番外過去編 ひねくれ後輩とクリスマス
ぶぅぅん、と低い稼働音を立てる旧式のストーブ。しかしそれだけでは古びた校舎の隙間から忍び込む冷気を払うことはできず、僕は寒さに強張る指先をそっと握りしめた。
放課後の図書室。十二月も半ばを過ぎた今の時期は寒さのため図書室を訪れる人も少なく、必然図書委員としても暇な時間が増える。どうにも拭い難い寒さを除けばそれは願ったり叶ったりのはずなのだが……。
中学二年となり、後輩として入ってきた一人の図書委員――今も返却本を棚に戻す作業をしている僕を尻目に、ぬくぬくと受付カウンターでブランケットに包まっている少女が、寒さ以外の目下の悩みの種であった。
彼女の名は
端整な顔立ちは黙ってさえいれば相応に可愛らしいのだが、問題はその可愛らしさを以てしても補いきれない程の性根と口の悪さである。
有り体に言えばめちゃくちゃひねくれている。そのひねくれ具合は、一ヵ月と経たずにほとんどの図書委員が彼女と図書当番を務めることを拒否するようになった程だ。いや、嫌われすぎだろ……。
僕とてそんな彼女との二人きりの図書当番は多少気詰まりではある。けれど、さすがに毎月張り出される当番表(各々が希望の日に記入する)の山吹の隣だけが空白なのを見ると、やっぱりそれを見ない振りをすることはできず、自分の名前を書き入れることになるのだ。
そしてその山吹との図書当番の日。
返却本を戻す作業がなかなか終わらない僕は受付カウンターに座る山吹を振り返る。ブランケットに包まって文庫本をもくもくと読む姿は小動物のようで可愛らしいが、目の前で先輩が寒さに打ち震えながら仕事をしているんですけど?
「……あー、山吹、自分の仕事が早く終わった時は僕の分の仕事を手伝ってくれてもいいんだよ?」
暗に『君ばかり暖かそうでずるいぞ』と言うと、山吹は読んでいた文庫本からちょい、と顔を上げた。あからさまに鼻の上辺りに迷惑そうなしわを寄せている。
「……どうして先輩の仕事が遅いことの尻拭いをわたしがしなければならないのですか? 安易に他者を頼るよりも、もっと先輩は効率を考えて仕事をしてください」
「……そうですか」
いやまぁ、言い分はわかる。わかるけれど言い方とか、もうちょっとこうオブラートに包むとかないの? 自分はブランケットに包まれているくせに。
言いたいことはままあったが、先輩という立場もあるし、あまりやいのやいの言うのも器の小ささを露呈するようでもある。ここは僕が大人の対応をするしかあるまい。
不遜な後輩はひとまず頭の片隅にでも追いやって、僕は残りの作業に集中した。
作業自体は別に重労働というわけでもない。程なくして腕に抱えた本は全て図書室のあるべき棚へ収まった。
作業を終えカウンターの内側へ戻ると山吹はつい、と目を上げて非難がましい一瞥を寄越してくる。何、隣に座るなとでも言うのか?
構わず隣に座りながらぼんやりと図書室内に視線を彷徨わせる。こんな暇な時に限って手持ちの本は読み終えてしまっていて、あらかた仕事も終えた身には寒さと倦怠がことさら堪えるようだ。
そんな折、ふと目についた壁のカレンダーの日付に、僕の口からはぽとり、と白い吐息が零れた。
「……もうすぐクリスマスかぁ」
完全に独り言の風情で放たれたその言葉に山吹はぴくり、と耳を震わせたが、特段何を言ってくるでもなく本をもくもくとしている。僕とて返事を期待して言ったわけでもなかったが、おもむろに独り言を呟くような人間だと思われるのもあまり嬉しくない。
ので、今度は明確に隣の山吹へ向けて言ってみた。
「山吹、もうすぐクリスマスだね」
「……さっきも聞きました」
小動物然としたもこもこには似つかわしくない低いトーンが返ってくる。それっきり沈黙。まだまだ会話のキャッチボールとは言い難い。良くて壁打ちといったところか。
「山吹はクリスマスの予定とかないの?」
今日は暇なので懲りずに話しかけると、山吹は渋々といったふうではあるが読んでいた本にブックカバーに付いている栞代わりの紐を挟んだ。おっ。
「……別に、何もありません。敬虔なクリスチャンじゃあるまいし、クリスマスなんてただの平日です」
「そうですか……」
さすがに中学生にもなってサンタを信じているとは思わないが、クリスマスをただの平日と言い切ってしまうなんてあまりにも擦れ切っている。ブラック企業のサラリーマンなの?
