第3話:昼と夜の過ごし方
翌日、シャーロットは午前中からセオドアを屋外に連れ出していた。
生活が昼夜逆転しているらしいセオドアは多少眠そうではあるが、シャーロットはいつも通り元気いっぱいだ。
今日はお気に入りの空色を基調としたエプロンドレスに、お揃いの色のリボンをつけた麦わら帽子をかぶっている。手には大きなバスケット。
「さあ、行きましょう」
そう言って手を引くシャーロットからさりげなくバスケットを受け取りつつ、セオドアは尋ねた。
「どこに行くの? セントクレア邸の外?」
「いいえ、敷地内の森です。ほら、あそこ」
彼女が指さす先には、綺麗に整備された芝生をはさんで確かに木々が生い茂る森が見える。
「あまり大きな領地ではないので森もそんなに広くはないですけれど……でも一人で過ごすにはちょうどいいんです」
ちなみにエディは自分の部屋に引きこもって読書中だ。今日は一日邪魔しないでほしいらしい。
森そのものは上流階級の家ならどこにでもあるものだし、セオドアにとってそんなに珍しいものではない。
彼の父親の所有地にもこの何倍もの大きさの森があり、幼い頃に遊び場にしたこともあれば、大人たちに交じって狩りを行ったこともある。
なので今さら森に興味も何もないのだが、せっかくシャーロットが「自分流の昼間の過ごし方」に誘ってくれているわけだから行かないのも失礼だ。それに、そんなに笑顔で腕を引かれたら、なんでもない森遊びもなぜか妙に楽しみになってきている、というのも事実。
というわけで、どことなくうきうきした様子のセオドアを連れて、シャーロットは慣れた遊び場である小さな森へ入っていった。
「まずは、ここです」
ひときわ大きな木の前でシャーロットは足を止めた。上に目を向ければ、広がった枝葉のすき間から陽光がちらちらと降り注ぎ、まぶしい。
「幹にもたれながらうとうとすることもありますし、木に登って読書したりもします」
「木に登って読書!?」
信じられないというふうに目を見開くセオドアを見て、シャーロットはふふっと笑った。
「私、そんなことしないお嬢様に見えてましたか? 木なんか平気で登っちゃいますよ」
それを証明するかのように、シャーロットはするすると細い手足を枝や幹のくぼみに引っ掛けて上へと登っていく。あっという間にお気に入りの太い枝の根本に行きついた。
「ここが、お気に入り!」
下から見ているセオドアに向かって、足をぶらぶらさせながら叫ぶ。
ぽかんと口を開けて猿のような木登りを眺めていたセオドアは、シャーロットに手招きされると、そろそろと自分も木に登り始めた。
シャーロットほどではないが、温室育ちの坊ちゃんにしてはスムーズにこちらまでやって来たのが、意外だ。シャーロットのすぐそばの枝にまたがって落ち着いた彼に尋ねる。
「木登り、よくするんですか?」
「まさか。でも昔はよくやってたかな。小さい頃、兄弟みんなで遊んだりしてるときに。大人には怪我するから危ないってよく怒られたけど、誰も気にしてなかったな」
「何人兄弟ですか?」
「兄が一人と、弟が二人。兄弟四人でよく木登りもしたし、水遊びもしたよ。うちの領地には人工的に作った湖があるんだ」
「兄弟がたくさんいてみんなで遊べるの、素敵ですね」
「兄弟は多くても妹はいなかったから、シャーロットがいるエディは少し羨ましいかな。ていうか、セントクレア家だって四人兄弟じゃん。シャーロットとエディと、あとお兄さんが二人いるだろ?」
シャーロットはうなずきながら、複雑な気分になった。ロイド家のように兄弟全員で遊んだ記憶はあまりない。
「上二人の兄とは歳の差が大きかったので。それに夜眠病で食事の時間がずれたりしているせいで、家族と顔を合わせる回数が少ないんです。だから少しだけですけど、私とお兄さまたちの間には距離があるというか。エディ兄さまは例外。優しいから私のお守り役」
エディは木登りよりも家で本を読むのが好きな子どもだった。
