夜眠少女編/第3話:いつか王子様が現れたら
魔女の呪いで永い眠りについていたお姫様は、王子様のキスで目覚める。
「眠り姫の物語ね」
豪奢な装丁の絵本を開いてその美しい絵に見とれていると、背後の書架で読みたい小説を見繕っていたシャーロットがささやくように言った。
エマが振り向くと、彼女は高い場所の本を手に取り、そのままはしごの上に座ってページを捲っている。
その表情には、どこか複雑な笑みが浮かんでいた。どういう意味の微笑みなのかは、エマだからこそなんとなくわかる。
まるで私たちみたい。
窓の外を見ると、太陽の色が濃くなり始めていた。昼から夕方に移ろう時間帯。
さっきまでアルバートやロイをまじえてお菓子の時間を楽しんでいたのに、時間はあっという間に過ぎる。
もうすぐ得たいの知れない強制力によって眠りにつくのだ。
覚えてはいないけれど、エマはこの物語を幼い頃に読んだか聞いたかで知っている気がする。
そのときにも、今みたいに胸が締め付けられて、少し怖くて少し切ない疑問を感じたような。夜眠病も、魔女の呪いなのか、と。
「私やお姉様も、呪われているのでしょうか」
エマが問うと、シャーロットは少し考えるように目を伏せる。西日が彼女の美しい髪や白い頬を淡く照らした。
彼女こそ、物語の中のお姫様みたいだと、一瞬エマはその姿に見とれてしまう。
「……わからないわ。呪いなのかもしれない」
お姫様はつぶやく。
「けれど……いつか呪いじゃなくなるかもしれない」
「え……?」
「なぜ夜になると眠ってしまうのか理由がわかれば、夜に起きていられる方法もわかるかもしれない。薬ができるかもしれない。そうしたらきっと、それはもう呪いじゃなくて、ちっとも怖くないただの治せる病気や改善できる体質だわ」
シャーロットの瞳に聡明な光がやどる。彼女の言葉は理解するには少し難しいけれど、エマにもなんとなくわかる気がした。いつか、みんなみたいに寝たいときに寝て、起きたいときに起きられる日が来るかもしれない。
「じゃあお医者様が、いつか治してくれる?」
「そうね。アンダーソン先生は夜眠病について特にお詳しいから、いつか治してくれるかも。そうしたら一緒に夜ふかししましょう」
「はい。アンダーソン先生が治してくれたら、先生が呪いを解く王子様ですね。おじいさんだけど」
「確かに。でも、おじいさんは王子様になっちゃいけない決まりなんてないのよ。国王陛下の弟も、王子様って呼ばれてる」
「あっ、本当だ」
「楽しそうだね、我が家のお姫様たち」
2人で笑い合いながら会話をしているところに、ひょいと第3者の声がかかる。
本棚の陰から子爵が姿を現した。改めて見てみると、恰幅の良い背格好はロイにどこか似ている。
シャーロットと同じように、自分にも娘を見るような柔らかい眼差しが向けられているのを感じ、エマは胸の内がむずむずした。
「お父様、どうしたの?」
「明日の仕事に向けて少し調べものをね。君たちはもう寝なさい。エマはその本が気に入ったなら部屋に持って行っていいよ。それからシャーロット、はしごの上に座ったまま本を読むのは危ないからやめること」
「はあい」
シャーロットが素直に言うことを聞いて床に降りる。子爵はにっこりと笑ってシャーロットエマを見た。
「おやすみ。シャーロット、エマ」
「おやすみなさい、お父様」
「おやすみなさい」
シャーロットの真似をして子爵の頬に挨拶のキスをする。
お父さんって、こんなに優しい存在なのか。いいな、シャーロット様は。
私の本当のお父さんはどこにいるんだろう。ああでも、孤児なら親はいないのか。でも子爵様が親代わりになってくれるなら、寂しくない。
寂しさとくすぐったさが混ぜ合わされて、体中に染み込んでゆく。
優しいって本当かな。顔、ちょっと怖いけど。
週末。エマは帰ってきた三男エディをシャーロットの背中を盾にして観察する。
ロイは昨日、エディとは入れ違うように仕事へ戻ってしまった。今、玄関ホールで彼を出迎えているのはアルバートとシャーロット、そしてエマだ。
金の髪に青い瞳。男性にしては華奢なほうで、長身のアルバートやがっしりとした体型のロイと比べると、やせて小柄な印象がある。
容姿はこの家の男兄弟の中で、シャーロットに一番似ている。
ただ、なんとなく伏し目がちで家族が出迎えても少しも笑わない顔は、元の美しさも相まってエマにはとっつきにくく感じられた。
それでもシャーロットが「お帰りなさい」とほがらかに話しかけると彼はかすかに微笑する。怖くないよと言うように、シャーロットはエマを振り返って目配せをした。
「エディ、母様が手紙で言っていた、エマだよ」