ふと気になってまた一つ質問をぶつけてみる。
「山吹はいつまでサンタさんを信じていた?」
「……いつまでも何も、端から信じていませんでしたが。そんな不法侵入を生業とする老人の存在なんて。現代日本にそんな老人がいたら即通報です」
「なんてひねた子どもだ……」
サンタを犯罪者に仕立て上げる口振りに僕は戦慄した。
「それじゃあプレゼントは? 普通に親に『これほしい』とか言っていたの?」
訊きながらなんと情緒のないクリスマスだろう、と思う。
けれど山吹の回答はそれを上回る空虚なものだった。
「小学生に上がってからは親にプレゼントはいらないと言っていました。キリストの降誕なんてわたしには一切関係ないですし。それで何かもらうのも気持ち悪いですし」
「それは…………マジか」
小学生の子どもがそんなことを言ってきた時の親の気持ちを考えて僕は居た堪れなくなった。なんでそんなひねくれた子に育ってしまったのだ、君は。
「ケーキとかは食べないの?」
「親が買ってくるので、残すのももったいないから食べますが」
そんなローテンションでケーキを食べることってある? 子どもといえばすべからくケーキ大好きな生き物のはずなのに。逆に何なら喜ぶの、この子?
「はぁ、冷め切っているねぇ、山吹は」
僕の言葉に彼女は聞き捨てならない、とばかりにぴくりと鼻をうごめかせた。
「……そんなことを言う先輩こそどうなのですか。さぞ素敵なクリスマスのひと時、というものを過ごしているのでしょうね?」
「そりゃあ――」
どこか挑戦的な目つきで睨んでくる山吹に答えようと開きかけた口を、僕はしばしパクパクさせた。あれ? そういえば僕はクリスマスにどんなことをしていたっけ。
「――ケーキは食べるよ?」
山吹は僕がなんとか捻り出した答えを鼻であしらって「その他には?」と容赦なく促してきた。
「プレゼント――はいつからかもらえなくなったな。なんでも『全然良い子じゃないから』っていう理由で。……よくよく考えるとこの理由ひどくない?」
「納得の理由です」
「ひどい!?」
共感を得ようとするも山吹はにべもない。
「同じ委員会の後輩を追いかけ回すような人間が良い子なわけないですので」
「いや別にストーカーとかではないって……」
「それならなぜわたしが図書当番の日に毎度毎度先輩がいるのですか? 狙ってやっているとしか思えないのですが」
「……それは、その、驚異的な偶然というか? 事実は小説よりも奇なり的な?」
君が他の図書委員から避けられているからだよ、とは口が裂けても言えないので必然僕の言い訳はうさんくさくなる。ストーカーじゃないのに……。
「弁明は拘置所で聞きます」
「通報した!?」
「……静かにしないと本当にしますよ?」
「えぇ……」
迷惑そうなしかめっ面を一ミリも崩そうとしない山吹に僕は引き下がるしかなかった。
仕方がない。図書室の本でも読んで時間を潰すか。この図書室、品揃えが悪くてあまりそそられないんだよなぁ。
再びカウンターから出て書棚を物色する。歩けど歩けどぴったりと寄り添ってくる冷気に急かされるように適当な文庫を選び、比較的暖かなカウンターに避難した。
山吹は相変わらずブランケットの精のような風情で本をもくもくしている。
それを横目に僕もまた文庫のページを繰る。
しんしんと降り積もるような静謐。低い稼働音に脳がぼんやりと微睡むように、ちらちらと紙の上の活字が踊る。適当に選んだ海外の文庫はどうも訳の日本語が古くて頭に入ってこない。これはダメだ、と思う頃には僕の頭はがくり、と落ちていた。
くしゅり、と薄紙を破るようなくしゃみの音で僕は目覚めた。
寝ぼけた頭で、そりゃあこんな暖房の不十分な図書室でうたた寝なんてしたら冷えるよな、と肩をかき抱こうとしたところで気づく。
温かい何かに包まれている……?
