夜眠少女編/第2話:新しい兄と姉
シャーロットと呼ばれた年上の少女から笑いかけられて、エマは思わず見とれてしまった。
金に輝く髪に宝石のような瞳。それから、お姫様みたいな綺麗な服。
街のショーウインドウで見かけた人形みたいだ。
「エマさえよければ、ぜひ」
そう言われ、エマは瞬きをした。うなずけば、自分はここで暮らすことになる。なんだか信じられない。
目を覚ますと病院にいて、自分が誰なのかもわからなくなっていた。大人たちに何を聞かれても何も思い出せない。家族のこと。住んでいる場所。自分のこれまでの生活。
しかも、太陽が沈むと眠ってしまう体質だということもわかった。
ひとまずの住まいとして連れていかれた大きな教会付属孤児院では、お世話をしてくれるシスターも他の子どもたちも親切にしてくれたけれど、記憶のないエマはただただ不安だった。
そのうちに、自分と同じ体質の人がいるから会ってみなさいと言われ、この家に連れてこられた。もしかすると、ここで暮らすことになるかもしれないよ、と。
実際に行ってみるとそこは貴族のお屋敷で、エマと同じ体質だという人は貴族のお嬢様。だけどお嬢様もその母親の奥様も、自分を歓迎してくれている。
ここにいてもいいのだろうか。自分はたぶん、ただの庶民だ。記憶が戻ったとしても高貴な生まれではないと思う。
恐る恐るシャーロットを見つめる。けれど、暖かな瞳を向けられるだけだ。
なんとなく、とても綺麗なこの人ともう少し一緒にいてみたいと思い、エマはそっと首を縦に振る。
そうしてエマは、セントクレア子爵家に引き取られ、大きなお屋敷で生活することになった。
窓から外を見下ろすと、広々とした庭が広がっている。なんとなく居心地が悪くなってエマが視線を部屋の中に戻せば、それはそれで広い部屋が自分に与えられた居場所だとは思えなくて気後れしてしまう。
「……気に入らなかった?」
シャーロットから遠慮がちにそう問われ、慌てて首を横に振る。
「素敵なお部屋です。ありがとうございます、シャーロット様」
失礼にならないように答えたつもりなのに、シャーロットはどこか寂しそうな表情になった。返事の仕方を間違えただろうか。
そう戸惑っていると、エマのすぐ隣にシャーロットが寄って来て、目を合わせてきた。
「私やお母様やアンダーソン先生に言われて、気を遣ってくれてここにいるのかもしれないけれど、嫌なら嫌って言ってね? この家にいたくなくなったのなら、すぐに先生に連絡するわ」
「でも貴族様にそんな……」
「そんなことよりもあなたの気持ちのほうが大切よ。でも嫌じゃなくて、ここにいてくれるなら……私と仲良くしてくれる? 姉妹もいないし女の子の友だちも少ないから、エマが来てくれて嬉しいの」
はにかみながらそう言われて、エマの胸は高鳴る。こんなに綺麗な人から、自分がいてくれて嬉しいと言われている。
確かに彼女が考えている通り、大人たちに、そして貴族であるソフィアやシャーロットにそう提案されたから断れなくて……という理由もあってここにいる。だけどそれだけではない。
「私は……私も、シャーロット様と仲良くなりたいです。自分のことがわからない状態でどうしたらいいかわからなかったけど……奥様やシャーロット様がぜひ、と言ってくださって、シャーロット様ともっとお話してみたいと思ったから、お世話になろうと思いました」
「ありがとう。では、これからよろしくね」
微笑んでうなずくシャーロットにつられて、エマも顔をほころばせた。
セントクレア家での生活は、夜眠病であるエマにとって快適以外の何物でもなかった。
夜明けととも起床すると、早朝にも関わらず屋敷のメイドが着替えなどの朝の支度を手伝ってくれる。
同じ時刻に起きたシャーロットとともに少しの自由時間を過ごし、他の家族が起きてきたら全員で朝食。
テーブルマナーについてはまったくわからなかったから、すべて食事をしながら教えてもらった。
その後は家庭教師の元で勉強。エマは文字こそ読めるものの書くことはできない。まずは簡単な単語を書けるようになることから教わっている。
それから昼食、午後にはまた勉強をしたり読書の時間になったり、自由に遊んでいい時間だったり。シャーロットは日によってピアノの先生やダンスの先生からレッスンを受ける。
一度、エマもお試しでダンスの授業を一緒に受けさせてもらったけれど、先生にはなかなか上手と褒めてもらえた。
子爵夫妻も、何か習いたいことがあるならダンスでもそれ以外でも、やりたいことをやっていいと言われた。今はまだ、何をやりたいのか思いつかないけれど。
そうして夕方には寝る準備をして就寝。日が沈む頃にはふかふかのベッドにくるまれる。
シャーロットもその家族たちも、エマを本当の娘のように扱ってくれる。
屋敷に住んでいる家族は最初に出会ったシャーロットとソフィア夫人、それから当主である子爵と嫡男のアルバートがいる。みんな、エマのことを可愛がってくれている。アルバートは特に。
「エマ、これも食べて」
晴れた日の午後、テラスでシャーロットと三人でお茶をしていると、アルバートがエマの目の前に、切り分けたレモンパイを差し出してきた。
政治に携わっている子爵の手伝いをしているアルバートは、たまの仕事が休みの日にシャーロットとエマのお茶の時間に参加してくれる。
