第27話 合宿(天国と地獄)
「合宿しよう!」と紺青が言い、
「合宿するかぁ」と顧問の若竹女史が言い、
「断固反対する」と僕が言った。
そして三日後、僕らは若竹女史の運転する車に乗って山間にある合宿施設に向かっていた。
助手席から遠く青い晴天を見上げ嘆息する。
「……どうしてこうなった」
*
山吹が泣きながら部室から遁走したあの日。
しばしの後部室へと戻ってきた紺青は呆然とする僕に「あれ、菫ちゃんは?」と尋ねてきた。
「……泣きながら『大嫌い』と言って帰っていった」
と、事の次第を端的に説明すると、
「なんでさらにこじれてるの!?」
と大仰に天井を仰ぎ見る。そこにこじれた理由でも書いてあるのかと思い僕も仰ぎ見た。答えはなかった。当たり前だ。
「……はぁ、二人にしたのは逆にマズかったかなぁ」
独り言のニュアンスで呟く紺青に、多分そういうものでもないだろうな、とぼんやり思う。
遅かれ早かれ、いつかはこういう時が来るようになっていたのだろう。
自分の気持ちを言語化するのが苦手な僕と、自分の気持ちを素直に表せない山吹。
だからこそ、無意識のうちにでも僕らは二人の関係に名前をつけようとしなかったのかもしれない。そして、名づけられることのない関係はひどく不確かだ。
日常という器に溜め続けたぬるま湯は、溢れてしまった。
「……まぁ、仕方ないか。倉井、合宿しよう!」
「…………はい?」
切り替えたようにパン、と手を叩きながら言う紺青に僕は首を傾げる。なぜに合宿? 因果関係が不明すぎる。
「いや、不思議そうにしているけど、文集の原稿が終わっていないのは倉井だけだからね? さっき顧問の若竹先生と話してたんだけど、『書けないのなら合宿でもして無理やりにでも書かせよう』ってことになって」
「いやいや、そんな勝手に決められてもね? というか部長である僕を差し置いてなんで部員でもない紺青が決めているんだよ!? 断固反対する!」
既に決定事項だ、とばかりに言い放つ紺青に抗議するも鼻であしらわれる。
「自分に与えられた役割も果たせていない奴に発言権なんてない」
まだ小説を書けていない僕はぐうの音も出なかった。
「おーい、やってるー?」
折り良く(というか折り悪しく?)顧問の若竹女史が部室にやって来る。ここは呑み屋じゃないんですけど……。
「先生、あの、合宿って」
「あー、さっき紺青ちゃんと話して、じゃあ合宿するかぁ、って」
めちゃくちゃ軽いな。これ、本当にやる感じ?
正直山吹とあんなことになってしまった今、文芸部の合宿なんて苦行でしかない。どんな顔して会えばいいのか不明だ。合宿なんて断固阻止したい。
「いやでも、先生はお忙しいでしょうし、今から諸々の手配とかするのも大変でしょうから……」
必死にネガティブキャンペーンをするも、
「大丈夫大丈夫。もう合宿施設も抑えたし、後は当日車出すだけ」
やけに手回しの良さを発揮する若竹女史がにこり、と僕に微笑みかける。うっ、これは良くない。
ぐっ、と凄みのある笑顔が近づく。
「なんか、倉井だけ文集の原稿終わってないんだって? もうすぐ業者にデータ送らなきゃいけないから、困るんだよね。そのための合宿なの。わかる?」
これはつまり、『お前のためにやってやっているんだからおとなしく言うこと聞け』ということだ。
無理だ。これは逃げられない。今すぐ原稿を書き上げて提出でもすれば逃れられるのだろうが、そんなことができるのなら最初からやっている。
「……わかりました」
こうして文芸部の文集作成合宿は決行されることになった。
もうどうにでもなれ。
*
「おぉー、ここが我が文芸部の合宿所かぁ!」
数時間車に揺られ、辿り着いた山間の合宿所を前に紺青が歓声を上げる。……いや『我が文芸部』って、君のじゃないからな? 何しれっと乗っ取っているんだ。まったく、油断も隙もない。
