第25話 花火大会(後編)

 聞き覚えのある声に呼ばれ、けれど振り返って見つけた少女の姿に戸惑いが先行する。


「え……と、山吹?」

 

 そこにいたのは後輩、山吹菫やまぶきすみれであった。

 

 思わず疑問形になってしまったのは仕方ないだろう。浴衣姿もそうだし、長い髪をまとめてアップにしていたため、一瞬別人のように映ったのだ。辺りの暖色に照らされたうなじの白さに、僕は鼓動が速くなる。……いや、これは妹を探して走り回っていたせいかもしれない。


「はいっ、本当に偶然会いましたね。どうですか先輩、わたしの浴衣姿、は……」

 

 にこり、と暑さのせいか少し火照ったような笑顔でこちらを覗き込んできた山吹は、僕の腕にくっついていた紺青を見た途端に動きを止めた。

 

 まずい。

 

 何がまずいのか自分でもよくわからないまま、半ば本能的に紺青を振り払う。「あ痛っ」という呻きが聞こえたがそんなものは完全に無視した。


「……先輩? 確か妹さんと一緒に来る、って。なんで紺青先輩と」

 

 真夏の蒸し暑い夜だというのに、それとは対照的に山吹の声からはどんどん温度も湿度も失われていくみたいだった。ひやりと乾いたその声に、わけもなく胸が苦しくなる。


「いやっ、紺青とはさっき偶然……その、迷子になっていたみたいで」

 

 本当のことを言っているだけなのにやけに喉が詰まった。唇の端で嘘くさい笑いが引きつるのを感じる。

 

 なぜこんなにも僕は心を乱されているのだろうか。さっき丁度山吹のことを考えていたからか。それとも見慣れぬ彼女の姿に動揺したのか。自分でもわけのわからぬ心の動きに、さらに僕の態度はぎこちなくなる。


「……なるほど。そういうことなのですね。すみません、二人の時間の邪魔をするなんて野暮なことを」

 

 未だに何もわからない僕を差し置いて山吹は何やら納得して頷いている。何、そういうことってどういうこと? もしかして何か誤解をしていないか?


「あの、山吹?」


「まったく、先輩も人が悪いですね。紺青先輩と来るのなら最初からそう言ってくれれば良いのに。変な嘘なんか、ついて、」

 

 くしゃっ、と端整な顔立ちが歪んだ。いつもは不遜なうす笑いばかり浮かべる彼女が初めて見せる表情に、僕は胸を殴りつけられたみたいに息ができなくなる。

 

 なんでそんな顔をするんだよ。

 だって僕らはただの部活の先輩と後輩で。

 いつだって相手を貶したり、嫌味を言い合ったりばかりで、色気も何もない、そんな関係だったのに。

 

 それなのに山吹、君はなんでそんな傷ついたみたいな目で僕を見るんだ。


「――――山吹」


「っ、わたし、もう行きますね。友達が待っているので」

 

 ふい、と顔を背けると山吹は遠ざかっていく。

 

 その先には三人の少女が「すみれー? どうしたの?」とこちらの様子を窺うようにしていた。

 

 その光景を見た途端、僕は居ても立っても居られず山吹に追い縋ってその手首を掴んでいた。折れそうに細い、けれど熱い感触にまた鼓動が跳ねる。


「えっ、先輩……?」

 

 振り向いた山吹の瞳は大きく見開かれていて、その淵は今にも零れそうだ。

 

 けれど、今はそんなことには構っていられなかった。

 

 山吹の誤解を解くことより、彼女の傷ついた表情の真意を見つけることより、僕には今この瞬間どうしても言いたいことがあったのだ。


「山吹……」


「えっ、えっ」

 

 万感の想いを込めた僕の呼びかけに彼女はひどく狼狽えたように視線を彷徨わせる。

 

 僕は掴んでいた山吹の手首をぎゅっと握りしめ、そして――


「山吹。君、本当に友達がいたんだね?」


「…………は?」

 