けれどいつも、メイドが給仕する前にさっさとエマの皿にお菓子を追加してしまうのだ。
「ありがとうございます」
「そんなかしこまらなくていいんだよ。シャーロットを見てみろ。遠慮のかけらもない」
アルバートの視線の先にはスコーンを頬張るシャーロットがいる。目が合うと、彼女はすっとエマから顔を背けてメイドにレモンパイの追加をお願いした。
アルバートが耐え切れずに、シャーロットと同じ色の瞳を細めて吹き出す。
「それにしてもよく食べるなあ」
「アルバート兄様がいる日は厨房も気合が入ってお菓子の味が普段よりも良いのよ。だからつい食べ過ぎちゃう」
「それは知らなかった」
優しい子爵によく似た穏やかな長男。おそらく、使用人たちにも慕われているのだろう。エマも少しずつではあるけれど、彼のことを好きになりかけている。
「楽しそうだね。俺も混ぜてくれない?」
和やかな雰囲気のテーブルに影が差す。
振り向くと、背後にエマの数倍の大きさがありそうながたいの良い青年が立っていた。
「ロイ」
「ロイお兄様」
アルバートとシャーロットが同時に名前を呼ぶ。
突然の知らない来訪者に、エマは目を丸くする。状況を理解できないエマに対してアルバートが説明してくれた。
「エマ、うちの次男のロイだよ。僕の弟でシャーロットのお兄さん。きみにとってもお兄さんだ」
「ロイお兄様は軍人さんだから、いつもはお仕事のために遠くに住んでいるの。ときどきこうして急に帰ってくるのよ」
「知らせずに帰るほうがみんなが驚くから面白いじゃないか」
「面白くないよ。びっくりするこっちの身にもなってみろ」
エマはおずおずとロイを見上げた。
太陽の光を反射してきらきらしている金の髪はシャーロットや子爵に似ていて、優し気な瞳はアルバートやソフィアに似ている。体は大きいけれど、怖くはない。童話に出てきそうな、どこかのんびりした熊のような出で立ちだ。
「……初めまして。エマです」
立ち上がって挨拶をすると、ロイは笑顔のままエマの背丈に合わせてしゃがんでくれた。
「初めまして。家族のみんなから手紙をもらってきみのことは聞いていたよ。ようこそ、セントクレア家へ」
大きな手がふわりとエマの両手を包みこむ。緊張して入っていた力が体から抜けていく感覚がした。この人のことも自分は好きになれそう。
「ところで、母さんの部屋に帰宅の挨拶に行ったんだけど、ちょうどエディから手紙が来てたみたいだよ。あいつも来週末に一度帰ってくるらしい。エマはエディのことは知ってるかい?」
「シャーロットお姉様から少しだけ聞きました」
お姉様、の部分にシャーロットが反応して、無言のままむずがゆそうに鼻が動くのが見えた。シャーロットもアルバートもお姉様、お兄様と呼んだほうが嬉しそうだから、自然とそう呼ぶようになった。
エマ自身もシャーロットに様はつけなくていいと言われたものの、呼び捨てはどうも気が引ける。お姉に様をつける分には文句も出ないしこの呼び方のほうが助かる。
そんなシャーロットから聞いた話によると、セントクレア家には三男にあたるエディという兄がもう一人いるらしい。今は遠方の学校で勉強中だそうだ。
エマの隣に用意された椅子に座りながら、ロイが「そうか」とうなずく。アルバートがやれやれといったふうに肩をすくめた。
「やっとか。母様がエマを紹介するから一度週末にでも帰ってこいって連絡したんだけど、忙しいとか面倒だとかって返事をよこしてちっとも帰る気がなさそうだったんだよ。おかげで母様もちょっと怒ってる。汽車を使えばすぐの距離だろうに」
面倒。その単語を聞いて、少しだけ胸の奥が重くなる。
どんなに家族のように迎えてもらっていても、一応自分はよその子だ。エディにも、ここにいる三人のようにあたたかく受け入れてもらえるとは限らない。
そういうことを少し、忘れていた。
エマの表情のこわばりを察したのか、シャーロットが微笑んだ。
「大丈夫よ。エディ兄様はちょっと変わっているけど、アルバート兄様やロイお兄様みたいに優しいから。勉強に夢中で本当に忙しかっただけだと思うわ」
「どうだかな。俺やアルバート兄さんと違ってエディは子どもが嫌いだろ」
「こら。不安にさせるようなことを言うな。親しくない子への接し方に慣れてないだけだと思う。小さかった頃のシャーロットはずいぶん甘やかしてたし」
「人見知りってやつか。じゃあそのうち慣れるな。エマ、不安にさせてごめんよ」
ロイの手がエマに伸び、頭をわしゃわしゃと豪快に撫でる。
彼らがそう言うのなら、そうなのだろう。きっと怖い人ではない。歓迎してもらえるかはわからないけれど、お世話になるかもしれないのだ。しっかりと挨拶しなきゃ。
それよりも、なんだろう。
こうして親しく話しかけてもらえて、頭も撫でてもらえて嬉しいしほっとする。だけど……。
何か変。この撫で方じゃない気がする。
「お兄様、あんまりやり過ぎるとエマの髪が……」
「お? 悪い。ぼさぼさになっちゃうな」
「ロイ、お前は相変わらずがさつなところがあるね。母様に見つかったらまた子どもの頃みたいにお小言を言われるよ」
ロイの手が離れていくのを感じる。エマはぼんやりとした心のざわつきをぬぐい切れないまま、食べかけのレモンパイを口にした。
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