汗ばむ夜中のキューピーちゃん

ラヴィル

第1話

嗅ぎまわれ駄犬・真夏の夜のホラー1


その日はAスタジオで収録があった。映画のシンポジウムだ。雰囲気はとても砕けたもので、その中にはお笑い芸人も交じっていから、冗談も入り混じるような、そんなシンポジウムだった。シンポジウムは学生代表とか、社会人代表とか、先も言ったようにお笑い芸人代表とか、音楽家代表、そして文化人代表は小説を書いている俺だった。俺の座る席、その前の簡易デスクに、「作家 二宮崇」と書かれている。俺のペンネームだ。俺はそのペンネームを思う。本名ではないということだ。本当の俺とニセモノの俺がいて、本当の俺が思っていることを、ニセモノの俺は決して口外しない。その卑怯さ、狡さ。俺はそんなことをぼんやりと考えていた。


 「先生、何にもしゃべってないなあ。なにかいいと思う映画、ないんです?」


俺は俺がしゃべらなくてならない場面きたら、こう言おうと思っていたことを話し出す。


「やっぱり、俺なんかもう、無邪気にジブリを見れるんですね。そうそう無邪気にね。でもね、そこにあるメッセージ、それも汲めるじゃないですか。ジブリのテーマっていうのはさ、人間対自然、それにつきると思う。そして人間と自然の共生。それをテーマにしているよね。最終的にはね、それがね、見ている人を傷つけないんだって思うんですね。つまりやさしさなんですね。そこに着陸するよう、エンディングを持っていく。ジブリのね、エンディングは見ているととてもやさしくなるでしょう。そうなんだよね」


 そこで一口水を飲んだ。


「そしてまた一方なんだけど、俺は北野武監督も評価するんだよね。映像がさ、妙に乾いているでしょう? そう暖かい、暖まる場面であっても乾燥しているんだ。そしてやたらと妙に人が死んでいく。そして映画はそれがどうということでもないように進んでいく。多分北野監督の映画っていうのは『どうでもいいんだ』っていう映画だっていう気がする。人の生き死にさえ、意味なんてなくて、俺にはどうでもいいっていうテーマで作られているっていう気がする。北野監督の映画の少しホッとできる、愛情が垣間見えるような場面にしたって、それに足をすくわれず、いつでも逃げ出せるよう、必ず助走を怠らない、そんな風に見えますね。俺には」


 すると俺と同じく、それまで寡黙だったが、水を向けられるとそのたびに


「わかりません」


「知りません」


としか答えなかったロックミュージシャンが、


「そんなに長くしゃべれて羨ましいぜ」


と言う。もちろん侮蔑だ。


「決まったことにたいして『同じく』という意味でしかない言葉を、赤い顔をしてしゃべる猿みたいな男だ」


司会者は眉毛を下げて


「まあ、まあ、いいじゃないですか」


とそのロックミュージシャンをなだめようとする。その司会者になだめられたのか、それともなだめられていないのか、それもわからない。


「認知された芸術を、今俺が初めて認知するっていうような顔をして。もっと嗅ぎまわれよ。雑種の勇敢な犬のようにさ。もっと違うことに情熱を傾けた方がいいんじゃねえか? そう、例えば練習。音がしたってスマホを開かないでね。それを練習と呼ぶんだ」


 そいつの言うことは、みな当たっていた。論破できない。それで俺は『猿みたいな赤い顔』をしてデスクの上に握ったこぶしを置いているしかなかった。


「まあ、諸説紛々。色々なご意見があるわけで」


しかし司会者が引き取るように言うと、そのロックミュージシャンはやっと黙って、足を組んだ。


 俺は小説家だっていうのに、ここ一年以上、作品を書いていない。それはなぜかと言うと、答えはとてもシンプルで「書けない」からだ。そう、今日のシンポジウムにしたって、あのロックミュージシャンに言われたように、既存の作品の評価の焼き直しにしか過ぎない。俺はそれをしゃべっている間、錯覚を起こしていた。それは俺が初めて認知し、それを始めて「これはいいものだ」と人に紹介でもしているような錯覚だ。錯覚? また俺は俺をだます。それをよく知っていて、当たり前の認知を誰も反舶しないだろうと思って言ったのだ。猿面冠者とは俺のことなのだろう。あのロックミュージシャンは間違っていなかった。


