最終話 文化祭
「先輩、文化祭のシフト作りました」
「ありがとう、山吹」
長かった夏休みもついに終わり、その翌週。
文化祭が明日に迫っていた。
我らが文芸部は部室にて文集を配布する。非常に地味だが弱小文芸部としてはこうして文化祭に一枚噛めるだけでも良しとしておこう。
そして文芸部員は二人なので交互に店番をすることになっており、そのシフト表の作成をお願いしていたのだ。
「……ん?」
渡されたメモ帳の切れ端に目を通した僕は、それから対面に座っている少女に疑惑の眼差しを向ける。
「山吹、なぜ1:9で僕の方が店番の時間が多いの?」
不条理という概念を凝縮したような割り振りに疑問を呈すると、目の前の少女は平然とのたまった。
「だって、先輩は根暗ですからね」
半ば説明を放棄したような――というか普通に悪口では? ――を受け、僕はしばし黙考する。
「……あ、根が『暗い』からブラック労働しろと?」
「惜しいですね。正解は、『根暗な先輩は友達と文化祭を回る、なんて予定があるはずもないので、そういった予定があるわたしよりも長く店番をすべき』、です」
「全然惜しくないし、勝手に僕の予定を決めつけるな」
「ではあるのですか? 友達と文化祭を回る予定」
「…………ないけど」
「ではこのシフト通りにお願いしますね、先輩」
そう言って一片の嗜虐を含んだうすい笑みを浮かべる少女は
「せめて3:7でお願いします」
「めちゃくちゃ弱腰じゃないですか……」
なぜか呆れられた。そっちが強気すぎるだけでは?
結局は折衷案として2:8の割り振りになった。なぜぇ。
「それにしても、ちゃんと出来上がって良かったですね、文集」
山吹はおもむろに長机の上――山のように、とは言わないがそこそこの高さに積まれた文集を見て嘆息した。
「……それは遠回しに僕が小説を書くのが遅くなったことを責めているの?」
「それは被害妄想というものですよ、先輩」
山吹は平然と嘯く。
「まぁわたしと紺青先輩は先輩よりもずっと早く原稿を上げていたことは事実ですが」
……これはやっぱり責めていますよね?
釈然としない僕を尻目に山吹は文集の山からつい、と一冊取り上げる。パラパラとページを捲り、細く繊細そうな指先が紙の表面を撫でた。
「でも、わたしはこの小説好きですよ」
慈しむような、愛おしむような、その仕草に僕はどきりとする。その動揺を悟られたくなくて、僕はことさらに仏頂面を作った。
「あ、先輩。これ一冊もらっても良いですか?」
「え、うん」
文集を閉じてこちらを見る山吹に頷いてみせた。
「どうせほとんど残って文芸部の不良在庫になるだけだろうからね」
「身も蓋もないですね……」
呆れつつも山吹は文集を鞄にしまい込む。
「さて、明日は文化祭ですし、今日のところは早く帰りましょうか」
「それもそうだね」
山吹の言葉に僕も腰を上げる。
が、なぜか言った本人の山吹は座ったままだった。
「ん? 帰らないの?」
「あ、わたしは少々野暮用があるので、先輩は先に帰ってください」
そう言ってやたらに手を振ってくる。なんでそんなに帰したがるのかは不明だが、別に帰りたくないわけでもないのでおとなしく山吹を残して帰ることにした。
*
来る文化祭当日。
僕は暇を持て余していた。
朝から文芸部部室で店番していたのだが、訪ねてきたのは僅か三人。真面目に店番をしているのも馬鹿馬鹿しくなり、途中からは普通に読書時間になっていた。なんだろう、若干虚しい。所詮高校生の文集か……。
ふっ、とアンニュイに天井を仰いだところで廊下からどたどたと騒々しい足音が聞こえてきた。それだけでもう誰かわかってしまう。
「よっ、大将やってるー?」
「……紺青、君はもう少し静かにできないのか」
がらり、と扉を開けて入ってきた
「いやいや、明るく元気に! が私のモットーですから!」
「学校に近隣住民から騒音のクレームが来たら君のせいだからな」
「吹奏楽部や軽音部を差し置いて私なの!?」
笑ったり驚いたりする度に彼女の背中でぴょこぴょことポニーテールが揺れる。なんとはなしにそれを目で追いながら僕は尋ねた。
「それで、何しに来たの? 見ての通りの辺境、閑古鳥の生息地である文芸部部室に」
「あらら、随分と卑屈な言い草だねぇ。まぁ、こんなところにずっと一人でいれば気分も塞ぐか――おっとぉ」
ケラケラと笑う紺青に文集を投げつけてやった。腹の立つことに器用に受け取られてしまったが。
「まあまあ、そんな卑屈モードの倉井くんを助けに来たのだよ、私は!」
「助け?」
紺青はピースしながらドヤ顔を見せつけてきた。なんだろう、残りの文集を丸ごと引き取ってくれたりするのだろうか。
「そう、ずっと店番じゃ疲れるだろうし、私が代わってあげるからどこか見て回って来なよ」
なるほど、そういうことか。
「ぅうん、でも別に見たいものもないし」
所詮高校生のお遊戯ですからね? とひねた思考ばかりしてしまうのは気分が塞いでいるからか。……いや、通常運転だな。
「そう言わずに、気分転換だと思って! ね!」
なぜか必要以上の圧力と共に僕の背は部室から押し出された。これは部室の不法占拠では?
