間話 山吹菫の予兆
ドォーン、と鈍くお腹に響く音と共に夜空に花が咲く。それを見上げる人たちを、赤に、緑に、金に、染め上げていく。
そんな煌びやかな花火大会の片隅で、わたしはむしゃくしゃしていた。何を呑気に花火なんて上げているのだ、と見当違いの文句が心中では打ち上がっている。
それも全て先輩のせいだ。
まったく信じられない。あの先輩ときたら、人の心を解するのに必要な神経が残らず死滅しているとしか思えない。なんであんな人間がのうのうと十数年も生きてこられたのか、理解に苦しむ。
『妹と花火大会に行く』だなんて、とんでもない嘘つきだ。
本当は紺青先輩と一緒だったなんて。
ばったりと遭遇した時の先輩の引きつったような表情を思い出して、また腹の底の方からムカムカと黒っぽい何かがせり上がってくるのを感じる。
しかも、何か弁明でもするのかと思えば『君、本当に友達いたんだね?』って――はぁあああ!? 悪びれるどころか、なんなの? ケンカ売ってるの!? 自分の方が根暗で友達も少ないくせに!
「……あのぅ、すみれちゃん? さっきからずっと怖い顔してるけど、大丈夫? これ一口食べる?」
心配そうな声に顔を上げると
……いや、わたしこそせっかくの花火大会なのに沈んでいたら杏たちに悪いか。切り替えよう。
「ぅうん、大丈夫。ありがとう、あんず。一口もらうね?」
意識的に口角を上げ、甘ったるいふわふわを口に含む。強烈な甘味が一瞬舌に広がり、溶けて消えていく。後に残るのは人為的な、どこか気持ちの悪い後味。それは胸に残るざらざらと重なり、無意識のうちに顔をしかめてしまう。
「――というか、結局あの男はなんだったの?」
「――あの様子は痴情のもつれ、でしょうねぇ」
ひそひそとした
「ごめんね、二人とも。なんでもないから、さっきのことは忘れてね?」
笑顔でそう言うと二人はなぜか顔を固くした。
「すみれ、笑顔がすごい猟奇的なんだけど……」
「いやぁ、スミちゃんは怒らせるとおっかないですな……」
いけないいけない、どうもさっきから表情筋が言うことを聞かなくて困る。わたしは常に穏やかで優しい笑顔を絶やさない山吹菫。あんな根暗な先輩ごときに心を乱されるようなわたしではない。すぅー、はぁー。
「今度はおもむろに深呼吸を始めたんですけど!?」
「情緒が不安定だねぇ」
……鏡花も手毬もちょっと黙ってほしい。
「二人ともやめてよ! すみれちゃんは怒ってるんじゃなくて、傷ついているんだよ!」
綿あめをぶんぶん振り回しながら(迷惑だからやめなさい)杏が珍しく声を荒げた。
とはいっても元が綿あめみたいにふわふわとした杏だ。多少荒ぶったところで怖くもなんともない。むしろコミカルな感じが可愛い。
鏡花も手毬も少し驚いたようだったがすぐに目許を緩めた。
杏のこういうところが、わたしは羨ましいと思う。杏の前では誰もが毒気を抜かれ、気づけば笑顔を浮かべている。それを無意識でやってしまうのだ、この子は。わたしとは真逆だ。
「というか、なんであんずがわたしの気持ちを語っているの?」
思わず苦笑しながら問うと、杏はぱちくりと目を瞬く。
「だって、見ればわかるよ。すみれちゃん、悲しそうだもん」
どこまでも純粋で真っ直ぐな眼差しにぐっ、と喉が詰まる。
わたしが自分でも気づかない心の底まで見通されているような気がした。
わたしは、悲しいのだろうか? 何が?
杏が悲しみだと言ったそれの輪郭を見極めようとしても、わたしの脳裏には腕を組んだ先輩と紺青先輩の姿ばかりがちらつく。そしてその度にきゅうきゅうと胸の奥が締めつけられるような息苦しさを覚えるのだ。
これが、そうなのだろうか。先輩がわたし以外の誰かと楽しそうに過ごす情景を思い浮かべる度に、身の内から湧き上がるこの痛みが。
でもそれって変だ。だってわたしたちはただの部活の先輩と後輩で、先輩が誰といようが――たとえ紺青先輩と付き合っていようが(また、胸がぎゅうっ、となる)、わたしにはなんの関係もないはずなのに。悲しむ理由も、権利も、ないはずなのに。
以前、図書室で紺青先輩と初めて会った時のことを思い出す。あの時、先輩には聞かれないように交わした会話。そこで彼女は言っていた。
『倉井が私に取られると思っちゃった? 大丈夫、取らないよ?』
咄嗟のことでわたしは否定したけれど、今この胸の中をぐるぐると巡る感情はそういうことなのかもしれない。
醜い、歪んだ独占欲。
取り繕うことを知らず、しようともせず、敵意を撒き散らしてばかりだった中学生の頃のわたし。そんなわたしでも、先輩は傍にいてくれた。一人ぼっちのわたしの、拠り所だったのだ。
高校生になった今は、杏や鏡花、手毬など友達ができて、クラスのみんなも受け入れてくれている。だからもう、わたしは一人ぼっちではない。あの頃とは違う。違うのに。
それでも、わたしはいつも不安なんだ。
取り繕う術を知ったことでわたしは一人ではなくなった。けれど、それは結局のところ嘘でしかなくて。取り繕った外面をなくしてしまえば容易く壊れてなくなってしまうであろう、儚いものだ。
そうした関係がなくなってしまったら、やっぱりわたしには先輩しかいないから。
だからわたしは他の誰にも見せない、ひねくれた性根を先輩にだけ晒すのだ。
そうすることで先輩との関係は、他の壊れやすいものとは違う――不変で、特別なものだって、安心できるから。
でも、だからこそ、わたしは先輩が離れていってしまうことを恐れている。
わたしの知らない先輩の一面を知る度に、底知れぬ闇に落ちていくような、胃の腑がひりつくような心許なさを覚えてしまう。
わたしが、他の誰にも見せられない部分を先輩にだけは見せられるように、先輩が特別な表情を見せるのはわたしの前だけであってほしい、なんてそんなことを、考えてしまうのだ。
――取られたくない。
――取らない、って言ったじゃない。
――取らないでよ。
――わたしから、先輩を。
みっともない執着、おぞましい程の独占欲――そんな汚泥のような感情が、ぐつぐつと体中を満たす。
この気持ちはきっと、好きとか恋とか、そんな簡単な言葉で片付けられるようなものではない。
そんな綺麗なものでは、決してない。
もっと汚くて、ずるくて、どうしようもなく醜いものだ。
孤独だったはずの少女が、たまたま触れてしまった温もり。けれど、一度触れてしまった温もりは、少女にとってはどうしようもなく失い難いもので。
それを失う日のことを思っては、いつも怯えていた。必死で見ない振りをしていた。
その成れの果てが、今のわたしだ。
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