橙色の教室の中で、あなたの目に私はどう映っていますか?
「えっ、えっ?いいのか、響。お前、床冷たく無いのか?」
「冷たいに決まっとるだろ!?」
「なら、何で?」
どうして?私は今日、初めて会ったばかりの転校生。
しかも、助けて貰ったくせにこんな図々しいお願いをするような人間だよ?
どうして、響はこんな私のお願いを聞いてくれるの?
彼は目を瞑ったまま、また、はぁ。と溜息をつく。
「何で?って、お前が泣きそうなくらい、困っているからだよ。だったら、別に冷たい床に寝っころがるのを数分耐えるくらいなんてことないわ」
「…」
私は言葉が出なかった。
『私が泣きそうなくらい、困っているから?』
それだけ?それだけの事で、響はこんな身勝手な私を信じて黙ってお願いを聞いてくれるの?冷たい床に背中を、預けてまで。
どうして、こんな人が『亡霊』なんてあだ名つけられて、怖がられているのだろう。
こんなに、こんなに優しいのに…
「ほら、何の用事かわからんけど早くしてくれ。俺は今、上着が無いから防寒能力が低下しているのだ」
「えっ?あっ、あぁ。ごめん。ありがとう。すぐに終わらせるよ」
響の言葉を聞いて慌てて起き上がろうとするが、
モニョン
「…っ!?」
…今も絶賛成長中のお胸ちゃんが響に当たってしまう。
本当、今日はこの子に振り回されてばっかりだ。
響にバレていないか、恐る恐る彼の顔を見ると
「あれだな、奏も、その、結構、胸あるのな」
「えっ!?む、むねぇ!?」
うぎゃー!バレたー!
はは、終わった…。『星空奏のドキドキ男装生活』は今日をもってしゅうりょ―
「えっ、無い方が良いの?胸筋があるってことは奏が普段から筋力トレーニング頑張っている証拠だろ?」
「えっ?あっ!あぁ、胸筋の事!そうなんだよ。俺も、その、結構、運動できるからな!はは…」
じゃなかった!やったー!!
助かった…。ありがとう。いるかいないかわからないけど、筋肉の神様。響くんが筋トレをしてくれていたおかげで学園生活が終わらずに済みました…
謎の神に感謝を伝えたあと、周囲を見廻し、上着とワイシャツのボタンを外し、インナーとブラジャーの間に巻いていたサラシを締め直す。
「んっ…!よっ…、んん」
…上手くいかない。今思い出したけど、サラシの巻き方も例の『ドキドキ(はーと)!!以下略』が参考文献だよね?そりゃ上手くいかないよ!というより、
『私、男の子の上に跨って、何やっているのかな!?本当に恥ずかしい!消えたい!!』
いや、消えるわけにはいかないのだけど…。あぁ、もう!!
羞恥心のメーターが限界を振り切りそうだったが、ずっと私の下でじっと目を瞑って待ってくれている響の優しさを無駄にするわけにはいかないので、いそいそとサラシの巻きつけを修正し…
「…ん。よ…し」
何とかいったかな?ん、これで胸はまぁ、目立たなくなったか…
流石に時間をかけすぎたかも。と思って、響の顔を恐る恐る見るが
「…」
響は先程よりも強く目を瞑り、険しい顔になっていた。
『本当に、目を開けないで、いてくれたんだ…』
響の顔をマジマジと見る。
倒れた衝撃で前髪は目元を隠しておらず、何度、見ても尊敬する『あの人』と似ている感じがした。
でも、彼女と違って響は『男の子』。
だから、同一人物な訳ない。わかっている。わかっているけど…
やっぱり、ちょっとカッコいいな、響。勿体ない。何で目元隠すのかな?
あぁ、でも、今は
『私の事を思って、ずっと目を瞑っていてくれる彼の優しさが、ただ、嬉しいな…』
しばらく響の顔から視線が外せなかったが、
「えーと、奏さん?そろそろ俺の背中が教室の冷たい床と同じ温度になりそうなんですが…いかがでしょうか?」
「えっ、あっ、ああ。ごめんな、響。今どくよ」
響の体から降りて、床に正座する。
そして、また響の顔を見ると彼はまだ目を瞑っていてくれた。
まだ、律儀に私のお願いを守ってくれている。
それに今、気づいた。この冷え切った教室の中、なぜか、ずっとあったかいと感じていた理由―
『これ…響の上着だ』
「…響。もう良いよ。ありがとう」
「んぁ…」
彼はゆっくり目を開ける。
ねぇ、響。その前髪に隠れた目はいつも何を見ているの?