「……紺青め、やはり文芸部を乗っ取る気だったか」
「……いや、何を言っているのですか」
扉の前で僕が歯軋りしていると、横合いから呆れたような声がした。
振り向くとそこには山吹がどことなく所在なげに佇んでいて。
「あれ? 友達と文化祭を回る予定で忙しいはずの山吹がどうしてここに?」
「言い方にそこはかとなく悪意を感じるのですが」
ばちり、と視線が交錯するも、珍しく山吹の方からふいっと逸らしてしまう。あれ、いつもなら僕が根負けするところなのだけれど。
「で、どうしたの? 店番なら今は紺青がしてくれているけど」
「あー、そうなのですねー。全然知らなかったですー。あー、ということは先輩は今お暇なのですか?」
……こいつ、絶対に知っていたな。紺青に店番をさせてまで僕をおびき出すとは、いったい何を企んでいるのか。
内心の疑念を隠したまま僕は努めて普通に答える。
「まぁ、暇と言えば暇かな」
「そ、そうですか」
降り落ちる謎の間。
それを振り払うように山吹はどこか慌てたように言い募る。
「そ、それなら先輩、わたしが一緒に文化祭を回ってあげても良いのですけれど?」
これまた唐突な上から目線である。けれどまぁ、山吹とはそういう奴だ。素直に何かを伝えることなんて、したことがないのだろう。僕としても一人寂しく文化祭を回るよりは誰かと一緒の方がまだ気が楽だ。
「それじゃあ、お言葉に甘えて一緒に回ってもらおうかな」
そう返すと、山吹はふわり、と頬の辺りを緩ませる。
「……時に先輩。以前、わたしが花火大会に先輩を誘おうとしたことは覚えていますか?」
「え、あぁ、うん」
うすく微笑んで脈絡のないことを言い出した山吹に戸惑いながらも僕は頷く。
「あれ、実は先輩にあれこれ奢って頂くつもりだったのですが、先輩が予定を空けておいてくれなかったせいで計画がご破算になったのですよ。おかげで予定外の出費が増えて、わたしのお財布は今もすっからかんです」
「いや、すっからかんなわけないだろう……」
花火大会でどれだけ豪遊すればそうなるの? はしゃぎすぎでは? というか勝手に奢られる前提でいられてもね?
言いたいことが山程ありすぎて頭が追いつかなくなったところで、山吹の端整な顔がずい、と詰め寄ってくる。うわっ。
「なので先輩、その埋め合わせとして、今日はわたしのお財布代わりになってくださいね」
「え、あ、うん……――って、えぇ!?」
にこり、と可愛らしい笑顔で可愛げの欠片もないことを言ってくる山吹に思わず頷いてしまってから僕は戦慄した。こいつ、根こそぎむしり取る気では……?