 山吹が友達と一緒にいる。

 

 初めて見るその光景に、僕はどうしても確かめずにはいられなかったのだ。

 

 けれど、山吹はめちゃくちゃ低いトーンで疑問符を吐きながら大きく見開いていた瞳をすっ、と剣呑に細める。


「…………どういう意味ですか、先輩?」


「いや、高校では友達ができたって話は聞いていたけれど、実際に見るまでは若干疑念が拭いきれなかったというか。だって中学の頃の君は近づく者皆傷つける、抜身のナイフのような奴だったからね。友達なんて一生できないんじゃないか、と思ったこともあったり」

 

 そう、中学の頃はいつも一人ぼっちだった山吹。下手に話しかけようものなら返ってくるのは敵意に満ちた寸鉄。そんな彼女が浴衣を着て、友達と一緒に花火大会に来るだなんて……本当に成長したのだな。

 

 なんて、しみじみとした感傷に浸っていた僕は目の前の彼女の変化に気づくのが遅れた。


「――先輩?」


「へっ? あ、ごめん、引き留めて。どうしてもそれが言いたくてさ」

 

 謝りながら今一度山吹の顔を見ると――ぅわ、すごい笑顔だ。……いや、よく見ると唇の端がめちゃくちゃ引きつっている。こめかみも怒りに脈打つようにぴくぴくしているし。

 

 ……これはあれだ。完全にキレているっぽいな。なぜ?


「先輩、言いたいことはそれだけですか?」

 

 あれ、もしかしてこれが僕の今際の際の言葉になる感じ? 遺言? 遺言なの?


「えっと、後は……友達と花火大会楽しんで、とか?」


「――――そうですか」

 

 ぶちり、と何かが千切れるような音がした……気がする程に凄絶な笑顔を山吹は浮かべた。笑顔とは本来威嚇行動の一種である、ということがわけもなく思い出される、そんな笑顔だった。

 

 山吹の手首を握っていた僕の手に、彼女の手が重なる。


「ご心配なく、先輩。根暗で友達の少ない先輩に心配なんてされなくても、わたしはわたしで友達と楽しく過ごしますので。先輩もご勝手に紺青先輩と仲良くお楽しみください、ねっ」


「痛ったぁああ!?」

 

 ねっ、の部分で山吹は僕の手を取って思いっきり振りほどいた。ぶんっ、と引っ張られてしなる僕の腕。悲鳴を上げる肩。思わず肩を押さえてよろめく。

 

 山吹とは長い付き合いであるが、直接的な暴力を受けたのは初めてであった。地味にショック。

 

 ふんっ、と道端に捨てられたゴミを見るような一瞥を寄越すと、山吹は今度こそ友達の下へと戻っていった。風に乗って彼女たちの会話が漏れ聞こえてくる。


「――なんかよくわかんないけど、いいの? あの人、知り合いなんでしょ?」


「――知らない。あんな、通りすがりの根暗な男」

 

 なんで通りすがっただけで根暗だってわかるんですかね?

 

 文句を言いたくても彼女たちは既に雑踏に呑まれて消えた後。

 

 肩の痛みを堪えながらうずくまる僕。花火大会という煌びやかな場には全然相応しくない――というか普通に惨めな醜態である。

 

 そんな僕の肩(無事な方)にぽんぽん、と憐れむような労りの感触がする。顔を上げると紺青が残念そうに見下ろしていた。


「……まぁ、なんというか。……なんか奢ってあげるよ」

 

 迷子で乞食の高校生にまで同情された。


「今のは倉井が悪いけどね」

 

 同情してもトドメは刺すのかよ。


   *


 その後のことはあまりよく覚えていない。

 紺青と一緒に妹たちを迎えに行き、合流した明夢から「どうしたのにいに!? イカ焼きあげるから元気出して!?」と冷め冷めのイカ焼きを押しつけられたことだけは記憶している。

 

 女子小学生に励まされながら見る花火は、切ないくらいに綺麗だった。

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