あなたのお陰で、私はもう、不安じゃない…

「いた事はある…」


 響の背中を見ながら呟く。

 その答えを聞いてから、何故か胸の鼓動が早鐘を打つ。

 いつもの私なら、悪戯っぽく返してしまうけど、


 その答えだけは、それ以上、踏み込んではいけないような気がした。


 しかし、私のそんな雰囲気を感じ取ったのか、響は、


「続き、話した方が良いか…?」


 と一言。

 私は少しだけ考える。嘘つきの私がこれ以上、響の事を知っても良いのかと。


『でも、やっぱり、どうしても気になる…』


 最後は自分の追求心が勝ってしまい


「うん…」


 と一言返した。いつもの彼らしく「はぁ…」と溜息が聞こえ、


「俺の隣の家にな、女の子がいたんだよ…」


 静かに語り始めてくれた。




「俺の家はさ、さっきも言ったけど、両親は仕事でほとんど家にいなかったんだよ。まぁ、婆ちゃんと妹がいたから、寂しくは無かったけど、両親がいない事が多いって聞いて、結構、お隣の家の人が面倒見てくれたんだよ」


 淡々と語られる響の過去。その口調にいつものふざけた感じは無い。

 背中しか見えない彼は今、どんな顔をしているのだろう…。


「で、その家に一人、可愛い女の子がいて、その子と俺は共通の好きな事があって、で一緒にその好きな事を追いかけていたら…」


「好きになっていた、って事?」


「まっ、そういう事だ」


「じゃあ、その子に告白して、付き合ったりとかしたの?」


「…いや、何というかその、喧嘩別れ…とは違うか。ちょっと一悶着あって俺から離れていったって感じかな?だから、俺の初恋は告白もせずに砕け散った訳だ。良くある話だろ?」


 響の声色、口調には全く変化が無い。だからだろうか、一つ気になる事があった。


 彼の語る過去には何というか、感情が無い。

 好きな人の事を話している筈なのに、彼の声を聞いていると


 何かを諦めた、そんな、感じがした。


「…」


「…おい、何とか言ってくれよ。まぁ、全然盛り上がらない恋バナした俺がいう台詞じゃないが」


 …だって、何も返せないよ、響。

 自分からこんな話を振っておいて、今、私は後悔した。

 だって、私はよくよく考えたら、


『好きな人なんて…できた事がなかった』


 そう。私は『恋』というモノが素晴らしいモノだという事は知っている。

 でも、それは自分を通して知った事では無い。私の大好きな人が『恋』をして、とても楽しそうな顔をしていたのを、知っているから、それはきっと素晴らしいモノなんだ。と学んだだけだ。


 私は『恋』よりも『夢』をずっと追いかけていたから…。


 だから、私は今、私の知らない感情を持っていた事があった、響が少し羨ましかった…


「…」


「えーと、何かごめんな、奏。もうちょっとこう、男子高校生らしく、下ネタ的なもので返してくれると心のどこかで期待していたが、俺もこれ系の話は上手くなくて」


 上手い返しができない、私をフォローしてくれる響。

 あぁ、もう。風邪ひいていると本当、駄目だなぁ…、私。今日は響に心配ばっかりかけている。


「ううん。こっちこそ、ごめん。嫌な事、思い出させたみたいだ」


「いや、別に?クラスで他の奴から話を聞くと、俺みたいに当たる前に砕けた奴、結構、多かったみたいだぜ?例えば、英語塾の先生を好きになったけど、いつの間にか結婚していた…とかな」


「はは、それはご愁傷様だな。そっか、響がそう言ってくれるなら、良かった。でも、響もう一つ良いかな?」


「ん、何だ?」


 せっかく明るい方向に向かっているのに、とことん空気の読めない自分が嫌になる。でも、それでも、私はどうしてもあと一つ、彼に聞きたいことがあった。

 なぜ、こんな事を聞きたくなったのかは、良くはわかないけど…それでも、気になったのだ。


「響はさ、その女の子ことは、今でも好き?」


「…」


 黙る響。

 温かくなる額、また、少し心臓が早鐘をうつ。なんでこんな事を聞いたのだろう。

 私は響にどんな答えを、期待しているのだろう。

 何も語らない彼の背中をじっと見て、不安になっていると


「…いや?今は全然だな」


 と、あっけらかんとした声が聞こえ、拍子抜けする。


「ぜ、全然か。そっか…」


「あぁ、今は何と言うかその、『恋』よりも」



「『夢』の方が大事だからな…」


「…そっか」


 その言葉を聞いて、嬉しくなる。

 そっか、響も私と一緒なんだ。

 風邪をひいて一人、部屋で過ごしていた時は、孤独で、寂しくて、夜が来るのが怖かった。でも、今は


『風邪ひいて、良かった…』


 そう、思えるようになっていた。


「響」


「もう、しつこいなぁ…。いい加減、寝…」


 振り向いた響は何故か言葉を詰まらせる。

 あぁ、頭が温かくてぼぅっとした状態で作った笑顔だからかな…。変だったのかも知れない。響も驚いているし。


 でもね、響、これだけは言わせて


「今日はありがと。響のお陰で、もう辛くないよ…」


 そう言うと、響はすぐにそっぽ向いて


「早く寝ろ」


 と言って、背中を見せる。

 私はふふっ。と笑って静かに目を閉じた。

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