十歳以上離れている活発な上の兄たちは、寄宿学校に既に入っていて家におらず、幼いシャーロットの遊び相手をしてはくれなかった。
本当は屋敷の中にいたかっただろうエディを森や庭での遊びに付き合わせてしまっていたのはなんだか申し訳ないなと思う。だから大きくなった今は一人だ。一人でも平気になった。
「じゃあ今日は、僕が三人分くらいはしゃいでうるさくするから、そしたらにぎやかで寂しくないんじゃない?」
「え、いや、普通にしててください」
「普通にしてたら二人分くらいのうるささだよ」
確かにエディに比べるとよく喋る人ではあるが、二人分だとか三人分だとか、何だそれは。
でも、寂しさを紛らわしてくれたセオドアに安心感を覚える。シャーロットはそのまま木の上でいつになく饒舌に笑い声も交えながら、子どもの頃のことから好きな食べ物、セオドアの学校での話などとりとめのないことを、かなり長い時間セオドアと話し続けた。
家族以外の誰かとこんなに話が弾んだのは久しぶりだった。
その後、シャーロットとセオドアは森の中のあずまやでバスケットに詰まったサンドイッチと紅茶を楽しんだり、近くを流れている川で釣りをしたりして存分に遊んでから屋敷に帰ってきた。
「つまんないとか言ってたけど撤回。久々に外で遊ぶのも、まあ楽しかったよ」
「そりゃあ良かった。これを機に昼型生活に変えてみたらどうだ」
玄関ホールで出迎えてくれたエディが肩をすくめる。急に生活は変えられないよと困った顔で笑うセオドアに、シャーロットは興味本位で尋ねてみた。
「普段、夜に何をしているんですか?」
「ええ? そうだな……大学にいるときは、集会に参加したりするんだ。知ってるかい? 心霊研究会っていうのがあってね……」
「幽霊……の、研究?」
シャーロットは怖いものは苦手だ。それに気づいたらしいセオドアは意地悪な笑みを浮かべた。
「そうそう。幽霊とか、心霊現象とか。それから……」
「おい、こいつを怖がらせるな。あとは、あれだろ。酒場とか……街の女の子のところにも行くだろ」
「そういう話のほうが妹さんに聞かせるべきじゃないと思うけど!?」
別に聞かされたら困るほど自分は子どもではないのだけれど。と心の中で思いつつ、シャーロットは黙ったままでいた。あえて聞くほどのことでもない。
「じゃあ、他には何してるんですか?」
「他は、えーっと、夜会とかだよ。このあいだエディがうちの兄の誕生会に来てくれたような。もっと正式で大きな会もあるけど……どこかの家の晩餐会とか、舞踏会に参加したり……舞踏会?」
説明しながら、セオドアはなぜか怪訝そうにシャーロットとエディを見た。
「セオ? どうした?」
「あのさ、夜が多いけど、夜にやらなきゃいけないっていうルールはないよね?」
「は?」
「舞踏会やろうよ、昼に」
突拍子もないセオドアの提案に、シャーロットとエディはぽかんと口を開けて顔を見合わせた。
夜会は夜に開かれるから夜会なわけで、もちろんシャーロットは夜眠病のために参加経験はない。だけど昼でも昼餐会や園遊会がある。
「だから私、回数は少ないですけど、こういうところに来るのが初めてなわけじゃないんですよ?」
シャーロットはワルツのステップを踏みながら、ダンスの相手であるセオドアに言い訳がましく説明した。
場所はセントクレア家のお隣、ロイド家の別荘地に建つ屋敷。今ここではセオドア主催で舞踏会が開かれていた。
彼の提案通り、昼間の開催で今、外は雲一つない晴れ。
彼は数週間で準備をして、シャーロットとエディの他にも知り合いを招待してこの会を開いた。その主催者セオドアは踊るシャーロットをリードしながらくすりと笑う。
「そんなの知ってるよ。回数は少ないけどたまに姿を見せるから、君に会うといいことがあると言われているんだろ。だけど、舞踏会は初めてだよね?」
「ええ、初めて」
シャーロットは大きな瞳を動かして周囲を見渡す。真昼間から呼び出されて戸惑いつつも、素晴らしい演奏を披露してくれる楽団。午後なのにホールの中を華やかに舞う、イブニングドレス。この変わった催しに面白がって参加している若者たち。ちぐはぐな状況にシャーロットも愉快な気分だ。
