会えない―』


 そう思った。

 確かに同じ学校の生徒で、かつ隣の席の転校生の姉だとしても、歌は『特例生』で俺は一般的な学生。本来であれば交わる事の無い二人がここでの出会ったのは、奇跡みたいなものだ。だから、一時良い夢を見る事ができた。で終わらせてしまっても、それはそれで良いのかもしれない。

 でも、どうしても、このまま黙って、歌と別れる事が俺は嫌だった。だって、彼女は


『俺と別れる時、あんなに寂しそうな顔…していたじゃ無いか』


「本当は少しだけ、学校行ってみたいんですよね」


 彼女はそう言っていた。

 けど、歌。君が俺に教えてくれたその言葉の本当の意味はきっと…


「歌!」


 気づいたら俺は振り向いて、歌に向かって叫んでいた。歌は驚いて振り向く。


「…響?どうかした!?」


 お節介。正直、そう思った。

 でも、どうせこのまま何もせずに、別れて悶々とするくらいなら


『そのお節介、歌に真正面から伝えてやる!!』


「あのさ、また、会えるかな!?やっぱり俺、歌に今日のお礼がしたい!!」


「…」


 言えた。昔の俺なら絶対にこんな事言えなかったのに。本当、奏と出会ってから俺はどんどんblue spring boyになり始めているな。恥ずかしい。でも、


 不思議と嫌いじゃないな。こういう気持ちも…


 歌は下を向く。それを見て不安になった。

 うわわ、やべー。しつこいヤツ…。とか思われたかな。どっかの誰が言っていたけど、多少自分勝手な男の方が女の子にはモテるって言っていたから実行しただけなんだが…。って、ちょっと待て!俺は別に歌とどうにかなりたい訳では…嘘です。正直、あんな美女とどうにかなれるならなりたいです、はい…。いやでも、今の発言は100%そういう気持ちだけで構成されているわけでは無くてですね、学校には行けない歌に、俺みたいな奴でも友達になれれば何か力になれるのでは、と思ってですね…


「お弁当!!」


「えっ?」


 俯いて脳内大反省会を開いていた俺は、歌の方を向く。


 ドキッ!!

 歌の顔を見た時、俺はときめいた。間違いなく、ときめいたのだ。


 夕焼けの光が彼女の美しい髪をキラキラ輝かせ、

 少し赤くなった彼女の頬、少し潤んで見えた彼女の硝子玉の様に透き通った瞳

 そして、見つめていると時が止まったような気持ちになる、

 彼女のその花が咲いたような眩しい笑顔。


 そんな素晴らしい絵が、俺の目に映ったからだ。


 数日前に俺はこんな絵を見たことがあった。あれは、橙色に染まった教室の中で奏と二人っきりでいた時だ。あぁ、でも


『あの時よりも、心臓の鼓動が早い気がする…』


 この時の俺は気づいていなかった。ただ、歌がもの凄く綺麗だったから、感動した。という気持ちに無理矢理置き換えていたのだ。だって、こんな気持ち、久しく忘れていたのだから。

 俺は『夢』を追うって決めた時から、何となくこの気持ちをどこかにしまいこんだのだ。それはきっと『あの子』と喧嘩別れした時から封印したという表現が一番正しいのかもしれない。でも、この出会いから、だいぶ後になってから、俺は気づくことになるのだ。



『俺はこの時、笑う歌を見て、本当に可愛いと思い、そして、彼女の事が気になり始めていた』ということを―




「響!おーい、響くん!」


「えっ、あぁ…、ごめん。えっと、何だっけ?」


 眼前の絵画に見惚れていた俺は、歌の声を聞いて、心が体に戻ってくる。間抜けな返事をする俺を見て、歌はクスクスと楽しそうな顔をしていた。

 そこにはもうさっきのような寂しそうな雰囲気は無かった。


「ふふふっ。もう、しっかりしてよ、響。君が私にお礼したいって、言ってくれたんだよ?」


 歌は悪戯っぽく笑顔を作る。歌が笑顔になる度、顔が温かくなり、だんだんと彼女を真っ直ぐ見ることができなくなっていた。


「あぁ、そうだったな。えっと、その、本当に弁当なんかで良いのか?さすがの俺でもバイトしているからもう少し良い物を―」


「ううん。響の作った、お弁当が良い。奏から響の料理の腕前聞いた時、良いなぁ。と思っていたから」


「こんな形で叶うのは、嬉しいの…」


 …はぁ、全く。わかりましたよ。歌みたいな超ド級美少女からそんな事言われたら、

 

 試験も弁当作りもどっちも全力でやってやるよ!


「わかった。歌がそれで良いなら、それで頼む」


「うん。期待しているね!」


「それで、その、次は…いつ、会えるかな?」


 次という言葉を口に出した時、少し声が震えた。彼女のような女の子と次もまた会える。という喜びが声色に混ざっていた。

 …ええ、すいませんね。恋愛経験の少ない、モテない男ですよ、俺は。


「そうだなぁ…。今後の予定がはっきりしていないから何とも言えないし…、あっ、そうだ!」


 テテテ…

 歌は突然、スマホ片手に俺に駆け寄ってくる。そして、俺の前に立ち、上目づかいでこう言った。


「連絡先!交換しようよ!」


「…はい」


 俺と歌はチャット形式で連絡を取り合うアプリを使って、連絡先を交換する。

 というか、このアプリで連絡先を交換したの、いつ以来だ?


「へへ…、私、男の子の連絡先聞くの、かも。何か緊張するね」


「…そうか」


 …あー、あー、あー、もう!!あざといぞ、歌!でも、可愛いから何にも言えんわ!てか、俺も「…そうか」って何だよ!いつも明るい響君はどうしたの?死んじゃったの!?もう、星空家は俺を惑わせる小悪魔ばっかりだよ!


 ピコンッ

 電子音と共にアプリに友達としてアイコンが追加される。満天の星空の写真のアイコンの下にはこう書いてあった。


『utau』


 この時初めて、この超美少女の特待生と一般ピーポーの自分との間に小さな繋がりができた。ということを実感した。とてもくすぐったい気持ちと共に。


「うん。これでオッケーだね!じゃあ、試験が終わった時にまた連絡してね」


「りょーかい。試験結果と弁当、楽しみにしてな!」


「うん。じゃあね、響…」



!!」


 そう言って歌はまた、別れの言葉を俺に告げて走り去っていった。

 俺はもうその背中に無理に声をかけようとは、思わなかった。

 だって、その時の歌の顔は


「ほんと、誰かさんと一緒でメチャクチャ楽しそうに笑うよな」


 見とれてしまうほど、輝くような笑顔だったから。

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