肩にアルバートの手が置かれ、エマはシャーロットの後ろからそおっと姿を現し頭を下げた。
「初めまして。エマです」
「ああ、うん。エディです」
「……」
「……」
ぎこちなく流れる沈黙をどうすればいいのかわからずエディ、アルバート、シャーロットの順に視線をさまよわせると、アルバートとシャーロットが同時に吹き出した。
「ほらね。このあいだ話していた通り、エディは人見知りだ」
「ごめんなさいねエマ。エディ兄様も慣れたらもっとお喋りしてくれるから」
困ったように首のあたりを掻きながら、エディは思い出したように口を開いた。
「シャーロット。帰ってきたついでにプレゼント」
「え? 何?」
一度閉じたばかりの玄関のドアを使用人がもう一度開ける。
すると、ドアの向こうからひょこっともう一人、エマの知らない男性が顔を見せた。
「久しぶり、シャーロット」
「セオ! なんで? どうして?」
シャーロットが驚きの声をもらした。隣で見ているエマにもわかるくらいにその瞳が歓喜で輝く。
セオと呼ばれた青年は明るく笑ってそのまま玄関の中に入ってきた。
「エディが一回帰るっていうから、せっかくだし僕も同行させてもらったんだ。シャーロットの顔が見たくて」
「要するに、また勝手について来たってわけだ」
肩をすくめるエディを無視してシャーロットが彼に駆け寄る。走るなと注意するエディの声も耳に入っていなさそうだ。
「会えて嬉しい。実は、今日か明日には近況を伝える手紙を書こうかなと思っていたの」
「それはちょっと残念かも。君の文章は読みやすくて面白いからけっこう楽しみにしてるんだ」
誰? という心の中のつぶやきが顔に出ていたのだろう。アルバートがエマに教えてくれる。
「彼はセオドア。シャーロットと結婚の約束をしている人だよ。将来シャーロットは彼のお嫁さんになる。それからエディと一番仲良しのお友だちだ」
「一番ではない」
エディがしれっと訂正した。会話が聞こえていたのか、セオドアはこちらに近づいてきて軽くお辞儀をした。
「お久しぶりです、アルバート。急な訪問ですみません」
「久しぶり。急でも何でも歓迎するよ」
「ありがとうございます。……こんにちは。セオドア・ロイドです、よろしく」
にこりと微笑みかけられて、エマは慌てて挨拶を返した。
「エマです。よろしくお願いします」
子爵家の3兄弟とはまた違う印象の優しそうな人だと思う。人懐こそうな笑顔が話しやすい雰囲気を作り出し、エマを心なしか安心させてくれる。
「エディはとりあえず父様と母様に挨拶してくるだろう? セオはどうする? 簡単なお茶くらいならおもてなしできるけど」
「いえ、お構いなく。ですができれば……夕方までシャーロットをお借りできませんか? 彼女に今日の予定がないのなら」
「私の予定は特にないけれど……」
「シャーロットがいいならお好きにどうぞ。うちの両親も君との外出なら何も言わないだろう」
アルバートの許可にお礼を言ってから、セオドアはシャーロットに向かって恭しく手を差し出した。
「お姫様、よければ今日一日僕とデートしませんか」
「……もちろん、喜んで」
エマは、彼の手を取るシャーロットの表情の変化を、はっとした気分で見つめた。
花がほころぶような笑顔でうなずき手を取る彼女は、普段よりもいっそう華憐だ。
それと同時にふと、セオドアが口にしたお姫様という言葉が頭に残り続ける。先日シャーロットと図書室で交わした王子様の話が脳裏によみがえった。
この場合、シャーロットが眠り姫で、じゃあ……。
「セオドアさまは、シャーロットお姉さまの王子様?」
つい口に出してしまった疑問に、周囲の人間たちがきょとんとエマを見た。
ふっ……とエマ以外全員の雰囲気が温かく緩む。
セオドアが柔らかく微笑む。エディがからかい半分の口調で小さく笑った。
「そうだな。シャーロット専用の王子様だ」
その王子様に手を取られたまま恥ずかしそうに頬を赤らめるシャーロットの姿は、きらきらとした淡い憧れのような思いをエマに抱かせた。
ただ、何かに突き放されたような冷たさもエマの胸をするどくえぐる。
おいしい食事に綺麗な服、大きな家、広い部屋。変な体質のエマに合わせてお世話をしてくれる使用人。本当の家族のように優しくしてくれる親代わり、兄代わり、姉代わりの人たち。
何も嫌なことなんてない生活なのに、どうしてこんなに置いてきぼりにされた気持ちになるのだろう。
結局、私はシャーロット様と違ってひとりぼっちだ。
自分でもよくわからない寂しさがエマの小さな胸の内に、もやっと巣を張る。
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