「カドリールもワルツも好きだけど、練習ばかりしてみんなの前で踊る場所がなかったから、楽しい」
「そう? 良かった。でもずっと踊ってるから疲れてない? 休憩する?」
ありがたく彼の気遣いを受け取ってダンスの群れから抜け出し、ホールの端へ移動した。すると自然とシャーロットを見つけた若者や令嬢が話しかけに近寄って来る。
「初めまして。ダンスお上手なんですね、少し休憩されたら次は僕と踊っていただけませんか」
「お久しぶりです、以前あなたのお父様がキジ撃ちの会をされたときにお会いしたのですが、覚えてますか?」
「今、向こうで私の女学校の友人たちが集まってお話しているのだけれど、良かったら一緒にどうかしら」
今日のシャーロットは深紅のドレスを身に着け、同じくらい赤い薔薇の髪飾りを髪に差している。それは白い肌にも薄い金の髪にもよく映えていて、周囲の人の目を惹いた。
シャーロット・セントクレアに会うといいことがある。その噂を信じ、喜んで話しかけてくる者もいれば、噂に関係なく彼女自身の可憐さに引き寄せられて取り巻きになる者もいた。
シャーロットは夜眠病のこともあって家族が心配するため、あまり社交の場には出ないが、引っ込み思案な性格というわけではない。だけど今まで友人が少なかったこともあって、会話することには緊張してしまう。
しかも大人数に囲まれているわけで、色々な人と話せるのは楽しいけれど、すぐに疲れてしまった。
それを察してか、しばらくはシャーロットを一人にして自分の友人と談笑していたセオドアが戻って来てシャーロットを人の輪から連れ出してくれる。
「はい、みんないったん解散~。シャーロットも疲れちゃうからね」
「セオドア、彼女の保護者みたい。仲良いんだね?」
「保護者じゃなくてそこは騎士とかにしてほしいな。親友の妹君だから大事にしなきゃ」
まだ未練がありそうな彼らを残してセオドアはシャーロットをテラスへ連れていった。
ちらりとホールを見やると、奥のほうでエディが数人の令嬢たちに取り囲まれているのが見えた。
遠くてよくわからないが、おそらく人付き合いが苦手な彼の眉間にはしわが寄っていることだろう。
テラスには、シャーロットとセオドア以外、誰もいなかった。午後の太陽の光がさんさんと二人の顔を照らしている。
「セオ……あの、ありがとう」
シャーロットは目が合ったセオドアにお礼を言った。
「私が夜の雰囲気を体験できるように、舞踏会を開いてくれたんですよね」
「まあね。昼のピクニックに誘ってくれたから、そのお礼。楽しめた?」
「はい、とっても」
「そう? 良かった。……でも、何か物足りないって顔、してる」
どうしてわかったのだろうか。シャーロットは思っていることを顔に出したつもりはないけれど、彼はそれ以上に表情を読むのが上手いのかもしれない。
シャーロットはテラスの隅を指さした。
「本当は、ああいう場所で恋人たちが愛を語らったりするんでしょう?」
「えっ、あー、まあ。そういう人もいるけど」
少しうろたえながら答えるセオドアがおかしくて、シャーロットは唇の端を上げた。
「恋愛小説でそういう場面がよくあるから、ちょっぴり憧れなんです。でも、いくら夜の舞踏会を真似ても、ここでは明るくてキスもできないわ。やっぱり今は昼なんだなあって」
「シャーロット……」
「あっでも、今日がすごく楽しいのは本当なんです。だから、ありがとうございます」
せっかく彼がシャーロットのために考えてくれたことを、否定するような失礼なことを言ってしまった。そんな後ろめたさから慌ててもう一度お礼を言う。
けれど本当はこんな偽物の夜もどきの遊びなんて、物足りない。
それすらもわかっているみたいに、セオドアの表情は浮かないままだった。
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