第2話

 四季の眠るベットが、彼の寝返りに合わせて軋む。二段ベットの上から僕は頭だけ下に向けて様子を窺った。

「四季? 大丈夫そうか?」

 あー、だとか、んー、だとか何とも言えない生返事が、盛り上がった布団の中から聞こえた。しばらく逡巡して、僕は二段ベットから降りて四季の布団を剥いでみる。

「……何すんだ」

 力ない四季の声。顔の色は正常。しかしだるそうに、くるりと反転し、僕に背を向ける。いつもの症状。四季は雨に濡れるといつもこうだ。もう二日も経っているのにあまり良くなっていない。病院に行けと言っても、寝てれば治ると聞く耳を持たない。おかゆを作っても口にしようとしない。僕にできることは心配することだけで、他には何もさせてもらえない。

 もどかしい気持ちを、溜息を吐いて中和させる。せめて熱だけでも測ろうと、背を向けた彼の額に手を伸ばす。

 唐突に、強張った彼の体が跳ねるように起き上がった。

「触るなっ」

 痛いという感覚は遅れてやってきた。ハッと息を飲むような驚きが何よりも先で、何が起こったかを理解するのに一瞬を要した。

 伸ばした僕の手は払われ、鋭く睨み付けられる。黒い瞳が僕を射抜く。立っている僕を上目遣いで睨み付けた四季は、しかしすぐにバランスを崩した。僕の手を払い除けた手もベットに付き、俯く。それから倒れるようにベットに横たわり、少しして寝返りを打った。仰向けに僕を見上げた四季の目が面倒臭そうに細まる。

「俺のことはいいから放っとけ。夏さんとこか?」

 追い払うように四季が手を振る。僕は宙を彷徨っていた手を下ろし、彼を見つめる。何も言おうとしない彼に諦めて答えた。

「うん。今日は秋ちゃんと約束してるんだ。この辺りを案内するって」

 僕は喪失者として夏兄に保護された翌日、管理所で受けた学力検査で可の判定を受けた。義務教育である中学校時代は、喪失者になってしまったせいで通った記憶はない。しかし検査上では、僕はその知識を持っていた。

 学力検査で可だった者は、基本的には学校へ行く義務はない。あとは各々学びたいものがあれば教室や塾に行くなり、学校で義務教育者以上を対象とした授業から好きな物を選んで学ぶなり、自由だ。僕や四季、夏兄みたいに仕事をするのも自由。不可の場合は、最低限の知識が足りていないということになり、その知識の量により管理所から学校へ行く曜日や日数が定められることになっている。

 僕はそれが可だったわけだが、自分の知らないところで知らない自分が生活していたという事実は何とも居心地の悪いものだ。

 もどかしい?

 くすぐったい?

 どうも僕の少ない語彙では説明できない感情だけど。

 長い溜息の後、四季が苦しそうに瞼を閉じる。

「秋ちゃんとこに行くなら俺の机の上のもん、夏さんに渡してくれ。頼まれもんだから」

 それきり、彼は口を閉ざす。もう話すのも嫌だと言わんばかりに瞼を開けようとしない。僕は仕方なく剥いだ布団を掛け直して、ベットの横に設えている四季の机に寄る。今度は手を払われなかった。

 机の上には四角い箱。依頼された品であるはずなのに、まるでプレゼントのように綺麗な包装が施してあった。開けたい衝動に駆られたが、ここまで綺麗に包装されていると後で自分に直せるとは思えないので止めた。四季が身動ぎをしないのを窺ってから箱を振るも、何の音もしない。思った以上に軽い。依頼品は小さいが、周りに綿なり、梱包材なりが詰め込まれているのだろう。僕はそう判断して、それをディバッグに入れた。

「じゃあ行ってくるよ。ちゃんと温かくして、無理はするなよ。もし何かあったら携帯に電話すること。いい?」

 強い口調で諭すように言うと、うっすらと四季が目を開けた。力無いが、ニッと笑う。

「お前は過保護過ぎんだよ」

「言いたいだけ言えばいいよ。僕は君を心配してんの」

「へいへい。分かったから行って来い」

 彼は枕元に置いてあった携帯を掲げる。僕はそれを確認してから、玄関に向かうために、リビングとキッチンに繋がる扉を開いた。玄関には傘立てと踵が少し潰れたスニーカーが二つ。ちらりと閉まった扉を振り返ってから、汚い方のスニーカーに足を入れた。一つ、僕の名誉のために弁解しておくと、スニーカーは汚いと言ってもそれは四季のと比べてという意味だ。万年引きこもり、基本的に夏さんのところと図書館以外外出しない彼のものと、アウトドア、買い出しに学校にと忙しい僕のもの。より汚れているのが僕の方だということは仕方がないはずだ。これでも僕は綺麗にものを使う性格である。

 片肩にしか通してなかったリュックをしっかり両肩に嵌めて背負い、鍵をきちんと掛けると僕は晴天の空の下に足を踏み出した。今日はすごく天気がいい。

 腕時計を見ると、まだ待ち合わせ時間に余裕があった。急かされるように家を出たが、まだ三十分は時間を潰せる。早く秋ちゃんに会いたいと思う気持ちと、それを迷惑がられる可能性を天秤にかけて、僕は後者に傾いた。嫌われるのは痛い。

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