第23話 花火大会(前編)

「あーもーホントありえないんだけどー」

 

 リビングで見るともなしにテレビを眺めていると、今日何度目かもわからない妹、明夢めいむのぼやきが聞こえた。

 

 ぼやきの理由は今日の夕方からの花火大会だ。妹はそれに友達と行きたかったそうだが母に「子どもだけで行くのは危ない」と許してもらえなかったのだ。その結果明夢と友達の二人に僕が付き添って行くこととなったのである。


「何がありえないの?」

 

 黙殺した僕とは違いキッチンで夕飯の準備をしている母は律儀にそのぼやきを拾ってあげる。もううんざりするほど繰り返されたやり取りに付き合ってあげるあたり、母とは寛大だ。


「だって、五年生にもなってに……兄貴に花火大会に連れてってもらうなんて」

 

 ダサいだの、正気の沙汰じゃないだの、気の抜けたコーラよりも冴えないだの、よくもまぁそんな語彙が出てくるものだ、と感心してしまうくらいの文句が続く。


「いくつになっても親は心配するものなのよ。向こうの親御さんも『高校生のお兄さんが見ていてくれるなら安心』って言っていたから、我慢しなさいねー」

 

 高校生のお兄さんとは無論僕のことである。我慢というならいきなり小学生の子守を言いつけられた僕の方がよっぽどだ。こんなことさえなければ今頃は山吹と花火大会に行っていたのかもしれないのに。

 

 ……あれ、僕は山吹と花火大会に行きたかったのか? そんな期待をしていたのか?

 

 ふいに胸の内に去来した思いに、僕は束の間動揺した。

 

 そんな僕の心中など知らずに明夢は膨れっ面のままソファに寝転がっている。子どもじみた駄々こねだが、僕自身にもこういう時期があったのだろうと思うとなんとはなしに感慨深くもある。


「明夢、あんまりわがままを言って母さんを困らせるんじゃないよ」


「だってー」


「ほら、明夢は可愛いから、変な人に目をつけられるんじゃないかって母さんも心配なんだよ」

 

 にこ、と穏やかに微笑みかける。妹の自尊心をくすぐることで納得してもらおう、という高等話術だ。しかし。


「ひっ、変な人……」

 

 なぜか妹から変態を見るような目を向けられた。ひっ、て……。


「ちょっと、お兄ちゃんが妹を変な目で見ないでよー。引くわー」

 

 母も引いていた。なぜぇ。


   *


 午後五時過ぎ、家のインターホンが鳴り、明夢は伸びていたソファから起き上がると「希未のぞみちゃんが来た!」と脱兎の如く玄関へと駆けて行った。どうやら希未ちゃん、というのが妹の友達の名前であるようだ。


「希未ちゃん、浴衣だー! かわいいっ!」


「えへへ、お母さんに着付けてもらったの」

 

 かしましい嬌声が木霊する玄関へ行くと、オレンジ色のなんかよくわからない花柄の浴衣(僕は野暮な男なので草花に対する造詣は皆無なのだ)を着た女の子が立っていた。髪もシニョンにしていて、妹とは違って大人っぽい出で立ちだ。


 ちなみに妹は安そうなティーシャツと転んで破けたみたいなボロボロのハーフジーンズ、髪もいつも通り頭の横で適当に結んだだけ、と子ども丸出しの格好である。


「あ、お兄さんですか? 今日は、よろしくお願いしますっ」


「あぁ、こちらこそよろしくね」


 のそのそとやってきた僕に一瞬面食らったようだったが、女の子――希未ちゃんはぺこり、と行儀良く頭を下げた。おぉ、妹の友達というからどんな素行不良小学生女児が来るかと身構えていたのだが、予想外に礼儀正しい。妹の友達にしておくにはもったいないくらいだ。


「……ちょっと兄貴、希未ちゃんを変な目で見ないでよねっ!」


「見てねぇわ」

 

 的外れな妹の非難につい乱暴な言葉を使ってしまった。いけないいけない、幼気いたいけな妹やその学友に悪影響を与えてしまう。自重しなければ。


「希未ちゃん、うちの兄貴は小学生の女の子が好きな変態だから気をつけてねっ」


「ひっ……」


「ロリコンじゃねぇわ」

 

 あることないことを吹き込む妹にあっさりと自戒は吹き飛んだ。僕が与えるまでもなく悪影響を受けてしまっているよね、こいつは? 希未ちゃんも恐怖で顔を歪めながら「ひっ……」って言うのやめよう?

 

 前途になんとなく不安を覚えながらも、僕は明夢と希未ちゃんを伴って花火大会の会場へと向かった。


   *


 不安とは、得てして最悪の形となって現実となることも多い。期待というものが概ね裏切られるのとはひどく対照的だ。

 

 道の両脇には暖色と香ばしい匂いを撒き散らす屋台が立ち並び、立ち尽くす僕のすぐ横をカップルや学生のグループなど様々な人々がすり抜けていくなか、そんなことを思った。

 

 平たく言うと、芋洗い状態の花火大会会場で僕は一人途方に暮れていた。


 迷子である。

 いや僕ではなく、妹たちが、である。


 最初から危惧はしていたのだ。

 花火大会。人混み。僕の付き添いに不満を表明していた妹。


 そんなお誂え向きの要素が揃っていてはこういう事態になるだろうことは想像に難くなかった。にも拘わらず、明夢と希未ちゃんを見失った現状は僕の監督不行き届き、ということになるだろう。これが明夢一人なら置き去りにして帰っても良心は痛まないものの、よそ様の子まで一緒にいなくなられてはちと問題である。


 くそっ、明夢め……何が「兄貴、何か食べたいものある? 今日は連れて来てくれたお礼に買ってきてあげるっ」だ。あのちょこざいな妹に限ってそんな殊勝な心掛けを口にするわけなどなかったのだ。それなのに僕はまんまとほだされて「あ、じゃあイカ焼きで」なんて言って。


 二人の帰りがやけに遅いな、なんて思う頃には既に手遅れ。素行不良小学生女児はトンズラをこいた後である。礼儀正しいと思われた希未ちゃんまで、と嘆息してしまうが……まぁこれは我が愚妹・明夢が悪いだろう。希未ちゃん、付き合う友達は選んだ方がいいよ。

 

 試しに小さな逃亡犯相手に電話を掛けてみるも、もちろん出ようはずもない。

 

 周りを見回してみてもこの人出だ、女子小学生など荒波に呑まれた砂粒のようなものである。見つかるわけがない。だが。


「……ふ、甘いな、明夢」

 

 所詮小学生の浅知恵か、と僕はスマホのアプリを立ち上げる。

 

 それは明夢のスマホの位置情報を表示するアプリだ。出がけに「迷子になると困るから念のためね」と母親からインストールするように言われていたのだが、さすが母はよくわかっていらっしゃる。

 

 アプリによると明夢たちは五百メートルほど離れた地点で今は立ち止まっているらしかった。おおかた僕を撒いたものと油断して休憩でもしているのだろう。ふふん、貴様の動向など文明の利器によって筒抜けなのだ、と悪役ちっくに呟きながら僕は逃亡犯たちを捕縛すべく現場へ急行した。


(中編に続く)

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