本当の事を隠して、この学校にやってきた私は、あなたの目にはどう映っているのかな?
「響」
彼の名前を呼ぶ。初めて会った時もそうだった。
どうして、この名前を呼ぶのに、こんなに緊張してしまうのだろう。
響の目が開く。きっと私を見てくれて、いると思う…。
その確信が得られなかったのは、
彼の目を直視できなかったからだ。
だって、自分でも驚くくらい彼の顔を見るのが恥ずかしかったから。
だから、この一言を言う事しか、できなかったのだ。
「ありがとう…助かったよ…」
響は目を開いてから、一言も話さない。
うぅ、やっぱり変な奴と思われているよね…。でも、今、やるべき事は
「ん、と、えっと、これありがとう」
「えっ?あぁ、どういたしまして…」
響に上着を返すと、彼からは気の抜けた返事がきた。
うわー、完全に不審者みたいに思われているじゃん、私…
「…」
「…」
お互いの沈黙時間が長く感じる。
私はまだ響の顔を見る事ができず、もじもじするしか無かった。
『うぅ、この静かな時間つらいよ。響、何かしゃべって…』
ジロジロ…
「な、なんだよ…?気持ち悪いな…」
チラリと響を見ると何故か私をジロジロと観察しており、思わず本音が出てしまった。
急にどうしたの、この人?えっ?私、何か変かな?サラシの巻き方が不味かったとか?うぅ、ひびきぃー、あんまり見ないでよ…
響に観察されて、恥ずかしくて耐えられなくなり、目をギュッと瞑り、俯いていると
「あっ」
彼が何かに気づいたような声を上げる。
「やべっ!雨、降りそう」
「えっ?嘘、うわっ、本当だ!」
響の声につられて空を見ると、橙色だった空はいつの間にか、その大半が灰色の雲に覆われており、これから、泣き出す手前だった。
『えぇ、うそぉ。さっきまで、あんなに晴れていたのに。あっ!ヤバイ。私、今日、傘が無い!』
重大な問題を思い出し、ガバッと起き上がり、机の横にぶら下がっている鞄を取って、
「ごめん。そして、ありがとう。響!このお礼は今度するよ」
「えっ、あっ、おい!」
と響に一言告げて、教室を飛び出して駆けていった。
「はぁはぁ…」
廊下を駆けて、階段を下っていく。
急に走ったので、ちょっと息が上がってしまい、踊り場の立鏡の前で休憩する。
そして、鏡に映った自分の姿を見て、驚いた。
「…顔、真っ赤だよ。星空奏(偽)」
その時、私の鼓動はいつもより早鐘をうっていた。
※※※
「甘晴、響」
天井を見ながら、何となく彼の名を呟く。
何故か少しだけ、恥ずかしい気持ちになった。
この生活を始めると誓った時、誰にも秘密を打ち明けられない、ずっと孤独な戦いが続くと覚悟をしていた。
誰かに自分の正体がバレないようにする。
その目的を果たすために、もっとも簡単な事は他人との関わりを最小限に保つことだ。
『もし、あなたの正体が他人に知られて、脅迫されるようなら言いなさい。その時は協力を惜しまないわ…』
あの人はそう言ってくれた。
けれど、これは私の戦い。誰かの力を使って、叶える。と言うことは、あまりしたくない。
でも、転校初日から早くもとなりの席の同級生に迷惑をかけ、心優しい彼に甘え、助けられた。
自分で誰の力も借りないなんて大言壮語を吐いておきながら、まったくそれが実行できていない。それが情けなかった。
でも、後悔はそれだけじゃ無かった。
「響、次に会った時はちゃんと、お礼。言うね…」
その一言だけ呟いて、また夢の中に落ちていった。
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