「嗅ぎまわれ、雑種の勇敢な犬のように」


 嗅ぎまわる。俺は最近嗅ぎまわっているだろうか? 否。嗅ぎまわることすら、なにもかもの言い訳、それを後ろ盾にするように怠っている。勇敢な雑種のような犬だったことが過去にある。それは俺が作家としてデビューする前のことだ。俺は何作も何作も書いた。あらゆる公募のない期間にも、俺はうろうろするよりも書いていたかった。書かないと死んでしまうような気がしていた。そう、それは外じゃない。コンクリートで固められた、安全だが謎の多い部屋でだった。木造で建てられた家に住む家族であっても、俺はその嗅覚でもって、その謎を見つけることができたはずだ。どの家、一人暮らしであろうと、家族がいようと、俺はそのどこかにある謎を探し出し、物語を紡いだだろう。


 だから俺は待っていた。その情熱みたいなものがまた湧き上がる瞬間を。あのロックミュージシャンのいうとおりだった。今はほとんどの人や動物に心地のいい春だ。キャベツ畑にはモンシロチョウだって愉快そうに飛んでいるだろう。けれど俺はじりじりとじれったい思いを抱えている。


「真夏になれ! 汗をかかせろ! 俺を極東へ連れていけ! 極寒を俺に感じさせろ!」


そのとき、必ずついてくるに違いないのだ。それは「走る」という衝動だ。そいう匂いのするなにかだ。俺はただ、今、ムラサキスポーツで買った、アディダスのゆるめられた紐を結んでいる。そうしてじりじりと待っている。それがくるのを。


 


 その夜には、高校の同窓会が待っていた。


「おお、にのちゃん」


俺は高校の時から、「にのちゃん」と呼ばれていた。それは俺がお昼の休憩中、放送室をジャックし、


「あー、あー、あー、聞こえますか? 俺はね、俺っていうのは、将来偉くなります。偉くなって、誰かの生死を決めることができるほどに偉くなります。その偉くなるっていう姿は、その目標に応じた、努力とかね、そうだね、そうでっかいことをね、それがキラキラしていてね、あー、あー、聞えますか? いやあ、アドリブなんだよ。つまり芥川賞を取るっていうこと。作家になる。あー、ペンネームは「ニノミヤタカシ」です。覚えておけ!」


 俺はむっとした顔つきで、今頃お昼の弁当を食べているだろう、一年二組に戻った。戻って教室のしまっていたドアを開けると、「わーっ」とした声とともに拍手が起こった。さすがの俺も少しは照れ笑いをした。


 それからだ。俺が「にのちゃん」と呼ばれるようになったのは。それからは俺は論戦を繰り返した。たとえ浅い知識であっても、たとえ浅い知恵であっても、たとえ浅い考えでもあってもだ。純純文学とでも言いたいような文学に俺は異を唱えた。するとそれこそが純文学の目指す地点だと誰かが言っていたような気がする。俺はそれにはこう答えた。


「もしそうだとすると、お前の言っている純文学の目指す地点っていうやつは、作者一人しかその作品を読みえない、そういうものになってしまうぜ」


 俺のプライドはそこじゃないところから始まっていた。俺はそうはいっても本を読んでいなかった。カフカ、カミュ、太宰治、夏目漱石のファンだった。いつもどれかの文庫が学生カバンには入っていて、すごいなあ、おもしろいなあ、などと感心しきりと読んでいた。そして公募に挑戦するほど、その頃実力はなかったのだろうが、夏、机の電灯に蛾が止まれば、止まった様子とその蛾の心境を書き、オヤジに怒られたら、しみじみとした、オヤジの気持ちと息子である俺の気持ちをノートに表現した。それは毎日行っていて、それが俺にとっての「練習」だった。俺が意識していたのは純純文学が向かっていく、地点ではなくて、真心、やさしさ、サービス、親切、そんなものがある、それでいてエンターテイメントに過ぎない、そうじゃない、そんなものを書きたいとおぼろげに思っていた。


 けれど小説家になるっていうことは、そう簡単なことじゃないって大学の頃思い知らされた。俺よりうまいんじゃないかっていうやつはブンガクサークルにもいたし、そいつでさえデビューはなかなかできなかった。そして俺もだった。俺の高一のときに描いたプランは、大学一年、しかも七月七日っていう冗談みたいな誕生日の前にデビューできると信じていたのだ。


 その後大学を卒業してからは、深夜のコンビニでアルバイトをした。親には「俺は小説になるのだから」と説明した。オヤジは「ふん、そんなもの」っていう風で、おふくろは「じゃあ、頑張るんだよ」って風だった。俺はそれからは猛然と書いた。公募があれば応募した。差し迫る公募がないと焦りを感じた。三か月も書かないでいたら、俺はきっと死んでしまうぞと。そんな時はたいてい、高校の同級生、新ちゃんに電話し、なにか仕事をくれ、と頼むと、新ちゃんはわかっているっていう感じで、


「じゃあ、先生。一〇〇枚のラブストーリーを」


っていう具合にお題をくれた。そして電車と競争する駄犬のように、俺は書いた。


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