山吹の微笑みが深くなる。
「『うん』と頷きましたね、先輩。これで今日は先輩がわたしのお財布です」
言質を取られてしまった。仕方ない、もうどうにでもなれ。
「……はぁ、わかったよ、山吹。でも先輩を財布呼ばわりはやめよう?」
せめて人間扱いはしてほしい。なんて、こうやって言うことを聞いてしまうから山吹が増長してしまうのだろうけれど。
とりあえずどこか行こうか、と部室の前から動き出そうとしたところで、山吹の突き出した腕に進行を阻まれた。
「え、何?」
山吹を見ると、不自然に片手をこちらに差し出したまま突っ立っている。視線が落ち着きなく揺れ、何か言いたげに唇がもにょもにょと動く。
焦れったい数秒。そして。
――きゅ、と手の平に温かな感触が伝わる。
……えっと、これは。
まったりと停止しようとする脳みその最後のあがきで、僕は状況を把握した。
山吹と、手を繋いでいる。
繋いだ手の反対側を辿っていくと、山吹のからかうようなうすい笑み。
けれど、その耳たぶは真っ赤に色づいていて。
「今日の先輩はわたしのお財布なので、いなくなられたら困るのです。だからこれは、財布紐の代わり、なのですよ?」
じわりじわり、と手の中の熱が上がっていく。これは山吹の手が熱いのか、僕の手が熱いのか。
財布云々はこのための布石だったのか、と遅まきながら理解する。こんなの遠回りすぎて気づけるはずがない。
「先輩」
すぐ近くからの呼び声に振り向くと、上目遣いでこちらを見遣る双眸。
「先輩が嫌なら『財布呼ばわり』はやめますけれど、どうしますか?」
小さな声で放たれたその質問に込められた意図を察するのに数秒かかった。ずるい、と思う。
繋いだ紐――もとい山吹の手は小さくて、きっと容易く振りほどけてしまう。けれど、僕はこの温もりをずっと傍で感じていたいと、そう思うのだ。
だから、僕は山吹の質問を聞こえない振りをした。さっきからひどくうるさい心臓の音に、彼女の小さな声は紛れてしまったのだ、と。
素知らぬ顔で財布の振りをしながら、僕は山吹と連れ立って廊下を歩く。
徐々に大きくなる文化祭の喧騒。
繋いだ手にぎゅ、と力が込められ、僕はそっぽを向いていた顔をそちらに向けた。
山吹の形の良い唇が緩やかな弧を描く。その端には一滴の嗜虐。
「本当に、先輩は素直じゃないのですね」
からかうような響きの声に、僕は束の間逡巡する。
ここで素直に頷いたらそれはきっと、素直じゃない、という評に反することになる。
だから結局、素直じゃない僕は聞こえない振りをするしかないのだ。
そんな僕の様子を見て、山吹は楽しそうにパッと花のように笑った。
繋いだ手を山吹が強く引っ張る。呼応するように心臓がどくん、と高鳴る。
傍にあってほしいと願ったその笑顔に、僕は少しだけ見惚れた。
ほんの少しだけ。
*
文化祭の喧騒も過ぎ去り、部室の窓からは夕暮れの暖色が入り込んでいた。
友達に呼ばれた、と山吹がいなくなり、僕は一人で軽い片付けをする。装飾などもなかったのですぐに終わり、僕は残った文集の処遇を決めかねていた。
机に置いておくのも邪魔だし、とりあえず部室の本棚にでもしまっておこう。
そう思い立って文集の束を抱え本棚へ向かう。
と、巡らせた視線の先で一冊、既に本棚に収まっている文集を見つけた。
「ん? なんでこんなところに……」
言いかけて僕は気づいた。
文芸部伝統の本棚。部員はここに自分の好きな本をめいめい十冊寄贈することになっている。そして文集が置かれていたのは、一番新しい区画――山吹が自分の好きな本を置くことになっている箇所だ。
脳裏に昨日の山吹の様子がフラッシュバックする。
文集を一冊取っていったこと。
先に僕を帰らせたこと。
野暮用の正体。
『わたしはこの小説好きですよ』
そう言った時の愛おしむような表情。
「……まったく、素直じゃないのはお互い様だね」
ほろり、と一緒に零れた笑みを拭って、僕は残りの文集の束から一冊、取り上げた。
そしてそれを既に文集が置かれている隣の区画へと置く。僕の好きな十冊を置く場所。
今なら僕も自信を持って言える気がするのだ。
これが僕の好きな本だ、と。
根暗先輩とひねくれ後輩の文芸部活動記録 悠木りん @rin-yuki
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