半開きの目をパチパチとして見下ろすと、僕の肩にはふわふわのブランケットが掛けられていた。ん、これって……。
「……くしゅりっ」
また、くしゃみの音。けれど僕ではない。音のした隣を見ると山吹がティッシュを鼻に当てていた。出てきた鼻の頭が幼子のように赤くなっている。
「えっと……もしかして、ずっと僕にブランケット貸してくれていたの?」
寒そうに身を震わせる不機嫌な顔が全てを物語っていたが、聞かずにはいられなかった。
「……隣でぶるぶる震えながら寝ている人がいたら、そりゃあ貸します。二人きりの図書室で先輩が死んだら、わたしに嫌疑がかかりますからね」
……その心配は杞憂では? ミステリじゃあるまいし。
起きたのなら返してください、とブランケットを引ったくる山吹。もこもこの中からこちらを睨む顔はいつものように仏頂面で。
だというのに、僕はなんだか胸の辺りが温かくなるのを感じた。ブランケットは剥ぎ取られていたけれど、体の外ではなく内側が、ぽかぽかとしていたのだ。
この後輩は、ひねくれていて悪いところばかり目につくけれど。
でもきっと、同じくらいにいいところもあるのかもしれない。
そんなことを、僕は考えてみたりした。
下校時刻を告げるチャイムが鳴る。
帰り支度をするため立ち上がった僕の横で、小さく「あっ」と声がした。
「どうしたの?」
見ると、山吹はショックを受けたように右手に紐を握りしめていた。ブックカバーに付いている栞代わりの紐だ。本に挟もうとした時に千切れたのだろうか。
「これ……結構気に入っていたのに……」
ぽつり、と漏らした声は年相応の脆くてあどけない響きをしていた。けれど山吹は慌てたように「あっ、別に、なんでもないです」と僕を追い払うような手振りをする。
追い立てられる僕の視界を当番表が過る。
十二月二十五日、そこには山吹と僕の名前。
一つの思いつきが、僕の胸の中、ぽかぽかとしている場所から生まれた。
*
「やあ、山吹」
「……弁明は拘置所でしてください」
「挨拶しただけで!?」
世間はクリスマスで浮き足立っているというのに、山吹は相変わらずの素っ気ない態度でカウンターの内側に座った。鞄から出した文庫本にはいつも使っていたブックカバーではなく、書店の紙のカバーが掛けられている。
今だろうか? 違う気もするし、今を逃したら結局渡せないような気もした。
ええいままよ、と僕は鞄から赤々とラッピングされた包みを取り出す。何も言わなくてもわたしはクリスマスプレゼントだ、と主張するかのようなそれは少し――いや大分気恥ずかしい。
それをカウンターの上、山吹の方へつつつ、と滑らせると、案の定彼女は「なんですか、これ?」と眉根を寄せた。
キリストが生まれようがわたしには関係ない、と言う彼女はクリスマスプレゼントだと言っても受け取らないだろう。となると。
「これは、お礼。あの、この間ブランケットを貸してくれた」
言葉がもつれたけれど、怪訝そうにしている山吹に包みを押しつけることには成功した。
「そんな、別に」
「いやいや、借りは返す、って決めているから」
なんかストイックな武道家みたいなセリフが出たんですけど? やっぱり柄にもないことはするものじゃない。
「あ、開けてどうぞ」
「はぁ……」
未だ釈然としない顔で、けれど山吹は包みを躊躇いがちに開く。すると。
「――あ、これ」
包みから出てきたものを見て、彼女は目を瞬かせた。一瞬だけ、ふわり、と頬が緩む。
それは以前山吹が使っていたものによく似た、和柄のブックカバーだった。似た感じのものを探すのに結構骨が折れたけれど、その苦労も一瞬のふわりで帳消しだ。
「メリークリスマス、ってことで」
ついうっかり口を滑らせてから、やべっ、と思う。「クリスマスプレゼントならいりません」とか言うんじゃないか、と恐る恐る窺うと、
「あ……」
「あ?」
「……りがとう、ございます」
ぷいっと、いつも以上に素っ気なく顔を逸らされる。
けれどその頬は。
「……クリスマスだねぇ」
プレゼントの包みも顔負けに、真っ赤に染まっていた。
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