ともあれ、今日からここで一泊二日の文芸部の合宿が始まる。表向きの目的は文集を仕上げることだが、こうなってしまった以上山吹との関係をここらでどうにか修復したい、という個人的な心積もりもあった。
車から降り、凝った体を伸ばしていると後部座席から山吹も降りてきた。パチリ、と目が合う。
「…………」
「…………」
「……あ、荷物持とうか?」
「……いえ、結構です」
沈黙に耐えられず紳士ムーブを試みるもすげなく断られる。
学校に集合した時からずっとこの調子だ。
若竹女史の車を待つ間も、
「えっと、山吹、ガムいる?」
「……いえ、結構です」
車に乗っている間も、
「あー、山吹、空調の温度調節しようか?」
「……いえ、結構です」
とまぁ、僕が何を言っても『いえ、結構です』の一点張り。なんなの、それしか言えない呪いにでもかかっているの? と、泣き言の一つも言いたくなる。到着早々なんだが、僕の心はほぼ折れていた。
「ほら倉井、何ぼけっとしてるの。部屋に荷物置いたら会議室に集合だよ!」
そんな僕の肩を叩いて(痛い)紺青が合宿所へと駆け込んでいく。まったく人の気も知らないで……。あとどんどん仕切っていくな、あいつ。本当にこの部を乗っ取る気ではあるまいな……?
とっくに山吹も荷物を運び込んでしまった後で、僕も重い足取りで彼女たちを追いかけた。
*
紺青に言われた通り部屋に荷物を置いてから、案内板を頼りに会議室へと赴く。
「……あれ?」
部屋に入るも誰もいない。早く来すぎたかな、と思った瞬間、背後でぴしり、がちゃっ、という扉の閉まる音と鍵の掛かる音がした。…………ん、なんで鍵?
嫌な汗が背中を伝う。振り返るとにっこり笑顔の若竹女史が扉の前で仁王立ちしていた。この人の笑顔はどうしてこうも恐怖心をかき立てるのだろう。
「……あの、先生? これはどういう?」
どういった意図を持って僕を合宿所の一室に軟禁しようというのか、とその真意を探る。
「倉井、今から小説が書き終わるまで、この部屋から出さないから」
「……はい?」
微笑んだまま答える若竹女史。僕、愛想笑い。ちょっと意味がわからない。
「要するにこの合宿は最初から倉井のためのカンヅメ合宿だったわけだよ」
「えぇぇ……」
カンヅメって、締め切りを守れなかった作家の墓場と言われる、あの? いや僕も確かに小説を書くのに手間取ってはいるけれど、そんな仕打ちを受ける程ですかね? パワハラでは?
「ちなみに紺青と山吹は何を?」
「あの子たちは別室でお菓子片手に文集の表紙デザインやらレイアウトやらを和気藹々と話し合っている」
「僕は?」
「安心しなさい。ペンと原稿用紙、水とエナジードリンクは用意してあるから」
「天国と地獄じゃないですか……」
あまりの状況の落差に頭を抱えたくなった。
「さすがにトイレとか行く時には出してくれますよね?」
最悪それを言い訳にエスケープしよう、という僕の目論見は次なる彼女の一言で粉々に粉砕された。
「ん? トイレならそこにあるけど?」
「嘘じゃん……」
若竹女史の指さした先。そこには水の入ったペットボトル――の横に空のペットボトルが。……まさか地獄という形容すら生温かったとは。
「ま、さすがにそれは冗談だけど」
あっははは、と笑う若竹女史。
「で、ですよねぇ」
釣られて僕も笑う。いやぁ良かった。この人ならやりかねないからな。
……本当に冗談ですよね? なんか目が笑っていないんですけど?
これはどうやら山吹との関係修復云々なんて言っている余裕はなさそうだ。
目の前に並んだカンヅメ用品と背後からの圧の強い視線に挟まれ、僕は悟る。
本当に、どうしてこうなった。
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